光る君が六条のあたりにお住まいの女性にお忍びで通っていらしたころのことでございます。内裏からの道中での一休みも兼ねて、重病を患って尼になった大弐の乳母をお見舞いしようということになって、五条にあった乳母の家をお尋ねになりました。お車を入れる門は鍵を掛けて閉ざしていたので、光る君は惟光を呼び出させて開門をお待ちになる間、騒々しい大路の様子を見渡していらっしゃいました。すると、この家の近くに、新しい檜垣を巡らせ、四五間の半蔀を上に釣り上げて、簾なども、たいそう涼しげな白いのをさげ、その奥に、額のあたりに美しい雰囲気のある女が幾人も外を覗いている影がうっすらと見えました。立ち歩いている姿の下半分は見えませんが、想像するに、かなり背丈は高そうでした。どういう女たちが集まっているのだろう、とその変わった感じに興味深くお思いになる光る君でした。
お忍びなので、光る君はお車も粗末な装いにしていらっしゃり、先払いもさせてはいらっしゃいません。そこで、「自分の素性は知れたりするまい」と気を緩めて少し女の家を覗きなさってみると、門は蔀のような体裁のを押し上げてあり、建物までの距離はなく簡素な住まいでした。しみじみとお眺めになって、まあ家なんて宮殿だろうとどこだろうと同じことさ、とお思いになりました。切懸のような板塀に、とても青々とした蔓草が心地よさそうに這っていて、そこに白い花が自分一人パッと笑顔のように咲いていました。
光る君が
「あの白い花は何だ」
という趣旨の歌を独り言のように口ずさみなさると、お付きの者がひざまずいて、
「あの白く咲いている花は、まるで人の名前のようですが、“夕顔”と申します。このように粗末な屋敷の垣根に花を咲かせるのです」
と申し上げました。[1]
なるほど、とても小さな家がごみごみと建ち並んで、あちらの家ももこちらの家も崩れかかっていて頼りない、そのそれぞれの軒端に夕顔が蔓を這わせているのを、
「なんとも残念な宿命を持った花だな。一房折ってまいれ」
と光る君がおっしゃると、先ほどの従者は例の蔀のような門から入って花を摘み取りました。すると、粗末な家であるとはいっても、さすがに洒落た感じの戸口から、黄色い生絹の単袴を長くして履いたかわいらしい女の子が出てきて従者を招きます。お香をしっかりとたきしめた白い扇を差し出して、
「これに乗せて差し上げてください。茎なんかは風情に欠ける花ですから」
といって渡したので、従者はそれに夕顔の花を乗せると、ちょうど惟光が門を開けて出て来たので、惟光を通して光る君に献上しました。
「いやあ、鍵をどこに置いたか分からなくなってしまいまして。たいへん申し訳ありませんでした。この辺りは、物が分かる人などいないような所ですが、このようにむさくるしい大路に光る君がお立ちになるとは」
と惟光は恐縮しておりました。開いた門から車を引き入れて、光る君が降りなさいました。惟光の兄である阿闍梨、大弐の乳母の娘やその夫の三河の守などが集まっているところに、こうして光る君がお越しになってくださった、そのお礼を述べて、またとはない程にありがたいことだと皆が恐縮しておりました。[2]
尼となった大弐の乳母も起き上がって、
「惜しくもない身ではありますが、それでも出家をためらっておりましたのは、ただこうして光る君のお側でお目にかける姿が変わってしまうことが残念に思われて、迷い悩んでいたのですが、仏門に入った御利益によって持ち直して、こうして光る君がお越しになったのを見ることもできましたので、今や、阿弥陀仏のお迎えが来るのを心清らかに待つことができそうです」
などと申し上げて弱々しく泣くのでした。
「ここのところずっと病に伏しておられたのを、心配してずっと嘆いていましたが、こんな風に出家して尼の姿になっていらっしゃるので、とても悲しく残念なことです。長生きして、いっそう私が出世していくさまをご覧ください。それでこそ、最上の極楽に生まれ変わることができるでしょう。この世に少しでも心残りがあるのはよくないことだと聞きますよ」
などと涙ぐんでおっしゃいました。できそこないの子でさえ、乳母などというような立場の人は驚くほどの親ばかぶりで完全無欠なものと見なすものですが、まして、本当に比類ない光る君の乳母であることが光栄で、側近くにお仕えした自分の身がとても大切なものに思えると同時に、畏れ多くもあるようで、ただひたすら涙をこぼしておりました。[3]
乳母の子たちは、母が泣く様を見て、とても見苦しいことだと思い、
「出家をしたのに、まだ俗世に未練があるようで、醜い泣き顔を光る君様のお目にかけるとは」
とひそひそ話して眉をひそめあっていました。
光る君はたいそうしんみりとしたお気持ちになって、
「幼かったころに、母も祖母も私を置いてあの世へ旅立ってしまわれ、心にぽっかり穴があいたようで、育ててくれる人はたくさんいるようではありましたが、心から慕わしく思ったのはあなたの他にいませんでした。成人してからは、制限もあってなかなかお会いできず、思うがままに訪れるわけにもいきませんでしたが、やはり長い間顔を合わせずにいると心細く思われたので、業平の歌にもあるように、この世に死別などというものがなければいいのに、と思っております」
など、心をこめてお話しになり、涙を拭いなさる時に、光る君の袖から、焚きしめたお香の素晴らしい匂いがたち、部屋に充満してくるので、「なるほど、考えてみればこれほどのお方の乳母になったというのは、並々ならぬ前世からの縁があったということだよな」と思い返し、初めは乳母のことをみっともないと見下げていた子たちも涙をこぼしておりました。
「祈祷などをまた始めるように」
などと指示なさって光る君はお帰りになります。
惟光に紙燭を持ってこさせ、先ほどの扇をご覧になると、女がいつも持っていたようで、その移り香がとても深く染み込んでいるのが慕わしく、また、そこには心にまかせて趣深くこう書かれてありました。
心あてにそれかとぞ見る白露のひかりそへたる夕顔の花
〔白露のように光り輝くあなたが眩しくてはっきりとは見えず、当てずっぽうですが、今あなたが摘み取ったのは夕顔の花でしょうか。―ひょっとしてあなた様はあの光る君様ではありませんか―〕
何ということもなく、わざと乱れた風に書いているものの、上品で由緒ある感じがするので、その意外さに興味を覚えなさる光る君でございました。[4]
惟光に、
「この西隣の家に住んでいるのは何者なんだろう。聞き知っているか?」
とお尋ねになると、「また例の厄介なお心か」とは思いましたが、そうは申し上げず、
「五六日ほどここにおりますが、病人の看病にかかりきりで、隣のことは聞き及んでおりません」
と素っ気なく申し上げると、
「煩わしいと思っているんだな。だが、この扇の持ち主はどうしても尋ね当てたい、由緒ある者のように思えるのだ。この近辺の、よく事情を知る者を呼んで聞き出してくれ」
とおっしゃるので、惟光は家の中に入って番人をしている男を呼んで尋ねました。
「揚名の介の家でございました。その男は地方へくだっていて、その妻は年若く風流で、その姉妹が宮仕えをして行き来していると申しておりました。それ以上の詳しいことは低い身分の者には分からないでしょう」
と申し上げました。すると、
「ではその宮仕えをする者のようだな。得意気に、馴れ馴れしく歌を詠みかけてきたものよ。しかし、がっかりな身分ではないかな」
とはお思いになるものの、光る君を名指しして歌を詠みかけてきたその心には好感をおぼえ、そのまま打ち捨てておけないというのは、毎度ながら、この方面に関しては本当に軽々しいお心だと言わざるを得ませんね。
懐紙に、まったく別人の筆跡であるように、こうお書きになりました。
寄りてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見つる花の夕顔
〔近寄ってこそ確実に判別できましょう。あなたが黄昏時に遠くからぼんやりと見た花が夕顔であるかは。―私が光源氏であるかどうかは近寄ってみれば確認できましょう―〕
先ほどの従者に持っていかせました。[5]
女たちは光る君のお姿などいまだかつて見たこともありませんでしたが、間違いなくそうだろうという御横顔を見逃さずに和歌を詠みかけて驚かせたものの、お返事をいただけないまま時間が過ぎたので、がっかりしていたところに、このようにわざわざ返歌を届けてくださったので、調子に乗って、
「返歌はどうお詠みしたらいいかしら」
