『紫式部日記』の女房批評シリーズ、今回は赤染衛門ちゃんです。
知らない人が見ると「男じゃないの?」みたいな名前です(笑)
「近松門左衛門」的な。
そもそも、女房の呼び名は本名ではありません。
(※近松門左衛門も本名ではありませんが。)
父親の官職などからつけられるあだ名です。
赤染衛門の場合、父親が「赤染時用」、その官職が「右衛門尉」だったところから来ているようです。
もっとも、実父については異説もあるようですが、詳しくはこちら。
赤染衛門ちゃんはどのように評されるのでしょうか。
【現代語訳】
丹波の守殿の正妻のことを、中宮彰子様や藤原道長様の近辺では「匡衡衛門」と言います。
特に家柄が良いわけではありませんが、実に風格があって、
「私は歌人よ」という風に何かにつけて歌を詠み散らかすことはしないけれど、
知っている限りではちょっとした折節の歌でも、それこそこちらが恥じ入ってしまうような詠みぶりです。
この方と比べると、ともすればどうしようもない出来そこないの歌を詠みだして、
言いようもなく気取った振る舞いをして、自分は凄いんだ、と思っている人は、
憎らしくもあり、また一方では気の毒だとも思われることです。
とまあ、こんな具合に述べています。
赤染衛門ちゃんも、和泉式部と同様に紫式部の同僚で、中宮彰子にお仕えした女房です。
冒頭に出てくる丹波の守、というのは大江匡衡のことで、記されているとおり赤染衛門の夫です。
『古本説話集』によれば、赤染衛門は嫌々結婚し、後に夫が出世して幸せ者と言われた、と記されています。
さて、紫式部は赤染衛門に対して厳しいことは一つも書いていません。
一つにはここに書いてある通り、奥ゆかしくて気品があり、いわゆる人格者だったからでしょう。
また、彰子の母親、つまり道長の正妻・倫子にも仕えていたので、赤染衛門は紫式部から見れば大先輩なのです。
もし仮に何か言いたいことがあったとしても、書けたものではなかったと推察できます。
では最後に原文を載せておきましょう。
【原文】
丹波の守の北の方をば、宮、殿のわたりには匡衡衛門とぞ言ひ侍る。
ことにやんごとなきほどならねど、まことにゆゑゆゑしく、
歌詠みとてよろづのことにつけて詠み散らさねど、
聞こえたるかぎりは、はかなき折節のことも、それこそ恥づかしき口つきに侍れ。
ややもせば、腰はなれぬばかり折れかかりたる歌を詠み出でて、
えも言はぬよしばみごとしても、われかしこに思ひたる人、
にくくも、いとほしくもおぼえ侍るわざなり。
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