タイトルと中身、というのは当然ですが密接な関係があるのが一般的です。
料理も音楽も小説も、何でもそうだと思います。このブログだってそうです。
「お願い!ランキング」というテレビ朝日の番組には、
主にファミレスなどチェーン店の人気メニューを美食家・料理家が採点するコーナーがあります。
このコーナーで「料理名から想像するものと実際に食べた時のギャップがある」という批判がよく出ます。
タイトルに偽りあり、というのはやはりまずいですよね。
一方、O・ヘンリに「ハーグレイブスの一人二役(The Duplicity of Hargraves)」という短編小説があります。
これは、読んでいる途中でタイトルからオチが分かってしまい、ガッカリしました。
タイトルがネタバレになってしまうようでは、これまたまずいですよね。
小説のタイトルでいうと、我が国を代表する文豪・夏目漱石はなかなかいい加減なところもあったようで。
漱石の『門』という小説は、連載前に「次は何という小説を書くのか」という質問(新聞社から?)に対し、
弟子に「適当につけておいてくれ」と答えさせて、弟子が勝手に「門」と名付けたと聞いたことがあります。
また、『彼岸過迄』というタイトルも「彼岸過ぎまでに書き終えるだろう」ということで、内容は関係ありません。
永井荷風の『つゆのあとさき』も、「梅雨の前後に書いた小説」という意味で、中身とは関係ありません。
そんなんでいいのか(笑)という気もしますが、まあ時代の風潮というのも大きく関係しているのでしょう。
実際、漱石の作品も荷風の作品も好きです。
音楽でいうと、クラシックは、曲にまつわるエピソードからタイトルをつけることが多いでしょうか。
ドヴォルザークの交響曲第9番《新世界より》は、
故郷を離れたドヴォルザークが新世界=アメリカから故郷を思いつつ書いた作品と言われています。
曲を聴いて「なるほど!これは確かに《新世界より》だ!」とは思いませんが、エピソードを聞くと納得します。
あるいは、風景や文学作品などからインスピレーションを得て書いた曲というのもたくさんあります。
メンデルスゾーンの交響曲第3番《スコットランド》なんかは、風景画のような作品です。
スコットランドには行ったことがありませんが、「スコットランドっぽい!」と思ってしまいます。
そしてポップスの場合も詞の一部をタイトルにすることが多く、内容とギャップがあるものは少ないでしょう。
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そんな中、これってどうなの?(笑)
タイトルは「コンクリート・ジャングル」です。ではお聞きください。(*´∇`)ノシ