などと相談しているようでしたが、従者はあきれたことだと思って光る君のもとに戻りました。先導の松明をかすかに灯して光る君は出て行きなさいました。隣家の半蔀は下ろされていました。あちこちの隙間から洩れている灯火の光は蛍よりもかすかで、何とも言えずしんみりした気持ちがいたします。
さて、お目当ての六条の愛人のお屋敷は、木立や庭の草花の雰囲気など、余所とはまるで違い、たいそう穏やかに奥ゆかしく暮らしていらっしゃいます。その女の、気を許さない様子などは他の女とは違い格別な魅力を感じるので、先ほどの夕顔の垣根のことなど、光る君の頭からはすっかり離れてしまっているのも当然のことと言えましょう。
翌朝、少し遅くまで寝過ごして、日が差してくるころに光る君はお帰りになりました。明け方の光る君は、なるほど、女性たちが心を奪われるのも無理のない素敵なお姿でございました。帰りにも、前日の夕顔の屋敷の前をお通りになりました。以前にもお通りになったことはあった所なのですが、例のちょっとした和歌の件でお心がとまって、どのような人の住まいなのだろうと、行き来するたびに気になって目を向けなさるのでした。[6]
しばらく経って、惟光が光る君を訪ねてきました。
「近ごろ母の容態がますます悪いので、看病に忙しくございまして」
などと申し上げると、そば近くにお寄りして申し上げます。
「あの後、隣家の件ですが、知っている者を呼んで尋ねさせたのですが、はっきりとしたことは申さずに、たいそう人目を忍んで五月ごろからそこに暮らしていらっしゃる女性がいるみたいですが、自分がどこの誰だとは家の者にさえも知らせていない、と言うのです。時々、垣根から覗いてみますと、確かに若い女たちの姿が簾越しに見えます。褶のようなものを形ばかりでも身につけているところを見ると、女主人は確かにいるようです。昨日、夕日の光が隣家に盛大に差し込んでいたのでよく見えたのですが、手紙を書くのに座っておりました女性の顔はとても魅力的でございました。ぼんやりと憂鬱そうで、周りの侍女たちもひっそりと泣く様子がはっきり見えました」
と申し上げると、光る君は笑みを浮かべなさり、詳しく知りたいとお思いになりました。光る君は重々しい名声を持つ身の上ではいらっしゃるものの、若々しく魅力的なご年齢や女性を引きつける美しい姿などを考え合わせると、「このお方が恋に夢中にならないとしたらそれも風情がなく残念であるに違いないことだ。人々から軽んじられるような程度の者でさえ、やはりそれなりに女性には心惹かれるのだから」と惟光は思っているのでした。[7]
惟光が、
「もしかしたら何か情報を得ることができるかもしれないと、ちょっとした機会を作り出して、手紙などを送ってみたりもいたしました。すると、よく書き慣れた筆跡で素速く返事をしてきました。なかなか優れた若い侍女もいるようです」
と申し上げると、
「どんどん仕掛けろ。相手の素性が分からないのでは面白くなかろう」
とおっしゃいました。夕顔の家は、前に左馬の頭らと話した際に、下の下と見くだしていたような家ではありましたが、「そのような所でも予想外にいい女を見つけたとしたら」と、上等な女であることを期待していらっしゃるのでした。
ところで、例の空蝉の女が驚くほど冷たかったことについて、普通とは違う特別な女だと思っていらっしゃり、もし空蝉が素直な心の持ち主であったらならば、あの一件は心苦しい過ちとして終わるにちがいないのですが、あのような態度を取られてはたいそう癪に障り、負けっぱなしで終わりそうなのが、心から離れる時がありません。以前はこのような平凡な階級の女性までは気になさらなかったのですが、かつての雨夜の品定めの後、様々な階級の女性が気にかかり、ますます心の休まる時がないようです。無邪気に光る君をお待ち申し上げている、空蝉と碁を打っていた女を気の毒にお思いにならなくもないのですが、空蝉の女が平然と聞いていたらと思うときまり悪いので、まずは空蝉の心を見極めてからにしようとお思いになるうちに、その夫である伊予の介が帰京して、まっさきに光る君の所に参上しました。船路のせいで少し黒く日焼けして見栄えが悪くなった旅姿は、たいそう無様で気に入らない雰囲気でした。しかし、賤しいともいえない身分であり、容貌なども年を取っている割には端正で、やはりただならず奥ゆかしい風情が漂っているのでした。[8]
伊予の介が任国の話を申し上げるので、光る君は道後温泉の湯桁の数でも尋ねたいお気持ちになりましたが、―というのはもちろん以前に囲碁の勝負を覗き見た時のことを思い出したからなのですが―気まずさから、どうにも顔を背けたい気がして、この男の家の女たちのことが頭から離れないのでした。
「このように実直な男をこんな風に思うのも実に愚かしく後ろめたいことだな。なるほど、これこそ桁外れに気まずいことであるようだ」
と、左馬の守の忠告が思い出され、伊予の介に対して気の毒な気がしました。また、空蝉のつれない態度は癪に障るものの、夫の身になって考えれば感心なことだともお思いになるのでした。光る君は、娘はしかるべき男と結婚させ、空蝉を連れて下るつもりでいるということをお聞きになると、並々ならずお心が乱れ、せめてもう一度会うことはできないだろうか、と小君に相談なさるのですが、相手の同意を得た密会であっても、簡単にお忍びなさることは難しいのに、まして空蝉の場合は、光る君を釣り合わないお相手だと思っていて、今更光る君との密会は見苦しいに違いないと思って関係を持つことを拒絶しているのです。しかし、そうは言っても、「すっかり私をお忘れになってしまうのもどうしようもなくつらいことだわ」と思って、しかるべき折々の光る君へのお返事の手紙などは魅力的にお書き申し上げるのでした。ちょっとした走り書きの言葉が不思議と愛らしく、目にとまりそうなことが書き添えてあって、いかにも光る君が心を動かしなさりそうな感じなので、空蝉の態度はつれなく癪に障るものの、お忘れになることができずにいらっしゃいました。
もう一人の、囲碁の相手をしていた伊予の介の娘については、仮に誰かと結婚したとしても、自分に気を許しそうに見えたのをあてにしており、その女の縁談についてあれこれお聞きになりましたが、さして感心を持たずにいらっしゃいました。[9]
秋になりました。他ならぬご自分のせいなのですが、あちこちに物思いの種を撒き散らした結果、お心が乱れなさることばかりで、義父の大臣邸にはあまり足をお運びにならないものですから、正妻の女君は光る君のことを恨めしく思い申し上げるばかりでいらっしゃいました。六条の愛人にしても、なかなか心を許さなかったのをどうにか関係を結び申し上げなさってからというもの、打って変わって、足が遠のいてしまわれたのは気の毒なことです。しかし、関係を持つ前にはあれほど無我夢中で強引だったのに、これはいったいどうしたことでしょう。その六条の女君は、あまりにも思い詰めなさる御性格であり、光る君とは年齢も似つかわしくなく、この噂が漏れて誰かが聞きつけでもしたら・・・とそれを考えると、このように光る君がめっきり訪れてくれなくなったことがますますつらくて、寝覚めは連夜のこと、しょんぼりとあれこれ思い悩んでいらっしゃるのでした。
さて、霧がとても濃く立ち籠めている朝、光る君はそろそろ帰るようにとひどく催促されなさって、眠たそうなご様子で嘆きつつその六条の邸宅を出て行きなさるので、中将という女房が、女君のお部屋の御格子を一間あげて、光る君をお見送りなさってください、と思っている様子で、御几帳を退けたので、女君は頭を持ちあげて外を見やりなさいました。庭の草木が様々に色づいているのを眺めつつ、名残惜しく立ち去りがたそうにしている光る君のご様子は本当に比類ありません。光る君が渡り廊下の方にお進みなさると、先ほどの中将の君がお見送りのためお供に参上します。中将の君は、季節にぴったりの紫苑色の薄絹の裳を鮮やかに結んでいて、その腰のあたりの雰囲気はしなやかで美しくございました。光る君は振り向きなさって中将の君の手を取り、角の手すりに引き寄せて座らせなさると、簡単には気を許さない態度といい、左右に長く垂らした額髪といい、実に素晴らしい、とご覧になるのでした。[10]
「咲く花に移るてふ名はつつめども折らで過ぎうき今朝の朝顔
〔咲いている花に気移りしたという噂が立つのは控えたいものですが、手折らないままには見過ごしがたい今朝の朝顔ですよ。
―心変わりしたと噂になるのは困りますが、あなたにこのまま手をつけずにやり過ごすのは心残りなことです―〕
さて、どうしようか」
