そうだ。京都、行こう。
∑(゚m゚=)ハッ!!
【8/04】
朝6:30起床、愛車サウザンドなっつみぃ号でAM7:00ごろ出航。
今回なっつ号との記念撮影はしなかったので一番最近撮ったなっつ号で代用。
ナビに言われるがまま、杉田から湾岸線に乗り、なんちゃらかんちゃら走ってる間に東名高速へ。
平均して時速110~120km(第二戦速)で一気に浜松まで来て1回目の休憩(AM9:52)。
浜松に本社を構えるヤマハ。
ということで、建物はピアノをイメージしたデザインとなっております。
そしてせっかく浜松に来たので餃子を食べましたがまあ普通。
写真も撮り忘れました。笑
そのまま新東名を一気にブッ飛ばして伊勢湾岸道路に入り、ここで2回目の休憩(AM11:23)。
刈谷ハイウェイオアシス。
パーキングエリアの他にハイウェイオアシスというのが併設されている様子。
遠くからも目を引く観覧車がありましたが、もちろん乗りません。
まだ元気なのでちょこっと休憩をしてすぐ出発。
伊勢湾岸道路を走って伊勢湾を越え、三重県に突入。
するとデーーっかい遊園地を肉眼で捕捉。
やるな、三重県。
ここは「ナガシマスパーランド」という遊園地。
ジェットコースター乗りたいよう!(●`・(エ)・´●)プンプンという欲望が・・・
しかし、その手は桑名の焼きハマグリ。(←言いたかっただけ)
亀山ジャンクションで面舵いっぱい、琵琶湖に向かって舵を切りました。
新名神高速に入って3回目の休憩(PM12:52)。
土山サービスエリア。ということで早くも滋賀県に到着。
ここでお昼や!(σ¬’`*))ハラヘター・・・
フードコートとは別のレストランでやや本格的な近江牛を出すっぽい所もありました。
が、潔くフードコートで。
一応、近江牛とのことですが、ホントかどうか知らんし、別に期待してないし。笑
味は普通。
そして名神高速道路に入ると大津で高速を下り、大津の駅前でコインパーキングに駐車。
おい、京都に行くんじゃなかったのかよ!\(゚ロ゚ )ナンデヤネン!
京都には行くのですが、1日目の行程のメインは「逢坂の関」跡地を見ること。
なので、大津から逢坂山を越えて京都に入るという粋なコースになりました。
大津の駅から歩いて行き、まず発見したのはこれ。
関蝉丸神社。到着したのはPM2:32。
蝉丸せみまるは逢坂の関近くに住んでいたことで有名です。
歌人であり、なおかつ琵琶の名手だったと言われています。
上の写真に踏み切りが映っているのが見えますか?
神社の前に線路が通っていて、線路を越えると鳥居があります。
そしてやっぱりこの歌碑がありました。当然ですね。
これやこのゆくもかへるもわかれてはしるもしらぬも逢坂の関(蝉丸)
〔これがまあ、京を旅だって行く人と見送って帰る人とが別れる場かと思えば、また知っている人も知らない人も巡り逢う場でもある、まさにその名の通り逢坂の関であるのだなあ〕
そしてこれ。
かつてはここから湧き水が出ていたようです。
横には石碑がありました。
「せきの志三川」と彫ってあります。
僕の苦手な変体仮名ですが、でもこれくらいなら解読できました。
「せきのしみづ」すなわち「関の清水」です。
逢坂の関の近くには清水が湧き出ていた、というのは知っています。
鎌倉時代に書かれた後深草院二条の日記『とはずがたり』には、
「関の清水に映る自分の旅姿が情けなくて・・・」と出てきます。
しかし、この神社は逢坂山の麓にあって、逢坂の関はてっぺんにあります。
この位置関係は微妙な気がしました。
そしてもう一つ歌碑が。
逢坂の関のしみづに影見えていまやひくらむ望月の駒(貫之)
〔逢坂の関の清水に姿を映しながら、ちょうど今引いているのだろうか。信濃望月の馬を〕
紀貫之の屏風歌です。
旧暦八月に「駒引き」という行事がありました。
手元の辞書によると「陰暦八月、諸国から献上された馬を紫宸殿ししんでんで天皇に奏覧した儀式」とのことです。
