~前回までのあらすじ~
1)醍醐天皇の御代、左大臣時平と右大臣道真が国政を取り仕切っていたが、道真の方が学問があり帝からの信も厚かった。内心面白くない時平だったが、ちょうど道真に不都合なことが起こり、道真は左遷され、大宰府に流されるのだった。
2)道真には多くの子がいたが、それぞれ別々の地へと流されることになった。あまりにも幼い子は道真に同行することを許されたが、道真は無実の罪を嘆いて和歌を詠み、ついには出家して大宰府へと下っていくのだった。
3)詩や歌を詠みながら大宰府に到着し、いつか都に呼び戻されることを密かに期待し、何かにつけて和歌を口ずさむ道真だった。
4)淀みなく話を続ける世継じいさんに、話を聞く者たちはすっかり引き込まれていた。そこで世継じいさんはますます気をよくして話し続けるのだった。
世継じいさんの話は大宰府での道真の様子の続きです。
【現代語訳】
大宰府では、お暮らしになる邸の門を固く閉ざしていらっしゃる。
次官である大宰大弐のいる役所は遠いけれど、楼の屋根の瓦などが何気なく目にお入りになったが、
また、とても近くに観音寺という寺があったので、鐘の音をお聞きになってお作りになったのがこの詩であるよ。
都府楼纔看瓦色 観音寺只聴鐘聲
(大宰府の高い建物は瓦の色が僅かに見えるばかり、観音寺はまったく姿が見えず、鐘の音がただ聞こえるばかりだ)
これは、『白氏文集』に所収されている、白居易の、
遺愛寺鐘欹枕聴 香爐峯雪撥簾看
(遺愛寺の鐘は枕を高くして聞き、香爐峯の雪は簾をはねあげて見る)
という詩よりも優れた様にお作りになったと、昔の博士たちは申し上げた。
また、その大宰府で九月九日、菊の花をご覧になったついでに、
まだ京にいらっしゃった時、同じ九月の九日の夜、宮中で観菊の宴あったが、
この道真公がお作りになった詩に帝がひどく感心なさって、褒美に御衣をいただきなさったのを、
大宰府に持ってお下りになっていたので、ご覧になると、
いっそうその時のことが思い出されなさって、お作りになった詩が、
去年今夜侍清涼 秋思詩篇獨斷腸 恩賜御衣今在此 奉持毎日拜餘香
(去年のちょうど今夜、清涼殿に伺候し、「秋思」の題の詩に、もっぱら断腸の思いをこめた。
かたじけなくも帝からいただいた御衣は今ここにあり、毎日両手に捧げて、帝の残り香を拝している。)
この詩について、大変に人々は感動し申された。
世継じいさん、歌や漢詩をすらすら披露したのが予想以上にウケたことで気をよくし、
調子に乗ってますます漢詩を紹介しているようです。
結果、歴史物語としての話の展開はまったくありません(笑)
途中で白居易の漢詩が比較対象としてでてきますが、これは『枕草子』でもそれを題材にした章段があります。
その『枕草子』の章段についてはこちらをどうぞ。
『源氏物語』も白居易の「長恨歌」を下敷きにした所がありますし、
要するに白居易という詩人は平安王朝で大流行したと言われます。
海外のアーティストで日本でも人気、今でいうとレディー・ガガとかですか?(笑)
白居易とレディー・ガガが同列かどうかはさておき。
そもそも話が先に進まないからこんなことを書く羽目になっただけのことで。
ああ、それから。
「観菊の宴」というのが出てきますが。
九月九日は「重陽の節句」と言いまして。菊の花を浮かべた酒を飲んだり、菊を観賞したりします。
陰陽道では「奇数=陽」「偶数=陰」とされ、
1月1日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日、
という奇数で同じ数字が重なる日は、陽の気が強すぎて逆にイカンということで、節句として邪気(?)を払うのです。
ただ、1月1日はそもそもお祝いをする元旦なので、1月7日が節句に設定されています。
では、原文を紹介して終わりにしましょう。
【原文】
筑紫におはします所の御門かためておはします。
大弐のゐ所ははるかなれども、楼の上の瓦などの、心にもあらず御覧じやられけるに、
又いと近く観音寺といふ寺のありければ、鐘の声を聞こし召して作らしめ給ふ詩ぞかし、
都府楼纔看瓦色 観音寺只聴鐘聲
(都府楼は纔かに瓦の色を看て、観音寺は只だ鐘の聲を聴く)
これは、文集の、白居易の、
遺愛寺鐘欹枕聴 香爐峯雪撥簾看
(遺愛寺の鐘は枕を欹てて聴き、香爐峯の雪は簾を撥ねて看る)
といふ詩にまさざまに作らしめ給へりとこそ、昔の博士ども申しけれ。
又、かの筑紫にて、九月九日、菊の花を御覧じけるついでに、
いまだ京におはしましし時、九月のこよひ、内裏にて菊宴ありしに、
このおとどのつくらせ給ひける詩を帝かしこく感じ給ひて、御衣賜り給へりしを、
筑紫にもてくだらしめ給へりければ、御覧ずるに、
いとどその折思し召し出でて作らしめ給ひける、
去年今夜侍清涼 秋思詩篇獨斷腸 恩賜御衣今在此 奉持毎日拜餘香
(去年の今夜清涼に侍し 秋思の詩篇獨り断腸 恩賜の御衣今此に在り 奉持して毎日餘香を拜す)
の詩、いとかしこく人々感じ申されき。
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