と言って中将の君の手を取りなさったところ、たいそう馴れた様子で、素速く、
「朝霧の晴れ間も待たぬけしきにて花に心をとめぬとぞ見る」
〔朝霧が晴れるのも待たない御様子で、見えてもいないのですから花にお心を留めてはいないと思われますが〕
と、女房という立場にある者の仕事として、恋の内容ははぐらかして返歌をお詠み申し上げたのでございます。
光る君にお仕えしている、好ましく、たいそう着飾ったかわいらしい子どもが、指貫の裾を庭の草におりた露で濡らしながら分け入って朝顔の花を摘み取ってくる様子などは、絵に描いておきたいほどの素晴らしい光景でした。深い関わりもなく、ほんの少し光る君を見申し上げるだけでも、心を奪われない人はおりません。風情など知るよしもない、山に住む下賤な人々も、桜の花のもとではやはり足を止めたくなるのでしょうか、それと同じで、この方の光り輝くような美しさを見申し上げる人は、それぞれの身の程に応じて、自分がかわいいと思う娘を側仕えさせたいものだ、と願い、もしくは、なかなか美しいと思える姉や妹などがいる人は、下女としてでも、やはり光る君のお近くに仕えさせたいと、誰もが思っておりました。まして、何かしらの機会に光る君のお言葉を耳にしたり、心惹かれる御容姿を拝見する立場にあって、少しでも物の情趣が分かる人なら、どうして光る君のことを何とも思わずにいることがありましょうか。にもかかわらず、光る君から歌を詠みかけられても動じることなくかわした中将の君は、光る君が、明けても暮れてもこのお屋敷では寛いでいらっしゃらないのを、心配なことに思っているようです。[11]
そうそう、例の、惟光が請け負っている夕顔の家の調査の方ですが、詳細に内情を調べ上げてご報告しました。
「誰かということはまったく分かっておりません。厳重に素性を隠しているように見受けられました。特にすることもない時は、南の半蔀がある長屋に移ってきて、車が通る音がすると、若い女房たちが覗いたりするようで、その時、この家の主人と思われる女も、そっと来ることがあるようです。その女主人の顔は、はっきりとは見えないのですが、とてもかわいらしいようです。
先日、先払いをしながらやって来る車がありまして、それを覗いた少女が、急いで、『右近の君さま、ご覧ください。頭の中将殿がここを通って行きなさいます』と言うと、まあまあ悪くない感じの女房が出てきて、
『しっ、静かに』と手で合図をしつつ、
『どうしてそう分かるの?どれ、私も見てみましょう』と言って長屋にそっとやって来ました。板を渡しただけの簡素な橋を渡って通ってきます。急いでくる者は、衣装の裾を何かに引っかけてよろよろと倒れて橋から落ちそうになると、
『まあ、葛城の神は危なっかしく橋を架けたわね』といらだって、覗き見る気も失せてしまうようでした。頭の中将様は、御直衣姿で、御随身もついていました。先の少女は、誰それと誰それと、と指折り数えるようにして、頭の中将様に仕えている随身や少年を見つけて言い当てたようでした」
などと申し上げたところ、
「確実にその車を見たなら良かったのに」
とおっしゃって、「もしかしたら、頭の中将が語っていた、しみじみ忘れられずにいる女だろうか」と思いを巡らしなさっていると、もっと知りたいというご様子を見てとった惟光は、
「私個人の恋も非常に順調で、事情もすっかり分かっているのですが、向こうは同じ身分の女たちだけで住んでいると私に知らせて、懇意に話をする若い女房がおりますので、気づかずにだまされたふりをしてふらふらと通っています。うまいこと隠しおおせていると思っているようで、小さいこどもが口を滑らしそうな時にも、女房たちが何やかんや言い紛らわして、女主人がいない風体を無理に作り出していますね」
などと語って笑うと、光る君は、
「次に乳母の尼君のお見舞いに行く時に、覗き見させてくれ」
とおっしゃいました。[12]
一時的な仮住まいであるにしても、その住居の様を思うと、「これこそ頭の中将が、興味がないときっぱり決めつけ蔑んでいた下流階級の女だろう。だが、その中に、思いもしなかった面白いことがあったとしたら」などとお思いになるのでした。惟光は、どんなことも光る君の御期待に応えよう、と思っており、彼自身もぬかりのない好色な心を駆使して巧みに計略をめぐらし、あちこち動き回って、強引に光る君を夕顔の家に通わせ始めました。この過程はあまりにも煩雑なので、例によってここには書きません。相手の女の正体がお分かりにならないので、御自分も名乗りなさらず、たいそうひどく粗末な身なりに変装なさって、いつもと違い、熱心に通いなさるのは、本気でいらっしゃるに違いないと思われるので、惟光は自分の馬を光る君にお貸しして、自分はそのお供として走り回るのでした。
「こんな風に徒歩で出歩くみっともない姿を恋人に見られたら辛いんですけどね」
などと泣き言をいうのですが、誰にも知らせなさらないまま、以前に夕顔の花を手折った従者と、その他には顔を知られていないはずの子供を一人だけ引き連れてお通いになりました。「万が一、私の正体に気づいてしまったら」とお思いになって、隣の乳母の尼君の家にもお立ち寄りになりません。女の方でも、たいそう奇妙に思い、腑に落ちないので、光る君からの文の使いの後を追わせ、また、光る君が夜明け前に帰っていく後をつけさせるなどして御住居をつきとめようとするのですが、うまい具合に行方をくらましつつ、しかし、あまりの愛しさにさすがに会わずにいることもできず、この女がお心にかかっているので、軽率で好ましくないことだという御自覚はありつつも、かなり頻繁にこの夕顔の家を訪れなさるのでした。[13]
この恋愛沙汰というのは真面目な人でも乱れてしまうこともあるものですが、これまでは見苦しいことなどはなさらず、人がお咎め申し上げるような振る舞いはなさらなかったのですが、不思議なほど、別れた朝も、合わずにいる昼の間もじれったさに思い悩んでいらっしゃり、また一方では、とてもばかげたことで、そこまで心にとめるほどのものでもない、と心を落ち着けなさいます。
女は、驚くほど素直でおっとりして、威厳のようなものはなく、ひたすら幼い感じでありつつ、とはいえ、男を知らないわけでございません。
「それほど高貴な人物ではあるまい。それにしても、あの女のどこにここまで惹かれているのだろう」と光る君はつくづく思っていらっしゃいました。この夕顔の女の家を訪れる時は、狩衣姿というわざとらしいほど粗末な御装束で、顔もまったくお見せにならず、夜更けの人が寝静まっている間に出入りなさるので、昔の話にある、狐か何かが人に化けたもののようにも思えて、女は薄気味悪い気がして嘆かわしく思うものの、男の気配は手探りでも、ただ者ではないとはっきり分かるほどだったので、
「誰なのだろう。やはりあの好色な男のしわざのような気がするわ」と惟光を疑っておりました。しかし、惟光は平然と素知らぬ顔をして、まったく関わりない風で、ひっきりなしに馴れ馴れしくやってくるので、どういうことであろうかと理解に苦しみ、女の方でも、普通と違った奇妙な物思いをしていました。
光る君もまた、「このように私に気を許しているように見せて油断させておいて、いつか不意にどこかへ姿を隠してしまったら、どこをどう訪ね当てたら良いのだろうか。ここは一時的に身を寄せている隠れ家と思われるので、どこかへ移って行く日がいつ来るかも分かるまいに」と真剣にこの女をお思いになるものですから、逃げられて簡単に諦めがつくようないい加減な恋ならば、今のように気ままな恋の相手と割り切れば良いのですが、今の気楽な関係のまま過ごしていこう、などとお思いになることは到底できません。人目を憚って通わずにいらっしゃる夜などは、とても絶えがたく苦しいほどでいらっしゃるので、
「やはり、素性はさておき、二条院に迎え取ってしまおう。もし噂になって都合の悪いことになったとしても、それはそういう運命だったのだ。我が心ながら、これほどまで女に執着することなどなかったのに、いったいどういう因縁だろうか」などと考えていらっしゃいました。[14]
「さあ、落ち着ける所でゆっくりとお話でもしたいものですね」
などとお話しになると、
「やはりおかしいですわ。そうはおっしゃいますが、普通ではないお振る舞いですから何となく恐ろしい気がして」
と、とても幼げに言うので、「確かにそうだな」と思い、にっこり微笑みなさって、
「どちらが狐でしょうね。でもまあ、化かされていらっしゃればいいじゃないですか」
