常陸の姫君の所にも、せめて後朝の文だけでも送らねば、と思い出しなさって気の毒になり、
夕方に文の使いをお出しになったのでした。
雨も降り出してうっとうしい中、雨宿りでもしに行こうという気にはまったくおなりにならなかったのでしょうか。
姫君のお邸では、後朝の文が来るのを待つ時間もとうにすぎて、
命婦も姫君のことをお気の毒なことだと思い、がっかりしていました。
ご自身は、気恥ずかしく思うばかりで、
後朝の文が夕暮れに届いたことについても、酷いことだとはお分かりにならずにいました。
さて、その光る君の後朝の文には、
「夕霧の晴るるけしきもまだ見ぬにいぶせさ添ふる宵の雨かな
〔夕霧が晴れる様子もまだ見ないうちに鬱陶しく降る宵の雨だなあ。あなたのお心はさっぱり分からないままですが、この雨では…〕
雨がやむのを待つのは何とじれったいことでしょう」
と書かれておりました。今夜はお出ましにならないことを悟った女房たちは、胸を痛めましたが、
「お返事をお書きください」
と催促するのでした。
しかし、ますますお心が乱れていらっしゃって、返歌をお詠みになることができずにいたので、
このままでは夜が更けてしまうと思った侍従が、例によって返歌を教えて差し上げました。
「晴れぬ夜の月待つ里を思ひやれ同じ心にながめせずとも」
〔晴れない夜に月が出るのを待っている私のことを想像してください。同じ心で物思いに沈まないまでも〕
女房たちに責め立てられて、古くなって色あせてしまっている紫色の紙に、
筆跡はさすがに力強く立派であるものの、
流行遅れの書体で、行の頭と尻を几帳面に揃えて書いていらっしゃいます。
どう思っているのだろうか、とあれこれ想像する光る君の心中は穏やかではありませんでした。
※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。
「後朝の文」は、古文の難読語として非常に名高いものです。
これは「きぬぎぬのふみ」と読みまして、男女が一夜を友に過ごし、明け方に帰宅した男が、女のもとに送る手紙(和歌)のことです。
これはマナーとして送るのが常識でした。
現代でも、LINEとかメールでメッセージを送るのではないでしょうか。
それから、「流行遅れの書体」と出てきました。
原文では「中さだのすぢ」と書かれていますが、岩波文庫『源氏物語(一)』の注によると、
中古風の書風。行成風以前の、まだ草仮名の流行した、道風や佐理などの書風。
と書かれていますが、書に詳しくない人は分かりませんよね。
なので、ネットで拝借してきたものを掲載して今回は終了したいと思います。
小野道風の書
※「書の歴史を臨書する」様より
藤原行成の書
※「明燈サークル」様より
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