光る君は、ちゃんと姉を調略しているだろうか、と心配しながら横になって幼い弟をお待ちになっていましたが、
そこに小君が戻ってきて、自分が役に立たなかったことを申し上げますと、
「これは驚いた。お前の姉は世にも珍しいほど固い貞節の持ち主だね。何だか自分が気恥ずかしくなってきたよ」
と、たいそうお気の毒なご様子で、
その後しばらくは何もおっしゃらず、ため息ばかりついて、つらいことだと思っていらっしゃるのでした。
「帚木の心を知らで園原の道にあやなくまどひぬるかな
〔遠くからは見えるが近づくと見えなくなるという園原にあるという帚木のように、情があるかと見せかけておいて冷淡なあなたの心を、そうだとは知らずに空しい恋路に迷い込んでしまったことです〕
申し上げようのないことです」と御文をお書きになりました。
女君もさすがに寝られずにいたので、
「数ならぬふせ屋に生ふる名の憂さにあるにもあらず消ゆる帚木
〔取るに足りない粗末な家に住まう情けない私は、園原の伏屋に生えるという帚木のように、見えても触れることのできないものとしてあなたの前から姿を消すのです〕
と返歌を申し上げました。
小君には光る君のことがとても気の毒に感じられて、眠気もどこへやら、せっせと文使いの役を果たしておりましたが、
そのことについても女君は、人が不審に思うだろうと困惑なさるのでした。
例によって光る君の従者たちはぐっすり寝込んでいましたが、
光る君お一人だけは、ただただ空しいお気持ちにとらわれなさっておりました。
「またとないあの人の強情さが、消えるどころかますますはっきりと見えていることだ」と癪に障りつつ、その一方で、
「このような人だからこそかえって心が惹かれてならないよ」とお思いになるのですが、
女君が驚くほどにつれない態度なものですから、もういい、と一度はお思いになったものの、
そう簡単にはお諦めにもなれず、
「やっぱりあの人の所に連れていってくれ」と小君におっしゃいましたが、
「とても面倒なところに籠もっていて、女房たちもたくさんそばにいるみたいで、申し訳ありません」と申し上げました。
小君は光る君に同情しているようでした。
「ではしかたあるまい、お前だけは私を見捨てないでくれよ」とおっしゃって、近くにお寝かせになりました。
若々しくて心惹かれるご様子の光る君の近くにいられることを小君は嬉しく素晴らしいことだと思っているので、
光る君は冷たい女君よりも、かえってこの素直な弟のことをかわいくお思いになったそうでございます。
※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。
ついに完結、「帚木」の巻。
この巻はけっこうな分量がありましたね。
「桐壺」の巻はこのブログだと23回で終わっているので、その倍弱です。
もっとも、1回ずつの分量は一定ではありませんが。
そして、この巻名「帚木」ですが、この最後の和歌のやりとりから名づけられています。
「帚木ははきぎ」は「ベネッセ古語辞典」によると、
信濃しなのの国の園原にあったという伝説上の木の名。遠くからは見えるが、近くに行くと見えなくなるという。情があるようにみえて実のないこと、また会えるようで会えないことなどにたとえる。
と説明されています。
もっと細かく言うと、園原伏屋といところに生えていた、とWikipediaさんには書いてあります。
伏屋というのは空蝉ちゃんの返歌の方で使われていますね。
園原は今でいうと長野県下伊那郡阿智村智里園原の里というところだそうです。
その園原の里のあたりは、古くは伏屋とよばれていたとのことです。(参照)
ちなみに、次の巻は「空蝉」なので、この空蝉ちゃんの話が続くことになります。
ではこれで「帚木」の巻は終了です。
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