と親しみやすくおどけた風におっしゃると、女も光る君に心を寄せて、それもそうだわ、と思っていました。
「このような密会はこの上なく見苦しいことなのかもしれないが、一心に私の言うことを聞く、とてもかわいらしい人だ」とご覧になり、やはり頭の中将が語った「常夏の女」ではないかと思われて、あの時に語っていたことがまず思い出されなさるのですが、隠すだけのことがあるのだろう、と無理にはお尋ねになりません。頭の中将の前からふいに姿を消したという話でしたが、そのような心など、表だっては見えないので、
「私が会いに来ないでいるような間に、そんな風に心が変わることもあるのかもしれない。我が心ながら、他の女性に少し心が動くことがあるのがどうにも情けない」とまで思っていらっしゃいました。
八月十五夜、満月の光が、隙間の多い板葺きの屋根から差し込んでくる、このような粗末な住居も光る君にはとても新鮮でございました。夜明けが近づいてきたのでしょう、隣家で身分の低い男たちが目を覚まして交わす声が聞こえてきました。
「ああ、こんなにも貧しいのがなあ」
「今年は本業の商売も地方への出稼ぎもあてにならないから、とても心配だよ」
「おーい、北隣さんよ、聞いてらっしゃるかね」
などと話しているのでした。切ないほど心細いそれぞれの生活のために起き出して、ざわざわと騒いでいるのが間近に聞こえるのを、女はとてもきまり悪く思っていました。優雅に気取った振る舞いをするような人なら、きっと気を失ってしまうに違いない、みすぼらしい住まいのようです。しかし、この女はおっとりして、つらいことも嫌なこともみっともないことも、深く気にしている様子ではなくて、自分自身の振る舞いや様子は、たいそう上品であどけなく、例えようもないほど乱雑で無神経な隣近所の会話の内容については、よく分かっていない様子なので、かえって顔を赤らめて恥ずかしがるのより、欠点として目立たないように感じられるのでした。[15]
ゴロゴロと鳴る雷よりも大袈裟な音を立てて踏んでいる唐臼の音も、枕元で鳴っているように聞こえてきます。これにはさすがの光る君も耐えがたく思っていらっしゃいました。ただ、何の音かはお分かりにならず、とても奇妙で不愉快な音だとばかりお思いになります。煩わしいことばかりが多くございました。一方で、衣を打つ砧の音が、かすかにあちこちから響いてきたり、それに空を飛ぶ雁の鳴き声などもあわさったり、しんみりとした感慨を催す秋の情趣も多くございました。縁側に近い所だったので、遣り戸を開けて一緒に庭の景色をご覧になりました。狭い庭には、気の利いた呉竹が植えられており、また、前栽に置く露は、やはりこのような所であっても光る君の邸宅と同じくきらきらと輝いていました。虫たちがあちこちで盛大に鳴き騒いでいましたが、壁の中に入りこんで鳴くコオロギでさえ、広いお屋敷に住む光る君は、遠く幽かにしかお聞きになったことがなく、この耳元で鳴き乱れているかのようなのを、かえって新鮮にお思いになるというのも、女への深い愛情のためで、あらゆる欠点が許せてしまうようでした。
白い袷に薄紫の柔らかい衣を重ねて着ているのは、決して晴れやかな姿ではありませんでしたが、とてもかわいらしく愛おしい気がして、どこが優れていると取り立てて指摘するほどの点もないのですが、ほっそりとしなやかな姿で、ものを言っている様子などは苦しいほどに愛しく、ただひたすらかわいく思われるのでした。この人に気取ったところを少し加えたらどうなるだろう、とご覧になりつつ、やはりくつろいだ気分で会いたいとお思いになるので、
「さあ、ここから近い所に移って穏やかな気持ちで朝を迎えましょう。ここでこうしてばかりいるのは苦しいから」
とおっしゃると、
「いやですわ。急すぎますもの」
とたいそうおっとりした感じで答えました。しかし、光る君が来世までも変わることのない永遠の愛をお誓いになると、それですっかり心を許してしまうあたり、普通の女とは違って不思議で、世慣れているとも思えないので、人がどう思おうが構わないというほど夢中におなりになって、女の側近である右近をお呼び出しになり、従者を呼んで車を邸内に引き入れさせなさりました。この家の人たちも光る君の女への愛情が並大抵ではないのを見知っているので、素性の知れない男に不安がないわけではないのですが、信頼し申し上げているのでした。[16]
夜明けも近くなりました。鶏の声は聞こえず、ただ年寄りめいた声と額ずいて一心に拝んでいる音が聞こえてきます。立ったり座ったり、苦しそうに勤行をしているようです。たいそうしみじみしたお気持ちになりながら、「朝露と同じくらいはかない世なのに、何を欲張って祈っているのだろうか」とお聞きになっていました。すると、御嶽精進だったのでしょうか、「南無当来導師」と言いながら拝むようです。
「あれをお聞きなさい。来世のことを考えてあのように拝んでいるよ」
としみじみおっしゃって、
優婆塞が行ふ道をしるべにて来ん世も深き契り違ふな
〔あの男が在俗のまま仏道修行をしているのを道案内として、来世でも私と結ばれるあなたの運命の道に決して背かないでくださいね〕
古く有名な楊貴妃の例は、結局最後まで添い遂げられなかったのが不吉に思われて、比翼の鳥になろうというのと引き替えに、弥勒菩薩がこの世に現れるという遠い未来のことを考えあわせておっしゃったのです。将来のお約束としては非常に大袈裟ですね。
さきの世の契り知らるる身のうさに行く末かねて頼みがたさよ
〔前世からの宿命が知られる今のこの身の辛さですから、来世をあてにするのは難しいことです〕
このような歌のやりとりについても、実はあまり自信がないようでした。なかなか沈まない月に誘われるように突然ふらふらと外出することを女はためらっていましたが、光る君があれこれおっしゃるうちに月が急に雲に隠れて明けてゆく空の様子はとても趣がありました。みっともない時刻になる前に、といつものように光る君はお急ぎになり、軽々と女を車にお乗せになるので、右近も同乗しました。そこから程近い何とか院といところに御到着なさって、その院を預かっている者をお呼び出しになりましたが、待つ間に何気なく外を見上げてみると、荒れている門には忍ぶ草が繁っており、例えようもなく暗いのでした。霧も深く、湿っぽくて、牛車の簾も上げていらっしゃったので、御袖もひどくお濡れになってしまいました。[17]
「いまだかつて、このようなことを経験したことはなかったけれど、あれこれ気が休まらないものだな。
いにしへもかくやは人の惑ひけんわがまだ知らぬしののめの道
〔昔の人もこのように恋に心を惑わせたのだろうか。私はいまだかつてこのような夜明けの道を知らなかったよ〕
あなたはご経験がおありでしたか」
とおっしゃると、女は恥ずかしがって、
「山の端の心も知らで行く月はうはの空にてかげや絶えなん
〔待ち続ける山の端の心も知らずに行く月は、何の思いも情けもなく姿を消してしまうのではないでしょうか。―待っている私の心も知らず、あなたはいつか通ってこなくなってしまうのではないでしょうか―〕
心細くございます」
といって、何となく恐ろしく薄ら寒く思っているので、「あの大勢で集まって暮らしている手狭な住まいのせいだろう」と光る君はおかしく思っていらっしゃいます。御車を邸内に引き入れさせて、西の対にお部屋の準備をする間、御車から牛を放し、手すりに轅をかけてお待ちになっています。右近は、何だか優雅な心持ちがして、過去のことなどを人知れず思い出すとともに、管理人がかいがいしく準備に奔走する様子で、男の正体が光る君であることを悟りました。少し明るくなってほのかにものが見えるころ、内へとお入りになりました。部屋は急ごしらえだったわりに、きれいに造ってあります。
「お供にこれといった人もいないのですね。不都合なことでございますな」
というと、義父である大臣家で庶務を勤める者であり、光る君とも親しかったので、お近寄り申し上げて、
「しかるべき人をお呼びになった方がよろしいのでは」
などと申し上げると、
「あえて誰も来るはずがない隠れ家を探したのだ。絶対にこのことは人に言うな」
と口止めなさいました。お粥などを用意してお届けしようとしましたが、給仕をする者が揃いません。御経験のない貧相な外泊なので、愛をお交わしになるより他のことはありませんでした。
日が昇るころに起きなさって、格子をご自身でお上げになります。庭はとてもひどく荒れており、人目もなく、はるばると見渡されて、木立はたいそう鬱陶しく古びた感じがしています。建物に近い草木には取り立てて見所もなく、みな秋の野の景色となり、池も水草に埋もれておりました。ひどく嫌な感じがする所でございます。別棟に部屋などをしつらえて人が住んでいるようでしたが、ここからは離れていました。
