名文として名高い『方丈記』の冒頭です。
暗唱させられた、という人も多いのではないでしょうか。
【原文】
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。
世の中にある、人と栖と、またかくのごとし。
【語釈】
◯「うたかた」
泡のこと。
◯「かつ~かつ~」
一方では~、また一方では~
◯「結ぶ」
ここでは、泡ができることをいう。
◯「栖」読み:すみか
意味は現代語と同じで、住まいのこと。
【現代語訳】
流れゆく川の流れは絶えることがなく、しかも同じ水ではない。
川淀に浮かぶ水泡は、一方では消え、また一方ではあらたに生じ、いつまでもとどまっている例はない。
世の中にある人や住まいもまたこれと同じである。
『方丈記』は鎌倉時代初期に鴨長明が書いた随筆です。
『枕草子』『方丈記』『徒然草』のことを「三大随筆」と呼びます。
さて、この一節は「無常観とはどういうものか」というのを教えるときに分かりやすい文だと思います。
以前にも書きましたが「世の中に永遠不滅のものはない/人間はいつか必ず死ぬ」というのが無常観です。
人は必ず死にますが、仏教の世界では転生して生まれ変わると考えています。
生まれ変わった先が、またこの世なのか、極楽なのか、はたまた地獄なのか、それは様々です。
が、とにかく、ヒトというものを、身体というイレモノで考えるのではなく、
魂というナカミで考えると、魂は永遠に旅を続けていくことになります。
すると、この世における住まいというものは仮のもの、ということになります。
転じて、この世そのものが「仮の住まい」というふうに考えるのですね。
そんな現世で立派な家を築くことに意味はない、という風に無常観を論じる文章では述べられます。
ですから、当然、出家した人の家や暮らしは質素です。
質素な暮らしで仏道に身を捧げることで、極楽往生を遂げることを目指すのが仏道者です。
この『方丈記』の冒頭部分は無常観が実に端的に書かれていますね。