伊勢物語~かきつばた~(3)


~前回までのあらすじ~

(1)東国に下ることになった男は、八橋というところで休憩中に、ちょうど近くに咲いていたカキツバタを題にした歌を詠むと、同行者はみな涙を流すのだった。

(2)駿河の国までたどり着いたところで、バッタリと帰郷する修行者の知人と出くわした。そこで京にいる愛しい女性への文を託したのだった。

さて、今回はシリーズ最終回です。

さらに東へと一行は下っていき、隅田川のあたりまでたどり着きます。

ではさっそくいってみましょう。


【現代語訳】
さらに歩いて行き、武蔵の国と下総の国との境に、とても大きな川がある。それを隅田川という。
その川のほとりに一行は集まって座り、思いをはせると、
「この上なく遠くにもやって来たものだなあ」と互いに心細く思っていると、
渡し守が「はやく舟に乗れ、日も暮れてしまう」と言うので、乗って川を渡ろうとすると、
一行はみな何となく心細くて、京に愛しい人がいないわけでもない。
ちょうどその時、白い鳥でくちばしと脚が赤い、鴫ほどの大きさである鳥が、
水の上を動き回びながら魚を食べている。
京では目にしたことのない鳥なので、一行は誰も見知っていない。
渡し守に訪ねたところ、「これが都鳥だよ」と言うのを聞いて、

名にしおはば・・・〔都鳥よ、そんな名を持っているならば、さあお前に訪ねようじゃないか。京の都にいる、私の愛するあの人が無事でいるのかいないのかを〕

と詠んだところ、舟に乗っていた者はみなこぞって泣いてしまった。


【現代語訳】
なほゆきゆきて、武蔵の国と下総の国との中に、いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。
その河のほとりに群れゐて思ひやれば、
かぎりなく遠くも来にけるかなとわびあへるに、
渡守、「はや舟に乗れ、日も暮れぬ」と言ふに、乗りて渡らむとするに、
みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。
さるをりしも、白き鳥の、はしとあしと赤き、鴫の大きさなる、
水の上に遊びつつ魚を食ふ。
京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。
渡守に問ひければ、「これなむ都鳥」と言ふを聞きて、

名にしおはばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと

とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。


【語釈】
◯「武蔵の国と下総の国」
武蔵の国は現在の埼玉・東京・神奈川のあたり。下総の国は現在の埼玉・東京・千葉・茨城にまたがっていた。すぐあとに出てくるように隅田川を武蔵の国と下総の国との境としていた。

◯「白き鳥の、はしとあしと赤き、鴫の大きさなる」
「白き鳥の」の「の」は同格の用法。「大きなる」という形容動詞連体形のあとに不足している名詞が「白き鳥」になる。

◯「都鳥」
現在の「ミヤコドリ」とは違い、ユリカモメを指すとされる。確かに、現在のミヤコドリだとすると「白い鳥」とは言わない。

◯「名にしおはば」
「名におふ」というのは、名を背負っている、つまり名付けられていること。「し」は強意の副助詞。


オチはありまへんよ、この話は。(笑)

『伊勢物語』は「で、何?」って話も結構あります。

まあ、初めに歌ありき、そこにあとから物語をつけたものですから仕方ありません。

物語よりも歌に重きがあるのが歌物語です。

本当に有名な章段で、この内容は丸ごと古文常識と言っても過言ではありません。

はい、というわけでして、3回に分けてお届けしてきましたが今回で終わりでごじゃりまする。

 

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