「気味の悪い所ですね。しかし、鬼もさすがに私は見逃してくれるだろう」
とおっしゃいました。光る君はまだ顔をお隠しになっていますが、女がとてもつらいと思っているので、確かに、これほどの関係になっておきながら隠しているのも間違っているとお思いになって、
「夕露にひもとく花は玉ぼこのたよりに見えし縁にこそありけれ
〔夕露に開いた夕顔の花は、あの五条の通り道の単なるついでだと思ったけれど、そうではなく私たちを結ぶ縁であったのだなあ〕
露の光はどうでしょうか」
とおっしゃったところ、横目でちらっと見て、
「ひかりありと見し夕顔のうは露はたそかれどきのそら目なりけり」
〔夕顔に光を添えている露のようだと思って見ていましたが、それは黄昏時の薄暗さによる見間違いでしたわ〕
と小さな声で言いました。光る君は、面白いと思っていらっしゃいます。本当に、ここまで光る君が気を許していらっしゃるというのは他にはないことで、このように廃れた場所であるだけに、光る君の美しい御容姿は何か不吉なものを感じるほどにお見えになりました。[18]
「いつまでもあなたが何も教えてくださらないのがつらくて。私の正体も隠そうと思っていたのですが。さあ、今度はあなたが誰なのか教えてください。もやもやして気持ちが悪い」
とおっしゃるのですが、
「名乗るほどの者ではありませんので」
と言って、それでも気を許さない様子はちょっと甘えすぎだという気がいたします。
「まあいいさ、これも私が悪いのだから」
と恨み言を言いつつも、この夕顔の女と語らいながらお過ごしになるのでした。すると、惟光がここを突きとめて参上し、お菓子などを差し入れてきました。光る君のことを黙っていたことで、右近が文句を言ってくるのは想像に難くないし、やはり気の毒な気もするので、光る君の近くにはお近づき申し上げることができませんでした。光る君がこうまでご執着なさるのも面白くて、それほどまでの器量なのだろう、と想像して、「自分が言い寄ることもできたものを、お譲り申し上げるとは我ながら心の広いことだ」と、とんでもないことを考えていました。
例えようもなく静かな夕方の空をぼんやりと眺めなさって、奥の方は暗くて気味が悪いと女は思っているので、縁側の簾を巻き上げてぴったりと寄り添って寝ていらっしゃいます。夕陽に照り映えたお互いの顔を見て、女もこのようなことになったのを予想外で奇妙な気がしつつも、嫌なことなどはすっかり忘れて、わずかに心を許していく様子はとてもかわいらしくございました。じっと光る君に寄り添って過ごし、何かをひどく恐がっている幼い様子に気持ちが惹かれる光る君でした。早くに格子を下ろしなさり、灯りをともして、
「ここまで深い仲になってくださったのに、まだ心の内に秘密をお残しになっているのがつらいことです」
と恨み言をおっしゃいました。
「帝はどんなにか私を捜していらっしゃることだろう。使いの者はどこを尋ね歩いているだろうか」と想像なさると、また一方では、「我ながら奇妙な心だ。六条のあの人も、どんなに思い悩んでいらっしゃるだろう。あの方に恨まれるのは当然のことだが、心苦しいことだ」と、気の毒な六条の愛人のことを思い申し上げなさいました。何の気兼ねもなくこの女と一緒にいることにしみじみと幸せをお感じになると同時に、「あの六条の方も、見ていて苦しいほどの思慮深さをこんな風に少し気楽にしたいものだな」と、何気なく比べたりなさっておりました。[19]
日も暮れて、少し眠り込んでいらっしゃったところ、光る君の御枕元にたいそう美しい感じの女が座り、
「私がこんなにもあなた様のことを愛し申し上げているのに、私の所には来てくださらず、このようなつまらない女を連れ出しなさってご寵愛なさるとは、とても心外で耐えがたいことです」
といって、隣で寝ている夕顔の女を起こそうとする、そんな夢をご覧になりました。化け物に襲われるような心地がしてハッとお目覚めになってみると、なぜか先ほどまで点いていた灯火が消えて、室内は真っ暗でした。不気味にお思いになった光る君は、太刀を引き抜いて魔除けのためにそれを枕元に置くと、右近を起こしなさいました。この女もまた恐ろしく思っている様子で、震えながら光る君に近寄って参りました。
「渡り廊下に詰めている者を起こして、灯りをともして参上するように言ってきてくれ」
とおっしゃると、
「とても無理でございます。暗くて・・・」
と言うので、
「なんだ、恐いのか。子どもじみてるな」
とお笑いになり、手を叩いて人をお呼びになりましたが、誰も聞きつけることができずに参上せず、たいそう気味悪くこだまが響きわたるばかりでございました。夕顔の女はガタガタと震えがおさまらずに狼狽して、どうして良いのか分からずにいました。汗もびっしょりになって、正気を失っているようでございます。
「非常に恐がりなご性格でいらっしゃるので、どんなに恐ろしく思っていらっしゃるでしょうか」
と右近が申し上げると、光る君も、「たいそう弱々しくて、昼も部屋の奥を恐がって空ばかり眺めていたのに。かわいそうなことよ」とお思いになって、
「私が人を起こしてこよう。手を叩くとこだまが響くのがとても煩わしい。あなたは、夕顔の近くにいてさしあげなさい」
といって、右近を夕顔のそばに引き寄せなさり、西の妻戸をお開けになってみると、渡り廊下の灯火も消えてしまっているのでした。[20]
風が少し吹いていて、お仕えしている者たちはただでさえ少ないのに、みな眠りこんでしまっておりました。この院の管理人の子で、光る君が親しく使っている若い男と、殿上童が一人、それといつもの随身だけがおりました。光る君がお呼びになると、管理人の子が起きて返事をしたので、
「灯りをともして私の部屋に参上せよ。随身にも、絶えず弓の弦を打ち鳴らして魔除けをするよう命じておくように。こんな人気のない所で油断して寝るとは何事か。それと、惟光が来ていたはずだがどうした」
とお尋ねになると、
「先ほどまで控えていたのですが、ご命令もないので夜明け前にまたお迎えに参上するとのことで、帰ってしまわれました」
と申し上げたこの管理人の子は、内裏を守護する滝口の武士だったので、見事に弓を鳴らして、「火、危うし」と言いながら父親である管理人の部屋の方に行くようです。光る君は内裏に思いを馳せなさって、「もう名対面は済んでいるころだろう。滝口の武士の宿直申しがちょうど今ごろか」と推測なさっていたということは、そこまで夜も更けていなかったようです。
光る君が部屋にお戻りになって様子をうかがってみると、夕顔の女君は先刻と変わらず横たわっていて、右近はその隣にうつ伏しておりました。
「これはいったいどうしたことか。何と常軌を逸した恐がりようだろう。このように荒廃した所では狐なんかが人を脅かそうとして、恐がらせたりすることもあるかもしれない。しかし私がいるのだから、そのようなものに脅されたりするはずがない」
といって、右近を引き起こしなさいます。[21]
「とても嫌な感じがして、気分も悪かったものですからうつ伏していたのです。ご主人様こそ、どうしようもないほど苦しんでおられるでしょう」
というと、
「おお、それよ。どうしてこんなにも・・・」
と手探りで夕顔の女の様子をうかがってみたところ、何と、息もしておりません。驚いた光る君は体を揺すり動かしなさるのですが、ぐったりとして意識もないようなので、
「ひどく子どもっぽい人だから、物の怪に魂を奪われてしまったみたいだ」
と、どうして良いか分からずにいらっしゃいたところに、灯りを持った管理人の子が参上しました。右近も動ける状態ではなかったので、近くにあった几帳を引き寄せて夕顔の女をお隠しになると、
「もっと近くに灯りを持って参れ」
とお命じになりました。光る君と恋仲にある女性の近くに参上するなど普通ではないので、気が引けて近寄ることができず、部屋に上がることもためらっております。
「いいからここまで持ってきなさい。そういう遠慮も時と場合によるのだ」
といって灯りを持ってこさせ、夕顔の女の顔をご覧になったところ、そこには先ほど生き霊となって夢枕に現れた、六条の愛人の顔がありましたが、ふと消えて、もとの夕顔の女の顔に戻りました。
「このようなことは昔話に聞いたことはあるが・・・」
