漢字には部首というものがあります。
小学校で漢字を習う時にはセットで覚えさせられました。
大人になるにつれ、部首というものへの意識は曖昧になっていくようです。
よくあることですが「祈」など「ネ」という部首を「ねへん」と呼ぶ人。
もちろん、正しくは「しめすへん」です。
古くは「示」と書いていたからで、神様関係の漢字に使います。
「示」は神にいけにえを捧げる台を表す象形文字だったからです。
かく言う自分も「魁」などの「鬼」という部首を「きにょう」と呼ぶことを、大学に入るまで知りませんでした(笑)
そんな部首にまつわるエピソードが『徒然草』136段です。
【原文】
医師篤成、故法皇の御前に候ひて、供御の参りけるに、
「今参り侍る供御の色々を、文字も功能も尋ね下されて、
そらに申し侍らば、本草に御覧じあはせられ侍れかし。一つも申し誤り侍らじ」と申しける時しも、
六条故内府参り給ひて「有房ついでにもの習ひ侍らん」とて、
「まづ、『しほ』といふ文字はいづれの偏にか侍らん」と問はれたりけるに、
「土偏に候ふ」と申したりければ、
「才の程、すでにあらはれにたり。今はさばかりにて候へ。
ゆかしき所なし」と申されけるに、どよみになりて、まかり出でにけり。
かなり有名な章段です。
医師(くすし)篤成というのは、和気篤成。和気清麻呂の子孫です。
故法皇は後宇多法皇。
六条故内府というのは源有房。
なんていうのはどんな解説書にも書いてありますし、使われている語句や文法も特殊な物はありません。
そんなことを言ったら話の要点だってどんな解説書にも書いてあるわけですが(笑)
まあまあ、それを言ったら始まらない、ということで。
この話の中心になっているのは漢字の部首についてです。
源有房の「しお」という漢字は何偏かという問いかけに、篤成が「土偏」と答えて嘲笑される話です。
「塩」は「土偏」でしょうが、ということなのですが、
「しお」の漢字には「鹽」と「塩」とがありました。
有房は「鹽」を正字、「塩」を俗字と捉えていた、と解説されることが多いようです。
ただし、研究者の説明によれば、当時「塩」が俗字とは言い切れず、篤成の学が浅いとは言えないそうです。
僕が思うに、篤成も「鹽」という字は知っていたのでしょうが、偏を聞かれたから「塩」の方で答えたのだと思います。
有房は最初から自慢気な篤成が鼻について、陥れるつもりだったのでしょう。
仮に、篤成が「鹽」の方にこだわって「偏はありません」と答えたなら、
「塩」を出して土偏も知らないのか、となったのではないかと想像されます。
ちなみに、手元にある安良岡康作氏の解説によると
「『鹽』も『塩』も漢字のどの部首に帰属させるか問題のある漢字であった」
とあります。
ふーむ。
とすると、ますますもって有房の質問のイジワルさが際だちますな。
ちなみに漢語林によると「鹽」の部首は「鹵」で「ろ」と言うそうです。
ところで『徒然草』を書いた兼好法師はどういう見解なのでしょう。
慎重な立場を取っているのでしょうか、意見も感想も何も書いていません。
賢明ですね。
【現代語訳】
医師の篤成が、今は亡き後宇多法皇の御前に控え申し上げて、お食事が参った時に、
「ただ今参りましたお食事の様々なことを、文字についてでも効能についてでもお尋ねいただいて、
私がそらんじて申しましたら、医薬書でご確認くださいませ。一つも申し間違いはないでしょう」と申し上げたその時、
今は亡き六条内府殿が参上なさって「この有房もついでに何か習いましょう」と言って、
「まず『しお』という漢字は何偏でございましょうか」と尋ねなさったので、
篤成が「土偏でございます」と申し上げたところ、
「貴殿の学問の程度はもはや露見してしまった。もう知ったかぶりはその程度にしてください。
貴殿に聞きたいことなどないわ」と申されたので、皆がドッと笑って、篤成は退出してしまった。
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篤成しゃん…かむばーっく!
はぅH先生の娘は学校の漢字テストの再試が恐ろしゅうて恐ろしゅうて…(ノД`)どこまでも追いかけてくる現代文の平塚先生…〜〜(m´Д`)mイヤー(再試に合格しないと長期休暇中に補習と称した「一日漢字書かせ続けるの刑」に処されます)
ちなみに三宅裕希の「裕」は「ころもへん」ですよん♪「ちょん」いりますよ♪年に三回は間違えられますね(笑)
「裕」という字はー(金八先生みたいw)
「谷」という字が「多くの物を取り入れる寛大さ」を表しています。
「衣へん」はまさに衣。
つまり、「たくさんの衣」から「裕福さ」を表す漢字なのですな。
豊か、という意味なのですね。by.漢語林