その屏風絵に添えられた歌です。
望月というのは満月のことであると同時に、信濃の馬の産地でもあるとのこと。
さて、この麓の神社をあとにして、えっちらおっちら山登り。(`・ω・´)ヨイショ、ヨイショ
汗だくになって辿り着いたのはPM3:03。
大した距離ではないのですが、灼熱の太陽の下ですからしんどかったです。
「逢坂の関記念公園」ということですが、どこにも公園という刻印はなく。
地元の人に聞いても「石碑はあるけど公園はない」とのこと。
写真の右端に小屋が映っていますが、これはトイレです。
敷地面積はめちゃくちゃ狭く、公園というには無理があり、地元での認知がないのも当然です。笑
ここにも石碑がいくつか。
まずは歌碑が3つ。
上のは先ほどの関蝉丸神社にもあった歌なので省略。
左下の歌。
名にしおはば逢坂山のさねかずら人にしられでくるよしもがな(三条右大臣)
〔逢ってともに寝るという名を持っているなら、逢坂山のさね葛よ、そのさね葛を手繰りよせるように、人に知られずに逢いに来る方法があれば良いのになあ〕
右下の歌。
夜をこめて鳥のそらねははかるともよに逢坂の関はゆるさじ(清少納言)
〔夜更けに一番鶏の鳴き真似をして朝が来たとだまし、函谷関を通過したという中国の故事はありますが、逢坂の関はそんなことでだまされて開くことはありませんし、従ってあなたと男女の一線を越えて深い仲になることもないでしょう〕
まずは三条右大臣こと藤原定方の歌について補注します。
「さねかずら」は「真葛」と書きます。山地に生息する蔓草なので「手繰る」という連想から「来る」を導きます。
さらに、「さね」という言葉は古語で男女が共寝することを意味します。
逢坂山にも真葛が群生していたのでしょう。
先ほどの関蝉丸神社にもちゃんと展示されていました。
冬になると赤い実をつけるそうです。
そして清少納言ちゃんの歌です。
これは『枕草子』の一節から取り出した歌で、この歌を単体で理解するのは不可能です。
端的に言えば、藤原行成が清少納言を口説こうとしたのに対応した和歌ということになります。
函谷関かんこくかんのエピソードは有名で、囚われの身だった孟嘗君もうしょうくんという人が閉ざされている函谷関を抜けて逃げていくために、鶏の鳴き真似が上手だった部下に鳴き真似をさせると、朝が来たと勘違いした門番が関所を開けてしまい、逃げおおせた、という話です。
逢坂の関は「逢」という漢字が使われているため、出会うこと、ひいては男女が深い仲になることを連想させました。
清少納言の歌は、函谷関は突破できても逢坂の関は突破できませんよ、ということなんですね。
肝心の逢坂の関の石碑を忘れるところでした。笑
そして駅までまた歩いて帰るわけです。
暑いぞバカヤロー。(●`・ノдヽ・) バヵャロ-!!
登りはスルーしたのですが、実は中腹にもうひとつの関蝉丸神社があるのです。
一応、拝見してみましたが、麓の方が風情がありました。
さて、あとはお宿に向かうだけです。
お宿は仁和寺の近くの「旅館やまざき」という所を取りました。
仁和寺というのは、平安京を北西にちょっと出た所にあるので、京の中心からは離れています。
ということもあり、素泊まりで1泊4,500円というお安い所。
ところが着いてみると工事中・・・
料金は支払ってあるし、まさか悪質なサイトに騙されたのか!??
(☄ฺ◣д◢)☄ฺオーマイガー
と思ったら、離れの宿泊施設に案内されました。笑
この宿、外国人旅行客に人気があるそうです。
まあこの和風の庭が人気なのは分かる気がします。
がしかし、なぜか小さくてしょっぱい二宮金次郎の像まで。。。笑
【8/05】
さあ二日目です。
朝8:30に宿を出て、まずは仁和寺にレッツゴー。
宿から近いので歩いてみました。
到着したのはAM9:01。
どどーーーーーーーーーーーーーーーん!