と、たいそう珍妙で恐ろしいことではございましたが、夕顔の女がどうなったのかと、それがまず心配で、ご自身の恐ろしい気持ちなどはどこかへ消し飛び、寝ている女に覆い被さるようにして、起こそうとなさるのですが、女の体はすっかり冷たくなっており、息はとっくに絶えてしまってしまっていたのです。[22]
言いようもないほどの衝撃的なできごとでした。どうしたらよいかと信頼して相談なさるのに相応しい人もおりません。こうした場合、僧侶を信頼に足るものとお思いになるはずですが。強がってはいらっしゃいましたが、まだまだお若いので、女が亡くなってしまったのをご覧になると、もうどうしようもなくて、俄に女の身を抱きしめて、
「愛しい人よ、生き返ってください。私に悲しい思いをさせないでください」
と話しかけなさってみたのですが、すでに身体はすっかり冷たくなっており、何となく遠ざけたい感じがしました。
右近は、ただ気味が悪いと思っていた感情も消え去り、激しく泣き叫んでいる様子は非常に痛ましくございました。光る君は紫宸殿に棲みついている鬼が何とか大臣を脅かし、撃退されたという例を思い出しなさって、気丈に、
「いくら何でも、完全にお亡くなりになったのではないだろう。夜の声はおおげさに響くから泣くのはおやめ」
と右近をお諫めになりつつ、あまりにも急な展開に、呆然となさるのでした。そして管理人の子をお呼びになって、
「ここに、とても奇妙なことだが、物の怪に襲われて苦しんでいる人がいるのだ。今すぐ惟光朝臣がいる所に行って急ぎこちらへ参上するように言ってこい、と使いの者に命じてくれ。阿闍梨がいたら、それもこっそり呼ぶように。あそこの尼君が聞きつけるとうるさいからおおげさに言うなよ。私のこうした忍び歩きを許さない人だから」
などと平静を装っておっしゃるようですが、実のところ胸がいっぱいで、夕顔の女を死なせてしまうようなことが耐えがたいのに加え、辺りの不気味さは例えようもないほどでございました。[23]
夜中を過ぎたのでしょう、風がやや荒々しく吹いていました。その風が松に吹きつけて音を立てているのが深く響き、また、怪しげな鳥がしゃがれた声で鳴いていたのを、「これがフクロウという鳥だろうか」と思いながら聞いていらっしゃいました。色々と考えてみると、どこからも離れていて嫌な感じがして、人の声もしません。
「どうしてこのように頼りない家に泊まってしまったのだろう」と思うと、悔やまれて悔やまれてどうしようもありませんでした。
右近はというと、正気を失ったままじっと光る君に寄り添っており、恐怖のあまり死んでしまうのではないかと不安になるほど震えております。「この女はどうなってしまうだろうか」と、無我夢中で右近をつかまえていらっしゃいました。正気をお保ちになっている光る君お一人に、嫌な気分が重苦しくのしかかってきます。灯火はかすかに点って、母屋の入り口に立てている屏風の上方や、その他どこもが薄暗くてよく見えない中、ギシギシと床を踏み鳴らしながら物の怪が後ろの方から近づいてくる気配がしてきました。
「惟光よ、早く来てくれ」
光る君はそう願いなさるばかりでしたが、惟光の居所が分からずに、使いの者は方々を訪ね回っているところで、その夜が明けるまでの間の長さといったら、まるで千夜を過ごしているような心地がしていらっしゃいました。やっと、一番鶏の鳴く声が遠くに聞こえると、
「何の因果で、このような命がけの目に遭っているのだろう。我ながら、身分にそぐわない恋をした報いでこんな前代未聞の例を作ってしまうことになりそうだ。私が黙っていても、どこかから秘密は漏れ、父上がお聞きになってしまうことはもとより、世の人が色々と口にすることが、上等ではない子どもらの言いはやすことにもなるだろう。挙げ句の果てには愚かしい評判を手に入れることになるのだろうなあ」と考えを巡らせなさるのでした。[24]
ようやく、惟光が参上しました。いつもは夜、朝と問わず、光る君に服従しているのに、この夜に限ってお側を離れ、お呼び出しにもぐずついてなかなか現れないのを憎らしくお思いになりつつお呼び入れになったものの、おっしゃろうとしていることの、あまりの張り合いのなさに、容易にはお言葉が出てきません。
右近は、惟光がやってきたことに気づくと、夕顔の花を縁とした馴れ初めからの様々なことが思い出されて泣いておりました。
光る君も堪えることがおできにならず、今までお一人で正気を保って右近の肩を抱いて励ましていらっしゃいましたが、惟光の登場でほっとなさると、痛切な悲しみが押し寄せてきて、しばらくの間、涙を抑えることができず、激しくお泣きになっておりました。そして、少し気持ちを落ち着けておっしゃいました。
「ここで、非常に恐ろしく奇怪なことがあったのだ。驚いた、などという生半可なものではない。こういう緊急事態には経を読み上げるものだと思って、また、その他に祈願もさせようと阿闍梨も呼ばせたのだが、どうなっている?」
「兄は、昨日比叡の山へ帰ってしまったのです。それにしても、実に奇妙なことですね。夕顔の女君の具合が悪かったということはありませんでしたか?」
「いや、そんなことはなかった」
そう言ってお泣きになるお姿はたいそう美しく、またおいたわしくて、見申し上げる人も非常に悲しくなり、惟光も涙を流しておいおいと泣くのでした。[25]
惟光が参上したとはいえ、こうした危急の状況下では経験豊富な年長者こそ頼りになるものです。光る君も惟光も若い者どうしで、言いようもないほどですが、
「この院の管理人に聞かせるのはとても不都合でしょう。管理人ひとりだけを考えれば親しいでしょうが、いつの間にか漏らしてしまう身内もいるでしょう。まずはこの院をお離れになるのがよろしいかと」
「しかし、ここよりも人が少ない所があるものだろうか」
「確かにそうでしょうね。女君の家は女房たちが悲しみに堪えられず泣きわめくでしょうし、隣家は人も多く、見とがめる人も多くいるでしょうから、自然と噂になるでしょう。山寺であれば、このようなことが多く持ち込まれるので、紛れるのではないでしょうか。昔、私が親しくしていた女房が出家して尼をしております東山の辺りにお移ししましょう。私の父の乳母だった者でして、老いさらばえて住んでいるそうです。あたりには人も多くいるようですが、ひっそりとした所です」
と相談して決めると、惟光は夜がすっかり明けてしまう前に御車を用意しました。光る君は、死体となってしまった夕顔の女を抱きかかえなさることができないので、上筵にくるんで、惟光が車にお乗せしました。女君はとても小さく、嫌な感じもなく、かわいらしくございました。しっかりとくるんだわけではなかったので、髪の毛が外にこぼれ出ているのを見るにつけても、あまりの悲しさに涙が溢れ、最後まできちんと見届けたいとお思いになりましたが、惟光が、
「早く御馬で二条院へお帰りください。人目につかないうちに」
といって、夕顔の近くには右近を乗せ、惟光は馬を光る君に献上すると、自分自身は指貫の裾を引き上げるなどして徒歩となり、思いも寄らないお見送りではありましたが、光る君の激しいお嘆きぶりを拝見しては、自分の身など最早どうでもよいと思われるのでした。
一方、光る君は正気を失い、茫然自失になりながらやっとの思いで二条院にご到着なさいました。[26]
二条院に仕える人々は、
「どちらに行っていらしたのですか」
「苦しそうにお見えになりますがどうなさったのですか」
などと声をお掛けしましたが、光る君は何とも返事をなさらず、御帳台の内にお入りになり、胸を押さえて色々考えると、あまりにも悲しみが大きくて、
「なぜ車に乗り合わせて行かなかったのだろう。もし生き返ったとして、私がそばにいなければどう思うだろうか。見捨てて立ち去ったのだと、私のことを薄情な人間だと思うのではないだろうか」と、狼狽しながらも夕顔のことをお思いになると、胸がお詰まりになるのでした。頭痛も酷く、熱があるような気がしてとても苦しいので、動揺なさって、「こうしてあっけなく私も死んでしまうのかもしれない」とまでお思いになっておりました。
日が高くなっても起き上がらずに臥せっていらっしゃるので、人々は奇妙に思って、お粥などを召し上がるよう促しましたが、苦しさと心労とで食事どころではありません。そこに、内裏からのお使いがやってきました。昨日、光る君を尋ね当てることができなかったことで、帝が心配していらっしゃるのでした。義父の大臣家の御子息も参上なさったのですが、光る君は頭の中将だけを、
「立ったまま、こちらへお入りください」
と部屋へ招き入れなさり、御簾を隔てたままお話しになります。
