源氏物語~夕顔~(26)


惟光が参上したとはいえ、こうした危急の状況下では経験豊富な年長者こそ頼りになるものです。

光る君も惟光も若い者どうしで、言いようもないほどですが、

「この院の管理人に、聞かせるのはとても不都合でしょう。

管理人ひとりだけを考えれば親しいでしょうが、いつの間にか漏らしてしまう身内もいるでしょう。

まずはこの院をお離れになるのがよろしいかと」

「しかし、ここよりも人が少ない所があるものだろうか」

「確かにそうでしょうね。女君の家は女房たちが悲しみに堪えられず泣きわめくでしょうし、

隣家は人も多く、見とがめる人も多くいるでしょうから、自然と噂になるでしょう。

山寺であれば、このようなことが多く持ち込まれるので、紛れるのではないでしょうか。

昔、私が親しくしていた女房が出家して尼をしております東山の辺りにお移ししましょう。

私の父の乳母だった者でして、老いさらばえて住んでいるそうです。

あたりには人も多くいるようですが、ひっそりとした所です」

と相談して決めると、惟光は夜がすっかり明けてしまう前に御車を用意しました。

光る君は、死体となってしまった夕顔の女を抱きかかえなさることができないので、

上筵にくるんで、惟光が車にお乗せしました。

女君はとても小さく、嫌な感じもなく、かわいらしくございました。

しっかりとくるんだわけではなかったので、髪の毛が外にこぼれ出ているのを見るにつけても、

あまりの悲しさに涙が溢れ、最後まできちんと見届けたいとお思いになりましたが、惟光が、

「早く御馬で二条院へお帰りください。人目につかないうちに」

といって、夕顔の近くには右近を乗せ、惟光は馬を光る君に献上すると、

自分自身は指貫の裾を引き上げるなどして徒歩となり、思いも寄らないお見送りではありましたが、

光る君の激しいお嘆きぶりを拝見しては、自分の身など最早どうでもよいと思われるのでした。

一方、光る君は正気を失い、茫然自失になりながらやっとの思いで二条院にご到着なさいました。

※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。


夕顔について、「完全に死んだわけではあるまい」などと言っていた光源氏ですが、

実際には死んでしまったことを受け入れているようです。

そして今回、惟光が「死体は東山の山寺に運びましょう」と提案をしています。

三省堂の全訳読解古語辞典で「東山」を引いてみると、

〔地名〕いまの京都市の東に南北に連なる丘陵。北は如意ヶ岳にょいがたけから、南は稲荷山いなりやままで、俗に東山三十六峰と称される。ふもとには銀閣寺・知恩院・八坂神社・清水寺きよみずでらなどの寺社がある。

山寺というのはそういうことに馴れている、と惟光は言います。

で、ちょうど東山の山寺である清水寺。


※画像:Wikipediaより。

有名なお寺さんですが、大昔は清水の舞台からご遺体を捨てていたのだ、などとも言われます。

本当か否か、それは知りません。

Yahoo!知恵袋ではその説は否定されています。

ただ、それにしても清水寺のあたりが葬送の地であったことは間違いないようです。

 

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