その頃、私が思ったことは、
『こうして一途に私を慕い、またおどおどしているような人だ。
何か懲り懲りするようなことをしてこの妻を脅かして、この嫉妬深さも意地の悪さもなおしてやろう』と思って、
嫉妬が本当に嫌だと思って離縁に踏み切りそうな素振りでいたら、
女は自分にあれほど首ったけなら懲りるだろうと思いまして、わざとそっけなく冷淡な態度を見せて、
いつものように妻が腹を立てて恨むので、
『お前がこんな風に気が強いなら、どんなに夫婦の縁が深かったとしても別れよう。
お前の方ももう終わりで良いと思うなら出鱈目に疑っているがいいさ。
末長く夫婦でいたいと思うなら、恨めしいことがあっても我慢しておおらかになって、
その嫉妬深い所さえなくなれば、私はお前をとても愛しく思うことができるだろう。
私が人並みに出世して少し成長すれば、お前は最愛の妻になるだろうな』などと、
我ながらうまくいったものようと思い、いい気になって喋りたおしていましたら、
女が少し笑みを浮かべて、
『色々と、あなたが見栄えがせず目立ったところがない間を耐え忍び、
一人前になる日がくるかしらと待つのはたいそう穏やかでいられて、不満もございません。
しかし、あなたの薄情さに我慢しながら、
あなたの浮気性が直る機会を見出そうと無駄な期待に年月を重ねていくのはとても苦しいに決まっているので、
お互いに別れるべき時のようですね』
※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。
引き続き、左馬の頭のセリフです。
若気の至りとはいえ馬鹿ですね、男が女に勝てるわけないのです。笑
そもそも、一夫多妻とはいえ男の方が悪いわけですしね。
制度的には悪いことではないんですけど、まあ女性からしたら面白くないですよね。
藤原道長の正妻・倫子なんかは余裕ある態度を示していたようですが。
性格や、何よりもその女性自身の立場によっても違うのは当たり前ですね。
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