「今年の五月ごろから重い病に倒れていた私の乳母が、仏門に入って戒を授かった御利益か、持ち直していたのですが、近ごろまた具合が悪くなり、弱くなってしまったのです。もう一度会いに来ておくれ、と私に言うものですから、幼い頃からいつも側にいてくれた人の最期に立ち会わないでは、薄情者だと思われるだろうというわけで、見舞いに伺っていたのですが、その家の召使いが病気を患って里下がりもしないまま急死したのを、客人の私に遠慮して、日が沈んでから遺体を外へ運び出したということを、後になってから聞きまして、神事が色々とあるころだから、死の穢れに触れた私が内裏に出仕するのは非常にまずいだろう、と恐縮して参上できずにいたのです。今朝方から、風邪でしょうか、咳と頭痛が酷くて苦しいものですから、失礼とは存じつつ、こうして帳台の内から簾まで隔てて申し上げましたこと、ご容赦ください」
などとおっしゃいました。[27]
頭の中将は、
「では、そのように帝に申し伝えましょう。昨夜も、管絃の催しにあなたがいらっしゃらなくて帝はご機嫌が悪くていらっしゃいました」
と申し上げなさると、話を戻して、
「それで、いったいどのような穢れに遭遇したというのですか。先ほどのお話はとても信じられませんね」
光る君は胸がどきどきして、
「細かいことはいいので、ただ思いがけない穢れに触れてしまったと、それだけ帝にお伝えください。自ら参内して弁明しないのは怠惰なようで心苦しいのですが」
と、平静を装っておっしゃったのですが、内心はどうしようもなく悲しい昨夜の出来事をお思いになり、気分も優れなかったので、人と目を合わせることもありません。光る君は蔵人の弁をお呼び寄せになり、真剣に帝に先ほどの内容を奏上させなさいました。義父の大臣にも、お伺いできずにいる理由をしたためたお手紙をお書きになりました。
日が暮れてから惟光が参上しました。死の汚れに触れたことにしてあるため、参上する人々はすぐ退出するので、あまり多く人はいませんでした。惟光を近くにお呼び寄せになり、
「どうだった、だめだったか?」
とおっしゃるまま、袖をお顔に押し当ててお泣きになりました。惟光も泣きながら、
「完全にお亡くなりになってしまったようです。いつまでもご遺体と一緒に籠もっておりますのもあまりよくないと思いますので、明日はちょうど日も良かったので、知り合いの徳の高い老僧に、葬儀のことは頼んでおきました」
と申し上げました。
「寄り添っていた女の様子はどうだ?」
「右近もまた生きていられないといった感じでした。一緒に死んでしまいたい、などとうろたえて、今朝は谷に身を投げてしまいそうに思えるほどでした。女が、『家に残っている女房たちにもお知らせしなくては』と申したのですが、『少し落ち着きなさい。色々とよく考えてからでなければ』となだめておきました」
とお話しするのを聞くにつけ、また非常に悲しくお思いになって、
「私も非常に気分が優れなくて、どうにかなってしまうのではないかと思われるよ」
とおっしゃいました。[28]
「この上、何を思い悩んでいらっしゃるのですか。すべては運命なのです。この秘密は誰にも漏らすまいと思ってこの惟光が懸命に立ち働いております」
などと申し上げました。
「そうだな。そのように思い込もうとしたのだが、私の浮ついた心の気まぐれから人を死なせてしまった恨みを負うことになるのが非常に辛いのだ。少将の命婦などにもこのことは聞かせてはならない。尼君は言うまでもない。あの人は、このようなことには口うるさくお咎めになるから、きまり悪くて仕方ない」
と口止めをなさいます。
「法師たちにも、真相とは異なる話をしておきました」
と申し上げるのを聞くと、やはり信頼できる男だとすがるような思いでいらっしゃいました。かすかにやりとりを耳にした女房たちは、
「奇妙なこと。何事でしょう」
「穢れにふれたことを口実にして参内もなさらず、その上こうして惟光と内緒話をしてはお嘆きになっているわ」
と、少し怪しく思っておりました。
「いっそう慎重に、上手く事を運んでくれ」
と、葬儀の作法についてもお話しになりましたが、
「いえ、おおげさにするべきではございません」
といって立つのがとても悲しく思われなさって、
「不都合だと思うかもしれないが、もう一度あの女の亡骸を見ないでは悔いが残るに違いない。私も馬で行こう」
とおっしゃるのを、困ったことだとは思いましたが、
「そこまで思っていらっしゃるなら仕方ありませんね。早くお出でになって、夜が更ける前にお戻りください」
と申し上げると、夕顔の女との逢瀬のためにご用意なさった変装用の狩衣に着替えてお出かけになりました。[29]
光る君は耐えがたいほどにお気持ちが暗く、このように怪しげな道を行くにつけても、昨晩の危険な目に懲り懲りしているので、胸が苦しくおなりになるのですが、女を失った悲しみはやはりいかんともしがたく、いまあの女の亡骸を見なければ、もうこの世で見ることはできないのだ、とご自分に言い聞かせ、いつものように惟光と随身を引き連れてお出かけになるのでした。
道のりは遠く感じられました。十七日の月が空に浮かび、先導の松明も薄暗い中、鴨川の辺りで鳥辺野の方に目をやった時、気味の悪さなど気にもならず、ただただお気持ちが乱れつつ東山にご到着なさいました。辺り一帯が寒々しい雰囲気であるのに加え、板葺きの家の隣にお堂を建ててお勤めをしている尼の住まいは非常にもの寂しく、しんみりとした雰囲気でした。
お灯明の光が幽かに透けて見えます。その家は右近ひとり泣く声だけがして、部屋の外では二、三人の法師が話をしつつ、声を立てずに南無阿弥陀仏を唱えております。宵の勤行もすべて終え、非常にしんみりとした雰囲気でした。清水寺の方は光がたくさん見えて、人の気配も多くございました。この尼君の子の大徳が尊い声でお経を読み上げているのに、光る君は枯れるほど涙が溢れなさいます。
家の中にお入りになると、右近は夕顔の女の亡骸から灯火を離して屏風を隔てて泣き伏しておりました。「どんなにつらいことだろう」とご覧になります。夕顔の亡骸は恐ろしい感じもせず、とてもかわいらしい様子で、生前と少しも変わらない気がしました。光る君は夕顔の手をお取りになって、
「せめてもう一度声を聞かせてください。どのような因縁からか、しばしあなたに夢中になっていたのに、私をこの世に置き去りにして悲しませるとは、あんまりです」
と、声も惜しまずに号泣なさいました。[30]
大徳たちも、光る君だとは知らずに、並々ならぬ縁があるのだろうと思って皆涙を落としていました。右近には、
「さあ、二条院へ帰りましょう」
とおっしゃいましたが、
「長い間、幼い頃から片時もお側を離れずにお仕えしてきた方と、あまりに唐突にお別れすることとなって、私はいったいどこへ帰れば良いのでしょう。この顛末を、五条で待つ他の女房たちにどう話せば良いのでしょう。悲しいのはもちろんですが、それはそれとして、皆に大騒ぎされるのが非常につらく思われるのです」
といって泣き惑い、
「火葬の煙と一緒に、私もあの世へお供したい・・・」
「そう思うのはもっともだが、世の中とはこういうものなのだ。悲しくない別れなどというものはない。どんな命もいつかは潰えるものだ。どうにか気持ちを慰めて、今後は私を頼りにしなさい」
とおっしゃり、なだめてはみたものの、
「かくいう私も生きていられない心地がするよ」
とおっしゃるのは、何とも頼りがいのないことです。
惟光が、
「夜明けが迫ってきたようです。早くお戻りにならないと」
と申し上げると、悲しみで胸がいっぱいになり、後ろ髪を引かれる思いで振り返り振り返りしつつ、そこを出なさいました。道にはたくさん露が降りており、更に朝霧まで立ちこめて、どこへともなくさまようような心地がなさるのでした。夕顔の女が生前の姿のまま横たわっていた様子や、夜に互いに掛け合っていた着物で、自分の紅の上着を女君に着せていたのがそのままだったことなど、自分とあの女とはいったいどのような宿命だったのだろうか、と道すがらお思いになっていました。[31]
傷心のあまり、御馬にもしっかりとお乗りになれないご様子なので、惟光が介添えしながら二条院へとお帰りになる途中、鴨川の土手のあたりで馬を下り、お心の激しい乱れのために、
「こんな道でさまよいながらどこかへ消えてしまうのではないだろうか。二条院には絶対に戻れない気がしてきた」
とおっしゃると、惟光も、
