【原文】
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
それの年の十二月の二十日あまり一日の日の戌の時に門出す。
そのよし、いささかにものに書きつく。
ある人、県の四年五年はてて、例のことどもみなし終へて、
解由などとりて、住む館より出でて、船に乗るべきところへ渡る。
かれこれ、知る知らぬ、送りす。
年ごろ、よくくらべつる人々なむ、別れがたく思ひて、日しきりにとかくしつつののしるうちに夜ふけぬ。
二十二日に、和泉の国までと平らかに願立つ。藤原のときざね、船路なれど馬のはなむけす。
上中下酔ひあきて、いとあやしく潮海のほとりにてあざれあへり。
二十三日。八木のやすのりといふ人あり。
この人、国に必ずしもいひつかふ者にもあらざなり。
これぞ、たたはしきやうにて、馬のはなむけしたる。
守がらにやあらむ、国人の心の常として、今はとて見えざなるを、
心ある者は恥ぢずになむ来ける。
これは、物によりてほむるにしもあらず。
二十四日。講師、馬のはなむけしにいでませり。ありとある上下、童まで酔ひ痴れて、
一文字をだに知らぬ者しが足は十文字に踏みてぞ遊ぶ。
【語/文法】
◯「なり」
助動詞の「なり」には断定と伝聞・推定の2種類がある。断定の「なり」は名詞or連体形に接続する(たまに副詞や助詞に接続することもある)。一方、伝聞・推定の「なり」は終止形に接続する(ラ変につく時だけは連体形に接続する)。有名な出だしの部分、「すなる」はサ変の終止形「す」についているので伝聞・推定、「するなり」はサ変の連体形「する」についているので断定である。
◯「門出」
現代にも残っている言葉で出発のこと。ここでは本格的な旅立ちの前に、占いの結果によって場所を移ることをいう。
◯「よし」
重要語。①理由②方法③風情④こと、などの意味がある。④を使うことが多く、ここでも④。
◯「県」読み:あがた
『土佐日記』は紀貫之が土佐の守としての任期を終え、土佐から帰郷する船旅を中心とした紀行文(旅日記)である。この「県」も土佐に勤務したことを指すもの。
◯「例のことども」
ここの「例の」は現代語とあまり差がなく、「いつもの・通例の」程度の意味。型となっている事務手続きのことをいう。
◯「解由」読み:げゆ
引き継ぎの書類に「解由状」というものがある。前任者がちゃんと仕事していたことを、後任の者が確認して認めるもの。前任者はこれを京に持ち帰り、「勘解由使(かげゆし)」に提出する。
◯「船にのるべき所」
この「べき」は予定or当然の意味で訳す。「船に乗ることになっている(予定)」or「船に乗るはずの(当然)」となる。
◯「ののしる」
スーパー重要語。「大騒ぎする」の意。
◯「和泉の国」
船の到着先。 そこから陸路で京へ。
◯「船路なれど馬のはなむけす」
「馬のはなむけ」とは、旅の目的地に馬の鼻を向けて無事を祈願することだった。次第に、旅立ちの前に送別の宴会を開いたり、餞別を贈ったりする意味となり「馬」は関係なくなった。ここも「船旅なのに馬」と言葉遊びを楽しんでいる。
◯「あやし」
スーパー重要語。①不思議だ、奇妙だ②粗末だ③身分が低い、を覚える。ここでは①。
◯「見えざなる」
助動詞「なり」に関しては、一番最初に書いたとおり。ここの「ざなる」とは打消の助動詞「ず」の連体形「ざる」に伝聞・推定「なり」の連体形がついたもの。「ざる」の「る」が撥音便化して「ん」となったものが表記されていない形。「見えざ(ん)なる」ということ。
◯「物によりてほむるにしもあらず」
「物」は餞別でもらった物。それによって褒めて書くのではない、と言っている。「しも」は強意の副助詞のパターン。正確には「し」が強意の副助詞、「も」は係助詞。
◯「講師」読み:かうじ
諸国の国分寺の僧職。僧・尼を監督し、また仏教の講義を行う。
◯「一文字をだに知らぬ者しが」
この「しが」には諸説ある。①「し」を指示語と考える説、②「し」を強意の副助詞と考える説、③前の語と続けて「ものし(物師)」と考える説。②が最も素直だろうと思われる。
【現代語訳】
男も書くという日記というものを女である自分も書いてみようと思って書くのである。
ある年の十二月の二十一日の午後八時ごろに門出をする。
そのことをすこし書き付ける。
ある人が、国司としての四五年の任期を終えて、きまりとなっている引き継ぎなどもみなし終えて、
解由状などを受け取って住んでいた館から出て、船に乗ることになっている所に移る。
誰も彼も、知っている人も知らない人も、見送りをする。
数年来、親しくつきあった人々が別れがたく思って(やって来て)、一日中あれこれして大騒ぎするうちに夜が更けた。
二十二日に、和泉の国までと、無事を祈願する。藤原のときざねは、船路であるのに馬のはなむけをする。
身分が高い者も中くらいの者も低い者も存分に酔って、とても奇妙に海のほとりでふざけあっている。
二十三日。八木のやすのりという人がいる。
この人はこの国司の役所で必ずしも仕事を言いつけて使う者でもないようだ。
この人が厳かな様子で馬のはなむけをした。
国守の人柄であろうか、土地の人の常として「もうこれまで」といって普通なら姿を見せないそうだが、
心ある者は、気後れもせずにやって来た。
これは、何も(餞別にもらった)物によって褒めるのでは決してない。
二十四日。講師が馬のはなむけをしにお出でになった。
そこにいる人はある限りみな、身分の高い者も低い者も、子どもまでグデングデンに酔っぱらって、
「一」という文字さえ知らない者が、千鳥足になったその足で「十」の文字に踏んで遊ぶ。
※そこそこ直訳です。
『土佐日記』の冒頭です。
作者は紀貫之。『古今和歌集』の選者でもあります。
特に1文目は助動詞「なり」の識別の初歩として習う教材の定番ですね。
紀貫之が女になったつもりで書いたというのは有名です。
当時、ひらがなというのは主に女性の使う文字でした。
対して、漢字・漢文が男性の使う文字でした。
漢字は「真名(まな)」、ひらがなは「仮名(かな)」です。
「真」に対して「仮」、つまり「漢字>ひらがな」という序列があったのです。
貫之がひらがなを用いて日記を書いたことが、
その後女性の手による傑作文学が数多く創作される契機となった、と言われています。
偉い先生達が言うのでそうなんでしょう。
さて、紀貫之は土佐の国にいる間に、愛娘を亡くします。
この日記はその悲しみを紛らわすために書いているのでしょう。
冒頭部分でもあるようにおどけたことも書きますが、「娘が生きていたら」というような記述も散見されます。
少なくとも楽しんで読むような作品ではないようです。
なんか基本的によくわかんないんだけど、
まだ読み方とか、スーパー重要語の意味とか
ちゃっかり言えちゃうところ、
自分で安心したわ(笑)
特に「あやし」!!!
何で「基本的によくわかんない」のかね(笑)
「あやし」の意味が言えないと基本的人権を奪われちゃうからね。
よかったよかった。(^^)v