今昔物語~元輔の落馬~②


~前回のあらすじ~

賀茂祭の奉幣使であった清原元輔が一条大路で落馬して被っていた冠が落ちまちた。
するとツルピカにはげ上がった頭が晒されたのですが、
元輔は慌てもせず、様子を見ていた殿上人のもとに歩み寄っていきまちた。

さて、今回は元輔が様子を見ていた殿上人たちに語りかけます。


【原文】
しかる間、元輔、君達の車の許に歩び寄りていはく、
「君達は元輔がこの馬より落ちて、冠落としたるをば、をこなりとや思ひ給ふ。
其れはしか思ひ給ふべからず。
其の故は、心ばせ有る人すら、物に躓きて倒るる事、常の事なり。
いかにいはむや、馬は心ばせ有るべきものにもあらず。
其れに、この大路は極めて石高し。
また、馬の口を張りたれば、歩ばむと思ふ方にも歩ばせずして、と引きかく引き転べかす。
しかれば、我にもあらで倒れむ馬を悪しと思ふべきにあらず。
其れに、石に躓きて倒れむ馬をばいかがはすべき。
唐鞍はいとさらなり。もの抅ふべくもあらず。
其れに、馬はいたく躓けば落ちぬ。其れまた悪しからず。
また、冠の落つるは、物にて結ふるものにあらず。
髪をもってよく掻き入れたるに捕へらるるなり。
それに、鬢は失せにたればつゆなし。しかれば、落ちむ冠を恨むべきやうなし。
また其の例なきにあらず。[ ]大臣は、大嘗会の御禊の日落し給ふ。
また[ ]中納言は、其の年の野の行幸に落し給ふ。
[ ]の中将は、祭のかへさの日紫野にて落し給ふ。
かくのごときの例、数へやるべからず。
しかれば、案内も知り給はぬ近ごろの若君達、これを笑ひ給ふべからず。
笑ひ給はむ君達、返りてをこなるべし」。


【語釈】
◯「をこなり」
重要語。バカだ、愚かだ、の意味。

◯「心ばせ」
いくつか意味があるが、ここでは「思慮分別」の意味。

◯「いかにいはむや」
まして、の意味。

◯「石高し」
石の多いでこぼこ道のことを言う。

◯「馬の口を張りたれば」
「口を張る」というのは、馬を引く従者が綱を引っ張ること。

◯「我にもあらで」
何が何だか分からずに、の意味。

◯「唐鞍」読み:からくら
唐風の豪奢な飾り付けをした鞍。足をかける鐙(あぶみ)が輪っかになっていて不安定。

◯「
もちろん、王冠みたいなものとは違う。頭を人前にさらすのは当時としては最大級の恥辱だったという。

◯「髪を以て、よく掻き入れたるに捕へらるるなり」
冠は後頭部のあたりから上に高くつきだしているものがある。それを「巾子(こじ)」という。巾子に束ねた髪(髻)を差し込むことで冠を頭に固定する。

◯「野の行幸」
冬の鷹狩りの行幸(みゆき)のことを言う。


【現代語訳】
その間、元輔が君達の車のもとに歩み寄って言うには、
「君達は、元輔がこの馬から落ちて冠を落としたことを、バカだと思っておいでかな?
それは間違っていらっしゃいますぞ。
なぜなら、思慮分別のある人でさえ、ものに躓いて転ぶのはよくあることじゃ。
ましてや、馬には思慮分別などあるはずもない。
それに、この大路は石がごろごろしているデコボコ道じゃ。
また、馬の口綱を引いているから、馬が歩こうと思う方に歩かせもせず、右に左に綱を引いて転ばせてしまったのじゃ。
じゃから、何が何だか分からずに倒れた馬を憎らしいと思うべきでもない。
それに、石に躓いて倒れる馬をわしにはどうにもできんじゃろ。
唐鞍ではまったく言うまでもない。鐙に足がしっかりとかけられないのじゃ。
それに、馬がひどく躓いたからわしは落ちたのじゃ。じゃからわしの落ち度でもない。
また、冠が落ちたことについては、冠というのはひもで結んで固定するものではない。
髪を巾子の中に差し込んで固定するものじゃ。
ところがじゃ、髪はホレ、この通りなくなってしまって一本もない。じゃから、落ちた冠を恨むわけにもいかん。
それからまたな、冠を落としたことについては前例がないわけでもないですぞ。
[ ]大臣は、大嘗会の御禊の日に落としなさった。
また、[ ]中納言は、その年の野の行幸で落としなさった。
[ ]の中将は、葵祭の帰りの日、紫野で落としなさった。
このような例は数え切れないほどあるのじゃ。
じゃからな、事情もご存じない近頃のお若い君達は、これをお笑いになってはいけませんぞ。
お笑いになった君達こそが、かえって愚かだということになるでしょうからな」。


ずいぶんと長いですね。

清少納言のお父ちゃん、なかなかの人物でしょ?

この父にしてあの娘あり、というのは何となく頷ける気がしませんか?

というわけで、次回がラストです。

今回はこの辺で。

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