~前回までのあらすじ~
1)醍醐天皇の御代、左大臣時平と右大臣道真が国政を取り仕切っていたが、道真の方が学問があり帝からの信も厚かった。内心面白くない時平だったが、ちょうど道真に不都合なことが起こり、道真は左遷され、大宰府に流されるのだった。
2)道真には多くの子がいたが、それぞれ別々の地へと流されることになった。あまりにも幼い子は道真に同行することを許されたが、道真は無実の罪を嘆いて和歌を詠み、ついには出家して大宰府へと下っていくのだった。
3)詩や歌を詠みながら大宰府に到着し、いつか都に呼び戻されることを密かに期待し、何かにつけて和歌を口ずさむ道真だった。
4)淀みなく話を続ける世継じいさんに、話を聞く者たちはすっかり引き込まれていた。そこで世継じいさんはますます気をよくして話し続けるのだった。
5)気をよくした世継じいさんは、大宰府で謹慎する道真が詠んだ漢詩を披露するのだった。
あのー、世継さん、、、
気持ちよく話しているところ大変申し訳ないのですが、そろそろ話を先に進めてもらえませんかねえ・・・
って感じですが、残念ながら今回も話は進みません。
それほど道真の左遷というのは衝撃的なことだったのでしょうね。
【現代語訳】
これらの詩歌はただバラバラに残っているというのでもなく、
漢詩の方は、例の大宰府でお作りになったのをかき集めて一巻におまとめになって、『菅家後集』と名付けなさった。
また、その折々の歌も書きとめなさっていたが、それらは自然と世に広まり人の耳に入るところとなったのである。
この世継めが年若くございました時、道真公の左遷があまりにもしみじみと悲しくございましたので、
大学の衆で少し貧しくていらっしゃった方のところを尋ね当てて訪問し、うまく言いくるめて、
それなりの、食べ物を入れた袋やら弁当箱やらを用意して持って行き、伺ってはこのような詩歌を習得していましたが、
老いが激しくて、みんな忘れてしまいました。これは、ほんの少し覚えているものです。
と世継じいさんが言うと、
それを聞く人々は「まったくもって本当に大変な物好きでいらっしゃるのだなあ。
今の人はそのような心があるものだろうか」などと感心しあっている。
というわけで。
告知通り、話は進展しませんでした(笑)
今回は、世継じいさんがなぜ道真の詠んだ詩歌を知っているのか、についての弁明でした。
ちょっと貧しい学生の所に行って、飯をご馳走する代わりに詩歌を教えてもらう、ってくだりは好きです。
こういうやり口っていうのは今も昔も変わらないものですね。
さて、次回でようやく話が進みますんで、お楽しみに。
【原文】
このことども、ただ散り散りなるにもあらず、
かの筑紫にて作集させ給へりけるをかきて一巻とせしめ給ひて、『後集』と名付けられたり。
また折々の歌書き置かせ給へりけるを、おのづから世に散り聞こえしなり。
世継若う侍りし時、このことのせめてあはれに悲しう侍りしかば、
大学の衆どものなま不合にいますかりしを訪ひたずね語らひ取りて、
さるべき餌袋、破子やうのもの調じてうちぐして、まかりつつ、習ひとりて侍りしかど、
老いの気のはなはだしき事は、みなこそ忘れ侍りにけれ。これはただ頗る覚え侍るなり。
と言へば、
聞く人々、「げにげに、いみじき好き者にもものし給ひけるかな。
いまの人はさる心ありなんや」など、感じあへり。
【語釈】
◯「大学の衆どものなま不合にいますかりしを訪ひたずね語らひ取りて」
官人養成機関である「大学寮」で学ぶ者を「大学の衆」という。「大学の衆どもの」は同格を意味する格助詞「の」。「いますかりし」の下に名詞が抜けているので、ここに「大学の衆ども」を下ろしてきて補うと意味が通じる。「不合(ふごう)なり」は「貧しい」の意味の形容動詞。「不完全な」の意味を添える「なま」がついているので、「不完全な貧乏人」つまり「少し貧しい人」ということになる。「語らひ取る」は「言いくるめる/説得して味方にする」の意味。結果、直訳すると「大学の衆で、少し貧しくいらっしゃった大学の衆を尋ね当てて訪問し、言いくるめて」となる。
◯「さるべき餌袋、破子やうのもの調じてうちぐして」
「さるべき」はスーパー重要語で「①しかるべき、相応の、②立派な、③そうなるはずの(運命)」などという意味を持つ。「餌袋(えぶくろ)」は弁当や食料を入れる袋。「破子(わりご)」は弁当箱。「調ず」は「①準備する、②調理する、③調伏する、④こらしめる」などの意味を持つ。「ぐす」は「連れ立つ」の意味で使われることが多いが、ここでは「持参する」の意味。
[ 大鏡~菅原道真~(5)][ 大鏡~菅原道真~(7)]