到着すると出迎えてくれるのはドでかい二王門。
すごい迫力だぜ。
拝観料が必要なのは御殿だけですが、まずはその御殿へ。
白書院という建物内部のふすま絵。
絵を鑑賞する能力値は0なんですが、いわゆる趣深いというやつですかね。
良い雰囲気は味わえました。
そして、その白書院から見た南庭。
こういうのも枯山水っていうんですかね。
複雑な趣向をこらした模様ではありませんでしたが、綺麗でした。
広い敷地に真っ白く石庭が広がっているだけですが、これはこれで良い。
白書院を抜けると、ちょっとした販売所が。
取りあえず縁結びのお守りを買ってきました。
そしてその横には掛け軸が。
君がため春の野にいでてわかなつむわが衣手にゆきはふりつつ(光孝天皇)
〔あなたのために春の野に出て若菜を摘むよ。私の袖口に雪が降り積もりながらね〕
仁和寺というのは、光孝天皇の願いによって建立されたのだそうです。
ただし、完成する前に光孝天皇は崩御してしまわれました。
そして、次帝・宇多天皇の御代に完成されたという歴史があります。
ということで、仁和寺と関係なさそうな和歌だったのですが、光孝天皇の和歌ということで飾られておりました。
そして宸殿へ。
宸殿はふすまではなく木の戸に直に描かれた絵がありました。
変わった感じですがこれはこれで独特の雰囲気があって良いですね。
そして宸殿のお部屋。
広いですね!
右の写真に飾られているのは宇多院の肖像画だったと思います。
そして宸殿から眺める庭ですが、今度は北庭です。
こちらは石庭+池、その周りに樹木、という王道の日本庭園という雰囲気!
五重塔が奥ゆかしく見えるのも実に良いですねえ。
秋に来たら実に見事な紅葉が見られるようです。
そして宸殿を抜けると黒書院。
先ほどの白書院よりも少し寂れた雰囲気がありました。
そして霊明殿という建物に祀られている薬師如来様をお参り。
ここは写真を撮ると御利益がなくなりそうな気がしたので写真はなし。
ということで、御殿の拝観を終えて、その他の建物を見て回りました。
荘厳な雰囲気とサビな雰囲気を併せ持った素晴らしい仁和寺。
『徒然草』で有名な「仁和寺にある法師」シリーズの仁和寺を後にして、バスに乗って京都七条方面へ。
やってきたのはここ。AM11:18。
風俗博物館 COSTUME MUSEUM です。
ローソンの近く。
ビルの5階が風俗博物館です。
『源氏物語』を中心とした平安王朝物語の世界をミニチュアで再現しているのです。
光源氏の2番目の正妻である女三宮が仏門に入る儀式のシーンだそうです。
右の写真の中央に座っているのが光源氏です。
左は上と同じシーンからの1枚ですが、妻戸が開いて渡り廊下につながっている所を撮りたかったのです。
けど、渡り廊下がほとんど映っていませんね。
右は、几帳の奥に座る光源氏を激写。笑
女三宮の出家とは違うシーンです。
左は、古文を読んでいるとたまに出てくる朝餉の間。
天皇が朝食を召し上がるお部屋です。
右は、誰かの裳着もぎ(女子の成人の儀)のシーンだったと思います。
よく撮れてるでしょう?
