徒然草~深夜のお片付け~


夜中に部屋の片付けを始めてとまらなくなる・・・

そう、それは徹夜フラグ。

体育祭とか部活とかの写真を発見して「やべー、懐かしすぎるうぅゥゥッ!」ってなる。

そしてAM3:30ごろ Σヾ(;☆ω☆)ノギャアアーー!! ってなる。

 

比較的ありがちな、やっちまったとよく耳にする出来事かと思います。

昔の人もやってしまうことがあったようです。


【現代語訳】
心静かに思うと、あらゆることに関して、過ぎ去ったことの恋しさばかりはどうしようもない。
人が寝静まった後、秋の夜長の暇つぶしに、どうということもない調度品を片付けていると、
残しておくまいと思う、書き損じた紙などを破り捨てているうちに、
亡くなった人が気楽に書いた歌や、気の向くままに描いた絵などを見つけ出した時は、
ただもう、その時に返ったような心地がする。
今も生きている人の手紙でさえ、ずいぶん時がたっていると、
どんな機会のいつの年だっただろうか、と思うのはしみじみとした気持ちがするものだよ。
愛用していた遺品なども、その物に心はなくても、変わらずに長く昔のままの姿であるのはとても悲しいものだ。


『徒然草』の第29段です。

最初に書いたような気楽なお片付けの話ではありませんでしたね。

でも、徹夜フラグなのは間違いないでしょう。

さて。

自分はまだそれほど年を重ねていないので、旧友が死んだという経験が現時点ではありません。

でも何となく共感はできます。

 

今年(2013年)は酷暑でした。

しかし9月も第2週に入ると、朝晩はひんやりするようになってきました。

秋の夜長を楽しむシーズンの到来です。

この章段のように、部屋の片付けをして夜を過ごすつもりはありませんが。

本を読んでは酒を飲んだり、酒を飲んでは本を読んだりしようかなあ、と思っています。


【原文】
静かに思へば、よろづに過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき。
人静まりて後、長き夜のすさびに、何となき具足とりしたため、
残し置かじと思ふ反古など破り捨つる中に、
亡き人の手習ひ、絵かきすさびたる、見出でたるこそ、
たゞその折の心地すれ。
このごろある人の文だに、久しく成りて、
いかなる折、いつの年なりけんと思ふは、あはれなるぞかし。
手馴れし具足なども、心もなくて、変らず久しき、いと悲し。


【語釈】
◯「せんかたなき」
重要語「せんかたなし」の連体形。どうしようもない、仕方ない、の意味。係助詞「ぞ」の影響で連体形となっている。

◯「具足」
道具類、調度品などのこと。

◯「反古」読み:ほうご
書き損じをした紙のこと。

◯「手習ひ」
①習字、字を練習した紙 ②古歌や自作の歌を思い浮かぶままに書くこと、あるいは書いた紙 ③修行、稽古、学問、などの意味を持つ。ここでは②で取った。

◯「絵かきすさび」
動詞+「すさぶ」は「気の向くままに~する」という意味になる。

◯「このごろある人の文だに」
ここでの「ある」は「存在する⇒生きている」の意味。「このごろ」今現在のこと。「だに」は重要な副助詞で、①~でさえ、②~だけ、の意味を持つ。「今現在生きている人の手紙でさえ」と訳せる。

◯「手馴れし」
愛用していた、ということ。ここでは故人が愛用していた、ということのようだ。

 

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