言いようもないほどの衝撃的なできごとでした。
どうしたらよいかと信頼して相談なさるのに相応しい人もおりません。
こうした場合、僧侶を信頼に足るものとお思いになるはずですが。
強がってはいらっしゃいましたが、まだまだお若いので、女が亡くなってしまったのをご覧になると、
もうどうしようもなくて、俄に女の身を抱きしめて、
「愛しい人よ、生き返ってください。私に悲しい思いをさせないでください」
と話しかけなさってみたのですが、すでに身体はすっかり冷たくなっており、何となく遠ざけたい感じがしました。
右近は、ただ気味が悪いと思っていた感情も消え去り、激しく泣き叫んでいる様子は非常に痛ましくございました。
光る君は紫宸殿に棲みついている鬼が何とか大臣を脅かし、撃退されたという例を思い出しなさって、気丈に、
「いくら何でも、完全にお亡くなりになったのではないだろう。夜の声はおおげさに響くから泣くのはおやめ」
と右近をお諫めになりつつ、あまりにも急な展開に、呆然となさるのでした。
そして管理人の子をお呼びになって、
「ここに、とても奇妙なことだが、物の怪に襲われて苦しんでいる人がいるのだ。
今すぐ惟光朝臣がいる所に行って急ぎこちらへ参上するように言ってこい、と使いの者に命じてくれ。
阿闍梨がいたら、それもこっそり呼ぶように。あそこの尼君が聞きつけるとうるさいからおおげさに言うなよ。
私のこうした忍び歩きを許さない人だから」
などと平静を装っておっしゃるようですが、実のところ胸がいっぱいで、
夕顔の女を死なせてしまうようなことが耐えがたいのに加え、辺りの不気味さは例えようもないほどでございました。
※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。
夕顔は息もしておらず、身体もすっかり冷たくなっているのですが、まだ諦めていません。
ただ、早くも死相があらわれて、ちょっと遠ざけたい気持ちになったと書かれています。
愛しい人を亡くした経験がないのですが、そういうものなんですかね。
紫宸殿の鬼のエピソードについて。
これは藤原忠平に残されている逸話です。
『大鏡』に、
紫宸殿で鬼に襲われそうになった忠平が太刀を引き抜いて鬼の手を掴んだところ、鬼は北東(鬼門)の方に逃げた。
という記事が載っています。
紫宸殿は前にも紹介したことがあるかも知れませんが、再掲します。
三省堂全訳読解古語辞典によると、
内裏の建物の一つ。内裏の正殿。朝賀・各種の節会せちえ(=白馬あおうま・端午・相撲すまい)などの儀式や宴などが行われた。南面して建てられ、十八段の階段があり、左右に左近さこんの桜、右近うこんの橘たちばなが植えられている。母屋の中央に御帳台、その後方に賢聖けんじようの障子がある。大極殿焼失後は即位の大礼も行われた。
と説明されています。古文中では「南殿」と書かれて出てくることがあります。
では今回はこの辺で。
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