帝が「あの世へ旅立つのも一緒に、とお約束なさったのだから、いくら何でも私を捨てて行くことはできないはずだよ」
とおっしゃると、桐壺様も、非常に悲しい気持ちで帝を見つめ申し上げて、
「かぎりとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり
〔これを限りと上様とお別れするあの世への道は悲しくて私も行きたくはありません。この命を生きていとうございます〕
本当にこんなことになると思っておりましたならば…」と息も絶え絶えに、申し上げたそうなことがあるようなのですが、
とても苦しそうでだるそうなので、
このまま、例えどんな結果になろうとも最後までお見届けなさろう、と帝はお思いになるのですが、
使いの者が来て「今日始めることになっている祈祷を、しかるべき僧侶たちがお引き受けしておりますので、
さっそく今夜から」と申し上げ、桐壺様の里下がりを急かすものですから、
帝は非情なことをとお思いになりながらも、とうとう桐壺様を退出させなさいました。
帝は桐壺様のことを思うと御胸が塞がるばかりで、
一睡も出来ず、夜を明かすのも難儀していらっしゃるかのようでした。
そのような中、桐壺様のお屋敷で「夜半を過ぎるころに息を引き取りなさいました」といって泣き騒ぐので、
帝の使いも、がっくりと落胆して内裏にお帰りになるより他ありませんでした。
その報をお聞きになる帝のお心の乱れといったら、もはや何も考えることがおできにならず、
ただもうお籠もりあそばすばかりなのでございました。
※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。
桐壺更衣かわいそす・・・
この方、どうしても中宮定子とだぶって見えるんですよね。
中宮定子もまた激動の人生を送った方でした。
桐壺更衣と違って、父親は「中の関白」といわれた藤原道隆だったので、後ろ盾は最強でした。
しかし、関白道隆は大酒飲みだったこともあってか、早死にしてしまいました。
後ろ盾を失った定子は、その後、兄・伊周が花山院殺人未遂事件を起こしたことから、落飾(出家)してしまいます。
しかし一条天皇の愛が深かったため、呼び戻され、「皇后定子」として天皇の后の座に復帰します。
ただし、この時にはすでに藤原道長の娘・彰子が中宮の座についていました。
皇后定子はもとの登花殿ではなく、「職の御曹司」と呼ばれる後宮でもない所に住まわされることとなりました。
そう、ここから先が『源氏物語』の桐壺更衣と重なるのです。
そもそも、出家後に再入内というのが異例のこと、そしてそんな定子を愛して足繁く通う一条天皇。
一条天皇は彰子よりも定子の方にお心があったと言われています。
そこで道長は定子に嫌がらせをします。
しかしまあ、そんなことをすれば一条天皇はますます定子を大事にしますわな。
その結果、定子は出産が続き、ついには母体がもたずに崩御あそばしてしまうのです。
この『源氏物語』桐壺の巻はさりげない(かどうか不明)中宮定子へのレクイエムではないかと。
当時の人が読んだらますますそう思ったことでしょうね。
という考えはすでにないものかと思って調べてみたらやはりありました。(こちら)
『源氏物語』の作者は紫式部。そう、中宮彰子に使えた女房です。
皆さんは、彰子方の人間である紫式部が、定子へのレクイエムを書いたことをどう解釈しますか?
PHP新書「『源氏物語』と『枕草子』」において、小池清治氏は、
「紫式部は、清少納言が果たせなかった敵討ちをひそかに行っていたのかもしれない」と記されています。
そうかもしれない、と僕も思います。
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