【原文】
野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。
立蔀、透垣などの乱れたるに、前栽どもいと心苦しげなり。
大きなる木どもも倒れ、枝など吹き折られたるが、
萩、女郎花などの上によころばひ伏せる、いと思はずなり。
格子の壺などに、木の葉をことさらにしたらむやうにこまごまと吹き入れたるこそ、
荒かりつる風のしわざとはおぼえね。
いと濃き衣のうはぐもりたるに、黄朽葉の織物、薄物などの小袿着て、
まことしう清げなる人の、夜は風のさわぎに、寝られざりければ、久しう寝起きたるままに、
母屋よりすこしゐざり出でたる、
髪は風に吹きまよはされて、すこしうちふくだみたるが肩にかかれるほど、まことにめでたし。
物あはれなるけしきに、見出だして、「むべ山風を」など言ひたるも心あらむと見ゆるに、
十七、八ばかりにやあらむ、小さうはあらねどわざと大人とは見えぬが、
生絹の単衣のいみじうほころび絶え、花もかへり、ぬれなどしたる薄色の宿直物を着て、
髪、色に、こまごまとうるはしう、末も尾花のやうにてたけばかりなりければ、
衣の裾にかくれて袴のそばそばより見ゆるに、
童べ、若き人々の、根ごめに吹き折られたる、ここかしこに取りあつめ、起し立てなどするを、
うらやましげに押し張りて、簾に添ひたるうしろでもをかし。
【語釈】
◯「立蔀」読み:たてじとみ
「蔀」とは格子に板を張り付けたものです。雨風をよける役割を果たします。ここでは外に立てた蔀のことを言っています。もちろん目隠しにもなります。
◯「透垣」読み:すいがい
隙間がある垣根。垣間見(かいまみ ※覗きのこと)に好都合。
◯「前栽」読み:せんざい
庭の植え込みのことを言います。
◯「萩」
◯「女郎花」読み:をみなへし
◯「小袿」読み:こうちき
宮中の女性の、通常の礼服でした。
◯「母屋」読み:もや
寝殿造りの建物の中心部に位置する部屋です。母屋のひとつ外が「廂/庇(ひさし)」です。国語便覧を見た方が早いでしょう。
◯「ゐざる」
立ち上がらずに膝で移動することを言います。
◯「むべ山風を」
有名な和歌の一部です。「吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ」というのが和歌の全体像です。「吹くとたちまち秋の草木がしおれるので、なるほど山風を『嵐』と書いて『荒らし』というのだろう」という意味です。昨夜の台風・嵐にちなんで、和歌の一節を口ずさむのです。
◯「生絹」読み:すずし
薄くて軽い、主に夏用の服です。
【現代語訳】
台風の翌日は非常にしみじみとした趣があり面白い。
立蔀や透垣などが乱れていて、庭の植え込みなどもとても気の毒な様子だ。
大きな木なども倒れ、枝なども吹き折られたのが、
萩や女郎花などの上に横倒しになっている様子など、とても意外だ。
格子の枠などに、木の葉をわざわざやったかのように細々と吹き入れてあるのは、
荒々しかった風の仕業とは思えない。
とても濃い色の衣の光沢が落ちたのに、黄朽葉色の織物や薄物などの小袿を着て、
まじめで綺麗な感じの人が、夜は風の騒がしい音で寝られなかったので、朝遅くまで寝て、起きるとすぐに
母屋から(廂の方に)座ったまま膝で進み出たのが、
髪は風で吹き乱されて、少しぼさぼさになっているのが肩に掛かっている様子は本当に素晴らしい。
何となくしみじみとした様子で外を見て「むべ山風を」などと言っているのも情趣を解すると見えるが、
十七、八歳ほどであろうか、小さくはないが、取り立てて大人とは見えないのが、
生絹の単衣がひどく糸が切れてほころび、花色が褪せてている、その上に濡れるなどしている薄色の宿直着を着て、
髪は艶があってこまやかに美しく、髪の裾もススキのように広がって背丈ほどの長さだったので、
着物の裾に隠れて、袴のひだから見えるのに、
女の子や若い女房が、根っこごと吹き折られた草木をあちこちに取り集めたり、起こし立てたりするのを、
羨ましそうに簾を外に押し張って、簾に体をぴったり寄せている後ろ姿も風情がある。
※そこそこ直訳です。
『枕草子』の中でもとりわけ有名な段です。特に冒頭は名高いですね。
古来、日本では台風のことを「野分(のわき・のわけ)」と呼んでいました。
「台風」は英語のtyphoonから音を拝借した当て字です。
typhoonはギリシャ神話の「テュポン」という神の名から来ていると言われています。
また、台風にまつわる言葉として「二百十日」「二百二十日」というのがあります。
立春から数えて210日目あるいは220日目(9月上旬・下旬)あたりに台風が来ることが多いということです。
ちなみに、夏目漱石には『二百十日』という小説があります。
話を戻しましょう。
台風の翌朝、庭が荒れているものの、思いがけない所に思いがけないものがある、その面白さですね。
これは共感できるのではないでしょうか。
人の意志が働いていないのに、いや働いていないからこそ絶妙な配置が生まれたりするのでしょう。
さて次。
「まじめで美しい人が風に煽られて髪が乱れているのが素敵」って感覚、分かります?
