古今著聞集~大江山~


 

 

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4 Responses to 古今著聞集~大江山~

  1. takamura より:

    例えば「世の中をいとふ山辺の草木とやあなうの花の色に出でにけむ」など、
    「卯の花」の「卯」に「憂」(形容詞「憂し」の語幹)が掛かります。
    あるいは、「思ひ」の「ひ」に「火」が掛かるというのもあります。
    言葉の一部に掛かるというのは特に珍しいことではありません。

    そう言えば、昔『ルパン三世』で「誰白波の五人連れ~♪」と名乗りを上げる窃盗団、
    確か“白波五人衆”というのがいました。
    歌舞伎『青砥縞花紅彩画』(←見たことない)に出て来る“白波五人男”のパロディです。
    「白波」には盗賊の意味がありますが、同時に「知らない」が掛かっています。
    ちょっとタイプは違いますが不完全といえば不完全な、でも語感的に無理のない掛詞です。
    昔のマンガは粋でした。って、今も粋なマンガはあるのでしょうけど。
    同じ例として「その手は桑名の焼き蛤」なんてのもありますね。

  2. 北條!!! より:

    そーなんだ。
    鼻で嗤われるかと思いきや、全否定ぢゃないわけだな。
    良っしゃ♪
    なら調子に乗ってもう少し粘ってみる。

    だって「行く」しか掛かってなかったら「の」が余るぢゃんか。
    音韻的にそれってどうなのよ?
    やっぱし余すところなく全て利用したからこそ名歌なのではないのか?
    いや別にどっかで専門家がこういう説を唱えてたとかいうんではなく、
    最初にこの歌を耳にしたときの印象がこれ(行く野の道)だったんだよね。
    それがいつの話かは忘れたが。

    だって「交通の要所」っつったって何しろ千年前だからさ。
    少なくとも舗装はされてなかった…と思うのだ。
    ってなわけで、今後はこれで行こうぜ♪
    やっべー、また歴史に名を残しちまう・・・。

  3. 北條から より:

    リアルに質問。
    「いくのの道の遠ければ」が掛詞であることは知ってたが、
    「行く『野』の道の」ぢゃないの?
    つまり掛かってるのは「いく=行く」だけぢゃなく「の=野」の方もあると思ってた。
    「生野に通じる道は遠いし、『野の道』だから、つまりは『里の道』ぢゃないから険しいし・・・」
    ってのが北條的解釈。
    だめすか?
     

    • takamura より:

      『野』まで掛けるのは普通はないですよね。
      交通の要所だったということなので、野原を踏み分けて行くってことはあったんですかね?
      僕もその辺のことに詳しくないのですが。
      ちなみに、今ネットで検索したら「生野」「幾野」「行く」とトリプルミーニングで取っている人がいました。