こちらは婚姻のシーン。
左の写真は夕霧(光源氏の長男)と、沓取り人。
右の写真は「三日夜の餅」を準備する女房。
ということで、夕霧が雲井雁と結婚するというシーンなのです。
昔は、初めて一夜をともにした日から、三日連続で通い続けると結婚が成立したのです。
素朴でいいですよね。
男がすぐに帰ってしまわないようにという願いを込めて、男性の沓を大事にしまいます。
男の人は帰るときに沓を出してもらわないと帰れません。
そして目出度い3日目の夜には正式な結婚ということで餅が振る舞われます。
そして露顕ところあらわし(結婚披露宴)へと流れていきます。
夕霧のお相手である雲井雁がこちらだそうですが、奥ゆかしく扇でお顔を隠しています。
さて次。
遣戸やりどが綺麗だったので撮った写真です。
先ほどの妻戸と違って、スライド式の戸のことを遣戸というのです。
襖のような感じの戸ですが、ふさふさがついていますね。
女房がいっぱいすぎ、そしてお香を焚きすぎてこの後光源氏に叱られるシーンだそうです。笑
貴族女性やお仕えする女房は重ね着をするわけですが、その色合いが重視されました。
この配色を「襲かさねの色目」と言いました。
上の4枚の写真もそれぞれ配色パターンが違いますね。
お次は別室。
等身大の人形というかマネキンさんが装束を着ているお部屋。
襲の色合いが綺麗ですね。
それから、双六。
白と黒で勝負します。
サイコロを振って、先に敵陣に辿り着いた方が勝ちです。
こちらは「偏つぎ」というカードゲーム。
遊び方の詳細は不明、と書かれていましたが、バラバラになった偏と旁を組み合わせて漢字を作るのでしょう。
時と場合によりルールが柔軟に変更され、遊び方が複数あった可能性もあるでしょう。
『竹取物語』より、かぐや姫が月に召還されるシーンもありましたが割愛。
お腹がすいたので、適当に歩いて出くわしたラーメン屋へ侵入。
醤油ラーメンのネギ増し。PM12:36
ちょっと味が濃かったです。
さて、電車(奈良線)に2駅乗って伏見稲荷を参拝。
ベタすぎて嫌だなという気もしたのですが、1回は見ておかなくちゃ。
到着時刻はPM1:13。
ここはさすがに外国人観光客が多かったですね。
さて、伏見稲荷の本殿をお参りした後、山に登るコースに挑戦。
しかし、行けども行けども朱塗りの鳥居は尽きることなく、汗だくのヘトヘトに。
めっちゃ上まで登ったーと思って案内図を見るとまだ頂上までは倍以上ある感じ。
これでは他の観光に支障をきたすではないか、ということで勇気ある撤退。笑
というわけで中腹まで登った記念に景色を撮っておきました。
この時点での時刻はPM1:46。
ね?けっこう登った感あるでしょう?
でもこれで半分とかもう無理ですから!
艦首回頭、取り舵いっぱい!
ということで引き返してひたすら下山。
すると、パッと目に飛び込んできた鳥居の寄贈者名。
おおお!鉄人・衣笠やんけ!!
そんなわけで伏見稲荷を後にして、再び奈良線に乗車し、今度は宇治へ。
駅から近い平等院をお参りしました。
平等院に到着したのはPM3:01。
はいはい、十円玉ですねー、ということで適当にみて終了。笑
そこまで興味があるわけではない平等院と鳳凰堂。
せっかくだから、ということで拝観したまでです。
そして宇治川を越え、宇治川沿いをテクテク歩いて行きます。
この朱塗りの橋は「朝霧橋」という情緒ある名前がついておりました。
川沿いにあった石像。
台座には「源氏物語・宇治十帖」と書かれています。
宇治はお茶と平等院の他、「源氏物語の地」という地位も欲しているようです。
でも宇治十帖って光源氏が他界した後ですからね。
ちょっと苦しい気はしますが、頑張ってください!
というわけでやってきたのは源氏物語ミュージアム。到着時刻はPM3:45。
「風俗博物館」と似た雰囲気でしたが、こちらの方がミニチュアのスケールが大きいです。
囲碁の対局をする空蝉&軒端荻、それを覗く光源氏、というシーンです。
このシーンはすでに当ブログで訳している所です。(こちら)
赤っぽい装束の女性が軒端荻、白い装束が空蝉です。
軒端荻は暑さの余りに胸元を開いているはずなのですが・・・まあ諸事情あるのでしょう。笑
おやおや、また覗きですか?
しかし、今度は光源氏の子、薫君です。
右の写真は薫の目線でどう見えているのかを撮ってみましたが、ややボケました。
覗かれているのは、宇治の八の宮の娘、大君と中君の姉妹です。
左で琴を弾いているのが中君、右で琵琶を弾いているのが大君です。
薫は大君に夢中になるのですが、大君はあっけなくこの世を去るのですね。
その後、登場するのが大君に似ている浮舟ちゃん、通称ウッキーです。
そのウッキーの映画も上映されていたので鑑賞しておきました。
人形劇でした。
そして受付で購入したの!