たぶん、男性なら分かる人が多いんじゃないかと思いますが。
「まじめさ」も一つの大事な要素だと思うんです。
まじめな女性は普段は隙なんか見せないわけですよ。
ところが、この日の前夜は台風でよく眠れず、朝起きてぼんやりとしているんです。
それで、ちょっと部屋を出たところで風に髪を乱される、ということでしょう?
これは間違いなくドキッとします。
自分の好みの女性に置き換えて想像してみてください。
もちろん、僕なら松原夏海ちゃんです。すると………( ̄  ̄)………( ̄ー ̄)ニヤ……
キタキタキタキタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━ !!!!!!!!!!
萌え度MAXです。 キュンキュンしちゃいます。 下手したら萌え死ぬかも知れません。
でも、検死の結果「萌え死」なんてことになると親族が恥ずかしいでしょうから妄想は控えめにしたいと思います。
最後の、外を眺める女性の部分は分からなくもないのですが、取り立てて書くこともないな。
この段の解説になっつみぃを出してくる人って世の中で僕一人でしょうねww
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清少納言が『枕草子』の読者として第一に想定していたのは中宮定子です。
その中宮定子が亡くなった後も作品は書き続けられますが。
この作品はその時代にあった(であろう)作品群とはあまりにも様相が違います。
奇異といってもよいでしょう。
これを始めて目にした人は、物語でもなければ日記でもなく韻文でもないこの作品がいったい何なのかさっぱり分からなかったかもしれません。
例外なのは、心が通じていた中宮定子、あとは同僚の女房達でしょう。
また、『枕草子』はやはり仕事として書いている部分が大きいと思います。
中関白家に雇われた女房ですから、中関白家の栄華を伝える手段として『枕草子』は存在しているはずです。
従って中関白(藤原道隆)の死後、絶対に暗く沈んだムードであったはずの所でも、そのような暗い描写は出てこず、明るく雅な雰囲気であったかのように描写します。
あくまでも主家のために、気丈さを保って筆を執っているその態度に感動することがしばしばあります。
Mr.高村のこれを読むようになって「枕草子」に対するイメージが変わってきた気がする。同じエッセイだったら断然「徒然草」や「方丈記」の方が「男らしい」と思ってたから。まあ「枕草子」に「男らしさ」を求める方がおかしいしな、そもそも。
でもある意味清少納言も男らしいわな。ものの感じ方自体は違っても、それをこうやってズバリ言い切っちゃうあたりとか。当時の基準で考えたら(そもそも「当時の基準」がよく分からん…)「男らしい」どころか「ウルトラ変人」だろうが。
あと「そこそこ直訳」ってスタンスも好きよ。俺がtwitterで「これは俺の仮説に過ぎないが♪」とかほざいてるのに近いかも。いいじゃんか。冒険しようぜ。
でも清少納言って、もし今いたら絶対twitterやってる気がする。兼好法師はブログかねえ。んで鴨長明は今でも手書き原稿にこだわるとか。
まあとにかく俺的にはこのブログの「古文率」が上がるのを期待するけどね。AKなんとかはちょっとさ…。なあ?