「頼りにできる人もいないようですね。
契りを交わした私のことを、嫌わずに親密になってくだされば満足できるのですが。
しかし、私に気を許していないようなのがつらくて」
などと、常陸の姫君の態度にかこつけて、
朝日さす軒のたるひは解けながらなどかつららのむすぼほるらむ
〔朝日がさして軒端のつららはとけたのに、どうしてあなたのお心は凍ったままとけずにいるのでしょう〕
と歌をお詠みになりましたが、姫君はただ「ふふっ」と笑うだけでまったく言葉が出てきません。
このまま返歌を待つのも気の毒だったので、部屋を出なさるのでした。
御車を寄せている中門はひどく傾いていて、夜ならば目立たないことも多いのですが、
たいそう切なくなるほど寂しく荒れ果てていて、
松に降り積もった雪だけが暖かそうなのは、まるで山里のようだとしみじみ感じられて、
「かつての夜、左馬の頭たちが言っていた、寂しく荒れはてた家というのはこんな所だったのだろうよ。
なるほど、気の毒でかわいらしい女をここに住まわせ、気になって恋しくて仕方ない感じを味わってみたいものだ。
藤壺様への許されぬ思いも、それで紛れるだろうに」と思い、また、
「荒廃ぶりは思い通りの邸だが、それに似合わぬ姫君の醜悪な姿ではどうしようもない」と思いつつ、
「私以外の男性はこの容姿を見た上で、なお通って来ることがあろうか。
私がこうして通うようになったのは、姫君の亡き父宮の魂がお引き寄せになったのであろう」
とお思いになりました。
橘の木に降り積もっている雪を、随身をお呼びになって払わせなさいます。
たわんでいた松の木の枝が橘を羨んでいるかのように雪を弾き、パラパラと雪が舞うのに、
「わが袖は名に立つ末の松山かそらより波の越えぬ日はなし」という歌が思い出され、
「そんなに深い内容ではなくても、小気味よく受け答えしてくれる人がいたらなあ」
と思っていらっしゃいました。
※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。
前回、お帰りになることにしました、という風に終わったのですが、今回は帰るにあたっての直前のやりとりです。
かつての夜、左馬の守たちが言ったことというのはこのあたりです。
第2巻「帚木」巻の、名高い“雨夜の品定め”の一節です。
そして今回出てきた橘の木の雪を払うシーン。
安土桃山~江戸時代の絵師・土佐光則が描いた絵です。
たった一コマですけど、絵があるとイメージが広がりますよね。
あと、光源氏が思い出した歌、
わが袖は名に立つ末の松山かそらより波の越えぬ日はなし(後撰集/土佐)
ですが、「末の松山」というのは、宮城または岩手とはっきり定まっていません。
小高い丘に生える松で、簡単に波がここを越えることはありません。
ただし、男が女を裏切ったなら越えるだろう、という風に和歌に詠まれてきました。
君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ(古今集/詠み人知らず)
〔もし私があなた以外の女性に浮気したなら、あの末の松山を波も越していくだろう〕
というように。それほど、あり得ないことだ、という男の力強い愛の宣言となります。
これを踏まえて、「わが袖は…」を鑑賞してみましょう。
私の袖は名高い末の松山なのだろうか。あなたは決して私を裏切らないと約束したのに、それが嘘だったと分かって以来、涙の雨が降ってきて袖を濡らさない日はないことだ。
松が雪を弾いてパラパラと舞い、それが袖に降りかかったのでしょう。
袖は随身かもしれませんし縁側を歩いていた光源氏かもしれません。
松の位置によるでしょう。
空から降ってきたのが袖に降りかかる、というところからこの和歌が思い浮かんだというのです。
ちょうど男女の愛を主題とした歌なのでこれを口ずさんでも良いわけですが、末摘花に素養がないのを確認している光源氏は口にするのをやめました、ということです。
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