ん~、素敵すぎる!
さて、1日汗をかきまくったのでスーパー銭湯へGO!
そしてお休みなさい。
【8/06】
帰るぜ!ということでAM9:15ころに出立。
で、京を離脱する前にほど近い清明神社へ立ち寄りました。
ところが、ナビさんが正しく案内してくれずに迷子。笑
結果、近いだろうと思われるコインパーキングに駐車して歩いて探しました。
そしたら路地でこんなものを発見。
木彫りのチョッパー!笑
チョッパー燃えてもすぐ消せるように(?)真横に消化器まで完備。
で、携帯のナビで清明神社を探すと、すげー分かりやすいところに。笑
到着したのはAM9:49。
鳥居は二つありました。
左が大通りに面した方の鳥居で五芒星がシンボルとして掲げられています。
右は、小路を挟んで本殿に入る所にある鳥居で、清明神社と記されています。
大通りの鳥居をくぐるとすぐ目につくのが一条戻橋。
右下の写真は、安倍晴明が使っていたとされる式神を像にしたものです。
日常、この式神を清明は一条戻橋の下に封印していたそうな。
頻繁に日常使いしていたわけではなかったのか・・・笑
いや、格子を下ろすのに式神を使っていた、なんていうのを読んだことがあるのでね。
本殿の方に進んでいくと、柄杓が置いてあるお清めの水の横に、「清明井」というものが。
ちゃんと陰陽道で割り出した方を向いているそうです。
ここで手を清めておきました。
右の写真はもちろん安倍晴明の像。
本殿に向かって左に安倍晴明の像、右に桃の像というかオブジェが置いてありました。
桃は邪気を払うので、桃を手で撫でて自分の邪気を払ってしまえ、というわけです。
さあ、帰ろう、横浜へ。
往路で思ったのは、燃料の減りが早いということ。
おかしいな、横浜~山形を無給油でいけたのに、京都は往路だけで燃料がかなり減ってしまった。
おそらく、第二戦速以上だと燃料の減りが早くて燃費に悪いのだろうと推測。
帰りは第一戦速(100km/h)を目安に走ることにしました。
一気に三重まで進み、最初の休憩は御在所。到着したのはPM12:10。
ちょうどお昼時なのでランチ。
トンテキ定食です。
ニンニクが乗っていましたが、あまり効果がなかったような。
そして、付け合わせにポテトがあったら良いのに、と思いました。
お腹いっぱいになったところで、再出発。
すると眠くなってきた・・・
あかん、高速で寝たら即死や。。。
ということで不本意ながら刈谷パーキングエリアにて休息。PM1:45。
何が不本意って、往路と同じ所にとまってしまったところ。
とにかくコーヒーを飲もう、ていうか朝コーヒー飲むの忘れたのがいけないんじゃん。
そしてここで刈谷ハイウェイオアシスの全容を知りました。
なるほど、天然温泉がついているのか!
では、オアシスと名乗ることを許します。
コーヒー飲んだから大丈夫だべ!
ということで出発。
しばらく大丈夫だったのですが、また眠くなってきた上にお尻が痛いの痛いの痛いちゃん。
ということで静岡は遠州森町で休息。PM2:58
ここはとろろが名産らしく、とろろラーメンなんてのがありました。
うーん、気になるがお昼は既に食べてしまったからパス。
さ、ここでコーヒーを飲むと負けなので、今度はコーラ。
コーラで目を覚ましたのでもう大丈夫さ。
ということで、東名高速を快適に飛ばし始めたのですが、尻痛ふたたび。
ということで駿河湾沼津で4度目の休息。PM4:40
沼津だけにお魚さんのお土産が多く売っていました。
あと巨大なニンニク。笑
ここで長めの休憩を取ったのであとは大丈夫。
海老名~横浜町田のあたりで渋滞に巻き込まれましたが、無事に帰ってくることができました。
(o≧▽゚)oニパッ
あー、京都は行きたいところがまだまだあるなー。
ということでまた行きます!