~前回のあらすじ~
1)五月、雨の日が続いてすることもないのでホトトギスの鳴き声でも聞きに行こう、と出かけることにしまちた。
というわけで、清少納言ちゃんはおでかけするのでした。
そうそう。そういえば前回書き忘れましたが、古文の五月は現在の六月に相当するので梅雨どきです。
梅雨のことを「五月雨(さみだれ)」というのもここからきています。
現在の五月に降る雨のことを五月雨だと勘違いしている人もいるかもしれませんが、梅雨のことです。
ちなみに「五月晴れ(さつきばれ)」というのも、もともとは梅雨の時期の晴れ間のことを言います。
さあ、ホトトギスを聞きにおでかけパート2です。
【原文】
かくいふ所に、明順の朝臣の家ありけり。
そこも「いざ見ん」と言ひて車よせて下りぬ。
田舎だち、ことそぎて、馬の絵かきたる障子、網代屏風、三稜草の簾など、ことさらに昔のことをうつしたり。
屋のさまもはかなだち廊めきて端近き、あさはかなれどをかしきに、
げにかしがましと思ふばかりに鳴きあひたる郭公の声を、
「口惜しう、御前にきこしめさせず、さばかり慕ひつる人々を」と思ふ。
「所につけてはかかることをなん見るべき」とて、稲といふものを取り出でて、
若き下衆どものきたなげならぬ、そのわたりの家の女などひきゐて来て、五六人してこかせ、
また見も知らぬくるべくもの、二人して引かせて、歌うたはせなどするを、めづらしくて笑ふ。
郭公の歌よまむとしつる、まぎれぬ。
【語釈】
◯「明順の朝臣」読み:あきのぶのあそん
高階明順。中宮定子のおじにあたる人物。
◯「ことそぎて」
「事削ぎて」で、余分なことを削ぐわけだから、簡素・質素にして、の意味。
◯「網代屏風」読み:あじろびょうぶ
◯「三稜草」読み:みくり
「溝や浅い池に生える。葉は根生し,長い線形。夏,花茎の先が分枝し,上方に雄性の,下方に雌性の頭状花序をつける。花後,緑色球形の栗に似た集合果をつける」by.コトバンク。その茎で編んだ簾が「三稜草の簾」。
◯「若き下衆どものきたなげならぬ」
「下衆」は低い身分の者。「の」は同格。「若く身分の低い者で、こぎれいな者」の意味。
◯「五六人してこかせ」
「して」は格助詞で、使役の対象を示す。「こく」は「稲こき」。刈り取った稲の穂から籾をこいて落とすことを稲こきという。「せ」はもちろん使役の助動詞。
◯「二人して引かせて」
おそらく「挽き臼」だろうと言われる。米粉から煎餅などを当時すでに作っていた。
【現代語訳】
このようにいう所に明順の朝臣の家があったのだけど。
そこも「さあ見物しましょ」と言って、車を寄せて下りたわ。
田舎っぽく簡素にして、馬の絵を描いた襖障子、網代屏風、三稜草の簾とか、あえて昔の雰囲気を作っているの。
家屋も心細い感じで、廊のようで縁側が近く奥行きはないけれど風情があって、
本当にうるさいと思うほど一斉に鳴いているホトトギスの声を、
「残念、中宮様のお耳にも入れずに、あれほど聞きたがっていた人達を差し置いて…」と思ったわ。
明順朝臣が「こんな田舎ですから、こういうのを見るのがいいでしょう」と言って、稲というものを取り出して、
若くこぎれいで身分の低い、近所の家の娘なんかを連れてきて、五~六人で稲こきをさせ、
また見たこともないくるくる回るものを二人に引かせて、歌なんか歌わせたりするのを、珍しく思って笑ったっけ。
ホトトギスの歌を詠もうと思っていたのは忘れちゃったわ。
というわけで、ひとまずホトトギスの鳴き声を聞くことに成功した清少納言ちゃんでした。
しかしホトトギス好きで名高い清少納言ちゃんが「うるさいと思うほど」というくらいですからね。
よっぽどの大合唱だったのでしょう。(ホトトギスの鳴き声)
あー、定子ちゃん出てこない!w
[ 枕草子~五月御精進のころ~(1)][ 枕草子~五月御精進のころ~(3)]