源氏物語~夕顔~(5)


惟光に、

「この西隣の家に住んでいるのは何者なんだろう。聞き知っているか」

とおっしゃると、「また例の厄介なお心か」とは思いましたが、そうは申し上げず、

「五六日ほどここにおりますが、病人の看病にかかりきりで、隣のことは聞き及んでおりません」

と素っ気なく申し上げると、

「煩わしいと思っているんだな。だが、この扇の持ち主はどうしても尋ね当てたい、由緒ある者のように思えるのだ。

この近辺の、よく事情を知る者を呼んで聞き出してくれ」

とおっしゃるので、惟光は家の中に入って番人をしている男を呼んで尋ねました。

「揚名の介の家でございました。その男は地方へくだっていて、その妻は年若く風流で、

その姉妹が宮仕えをして行き来していると申しておりました。

それ以上の詳しいことは低い身分の者には分からないでしょう」

と申し上げました。すると、

「ではその宮仕えをする者のようだな。得意気に、馴れ馴れしく歌を詠みかけてきたものよ。

しかし、がっかりな身分ではないかな」

とはお思いになるものの、

光る君を名指しして歌を詠みかけてきたその心には好感をおぼえ、そのまま打ち捨てておけないというのは、

毎度ながら、この方面に関しては本当に軽々しいお心だと言わざるを得ませんね。

懐紙に、まったく別人の筆跡であるように、こうお書きになりました。

寄りてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見つる花の夕顔
〔近寄ってこそ確実に判別できましょう。あなたが黄昏時に遠くからぼんやりと見た花が夕顔であるかは。―私が光源氏であるかどうかは近寄ってみれば確認できましょう―〕

先ほどの従者に持っていかせました。

※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。


「揚名ようめいの介」と出てきました。

平安時代の国司にあった官職だそうで、名前だけだそうです。

職務もなければ給与もなかったとのことで、名誉職ということになるようです。

Wikipediaによれば、平安末期~鎌倉初期の文人である藤原定家が「揚名の介とは何だか分からない」と言っているそうな。

そんなに早い時点で意味の分からない言葉になっていたのですね。

 

さて、光源氏の返歌ですが、前回の女の歌と同様に諸説あるようです。

前回の女の歌と並べてみましょう。

 

心あてにそれかとぞ見る白露のひかりそへたる夕顔の花

寄りてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見つる花の夕顔

 

とまあ、こういう贈答歌になっているわけです。

表の意味と、隠された裏の意味があるのは和歌によくあることですが、

表の意味、つまり表面上の意味だけに絞ると、こういうやりとりだと解釈しました。

 

女「遠くてよく見えないのですが、それは夕顔の花ではありませんか」

光「近づいてよく見てみないと本当に夕顔かどうか分かりませんよ」

 

次に、その表の意味から乖離しないように気をつけると、裏の意味はこのように解釈できました。

 

女「あなたはあの光る君様とお見受けしましたが、どうでしょうか」

光「そんな離れた所からではなく、近寄ってみてこそ本当にそうなのか分かるでしょう」

 

あくまでも自分の解釈で、他の解釈もありますので悪しからず。

 

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