「私がしっかりしていれば。あの時、夕顔の亡骸を一目見たいとおっしゃっても、このような道にお連れ申し上げるべきではなかった」
そう思うと、落ち着かないので、川の水で手を洗い、清水寺の観音様に救いを求めてお祈りしましたが、それでも、どうしようもなく心が乱れておりました。光る君も、無理に心を奮い立たせて心の中で御仏を祈念なさると、また惟光に助けられながら、どうにか二条院へお帰りになりました。
奇妙な深夜の外出を、二条院の女房たちは、
「みっともないことですわ」
「最近の光る君様は、いつも以上に落ち着きないお忍びのお出かけが頻繁でしたが、昨日のご様子はすごく苦しそうでいらっしゃったわ」
「どうしてこんな風にうろうろと歩き回っていらっしゃるのでしょう」
と嘆いておりました。
床に伏しなさったまま、本当にとてもひどく苦しみなさって二、三日が過ぎ、ひどく弱ってしまわれました。
帝もそのことをお聞きになると、この上なくお嘆きになりました。祭り、祓、修法など、言い尽くせないほどの加持祈祷があちこちで絶え間なく行われています。佳人薄命という語もある通り、世にまたとなく、神秘的なほど美しいお姿なので、この世に長くはいらっしゃることができない宿命なのだろうか、と世の人は騒いでおりました。苦しいながらも右近をお呼び寄せになって、ご自分の居室の近くに部屋をお与えになり、仕えさせなさいます。惟光は光る君のご容態を思うとで気が気でないのですが、何とか気持ちを落ち着けて頼るものがない不憫な右近をあれこれ助けつつ二条院に仕えさせます。
光る君は少しお加減がよい時には右近を呼び出して用を言いつけたりなさるので、すぐに他の女房たちと親しくなりました。濃い墨染めの喪服を身にまとい、容貌が良いとは言えませんが、見苦しくもない若い女でした。[32]
「短かく終わったあの人との不思議な運命に引き寄せられて、私もこの世にとどまることができないようだ。もし生きながらえたら、長年頼りにしていた主人を失って心細く思っているお前を慰めるためにも、色々と世話をしようと思ったが、じきに後を追って死ぬことになりそうなのが残念だよ」
と、静かにおっしゃって、弱々しくお泣きになるので、夕顔の女を失った喪失感はさておき、右近は非常に悲しく思い申し上げました。二条院に仕える人々は、地に足もつかずうろたえております。内裏からの御使いは雨脚よりも多いほどでした。
光る君は、帝のお嘆きを聞きなさるにつけ、非常に畏れ多くて、無理にも気を強くお持ちになりました。義父の大臣も懸命に立ち働きなさり、毎日お見舞いに訪れなさっては加持祈祷など様々なことをさせなさった、そのおかげでしょうか、二十数日間も非常に重く苦しんでいらっしゃったのが、順調に快復していくようにお見えになりました。
そして、死に触れた穢れを忌み慎む期日が、病床から抜け出したのとちょうど同日の夜に一致しました。待ち遠しくお思いになっている帝の御心地を思うと心苦しいので、内裏の御宿直所に参上なさることにしました。義父の大臣が、ご自身の車でお迎え申し上げなさって、物忌みだの何だのど、慎ませ申し上げなさるので、光る君はまるで別世界に蘇ったかのような気がして、しばらくは呆然としていらっしゃいました。
九月二十日ごろに、完全に快復なさり、たいそうひどくおやつれになっていましたが、かえって素晴らしく清らかな美しさが加わっていらっしゃいました。しかし、物思いに沈みがちで、声をあげて泣いてばかりいらっしゃいます。その様子を拝見して不審に思い、物の怪のしわざではないかなどと言う人もいました。[33]
右近をお呼び出しになって、穏やかな夕暮れ時に、話などをなさって、
「やはりどうしても分からない。あの人はどうして素性をお隠しになったのかな。本当に名乗るほどの身分ではなかったとしても、私の思いの深さを知らずに、最後までお隠しになったのが恨めしくてしかたなかった」
とおっしゃると、
「どうしてそんなに隠し申し上げなさることがございましょうか。いつどのような機会にお名乗り申し上げなさればよかったというのでしょう。最初の出会いからして思いがけないものだったので、『現実とは思えない』とおっしゃって、『お名前を隠していらっしゃるのも、やはりあのお方だからで、きっと、いい加減に正体をごまかすおつもりでいらっしゃるのでしょう』とつらく思っていらっしゃったのですよ」
と申し上げると、
「無意味な意地の張り合いだったというわけか。私はそんな風に隠すつもりはなかったのだ。ただ、このような人に許されない振る舞いを経験したことがなかったものだから。父帝がお諫めなさるのをはじめとして、慎まなければならないことが多い身で、女性とのちょっとした戯れごとのような恋でも、人がおおげさに言うのだよ。そんな煩わしい身であるのだが、あの日の夕方以来、不思議とあの人のことが心にとまって、強引にお会いすることになったのも、あの人はこうなる運命でいらっしゃったのだろうと思うと、しみじみ気の毒なことだ。しかしまた恨めしくも思う。このように短く終わる運命だったのに、どうしてあんなにもしみじみ愛しく思ったのだろう。あの女について、詳しく聞かせてくれ。今となっては何も隠すことはあるまい。七日ごとの供養に御仏の絵を描かせるのにも、誰のための供養か分かっていなければ祈ることもできない」[34]
「どうして光る君様にお隠し申し上げることがありましょうか。ただ、ご自身がお隠しになってきたことを、亡くなった後に言いふらすわけにはいかないと思っているだけです。ご両親は早くに他界されてしまわれました。お父上は三位中将と申し上げる方で、あの方をとてもかわいがっていらしたのですが、ご自身の朝廷での身の上が思い通りにならなかったうえに、お命まで意に反して潰えてしまいなさった後、ちょっとした縁で、今の頭の中将様がまだ少将でいらっしゃった時に、あの方をお見初めになって、三年ほどは愛情深くお通いになっていたのですが、去年の秋頃に、頭の中将様の義父でいらっしゃる右大臣様の所からとても恐ろしいことを言ってきて、あの方はひどく臆病なご性格でしたから、どうしようもなく恐がりなさって、西の京に乳母が住んでおりましたので、そこにそっと身を隠すことになさったのです。ところが、それも非常に見苦しい家だったので山里に移ろうと思っていらしっしゃいました。しかし今年はそちらは方違えの方角でしたので、あの五条の粗末な家にいらっしゃったのですが、そこを光る君様に見られてしまった、と嘆いていらっしゃったようです。異常なほど人目を気になさって、人に物思いをしている所を見られるのを、恥ずかしいことと思いなさり、平然としたふるまいを光る君様にはお目にかけていらっしゃるようでした」
と語り出したので、「やはりそうだったか」と、前に聞いた頭の中将の話と思い合わせて、いよいよ悲しみが増してきました。
「幼い子を行方知れずにしてしまったと頭の中将は嘆いていたが、子もいたのか?」
「はい。一昨年の春にお生まれになりました。とてもかわいらしい女の子です」
「それで、その娘はどこにいるのだ。誰にも知らせずに私に預けなさい。何も残さずに世を去ってしまって非常に悲しく思っていたが、そうなればあの人の形見として手元に残るから非常に嬉しいことだろう。頭の中将にも伝えなければなないが、言ってもどうにもならない恨み言を言われるだろうな。どう考えても、私がその子を育てるのに罪はないだろう。その乳母にも上手に言ってここに連れてきなさい」
「そうなればどんなにか私も嬉しくございましょう。あの西の京でお育ちになるのは心苦しいことですから。五条の家にはしっかりと面倒を見る人がいないからといって、そこにいるのです」
と申し上げました。[35]
静かな夕暮れの空が非常に美しいある日、二条院のお庭が所々枯れ、虫の鳴き声もしなくなって、次第に木々の葉が色づいて紅葉を始めている様子が、絵に描いたかのように風情があったのを見渡して、
「思ってもみなかった、趣きあるお勤め先だわ」と、かつての夕顔の家を思い出すときまり悪く思われました。竹の中で家鳩という鳥が野太い声で鳴くのをお聞きになって、かつてあの院でこの鳥が鳴いたのを聞いた夕顔の女がたいそう恐がっていたかわいらしい面影が思い出されなさるので、
「あの女は何歳でいらっしゃったのだろう。不思議と他の人とは違ってか弱くお見えになったのも、このように命が短い運命だったからだったのだな」
「十九歳でいらっしゃったはずでございます。右近めは、あの方の御乳母が娘の私を残して死んだので、三位中将様がかわいがってくださり、あの方のお側でお育てくださったのことを思い出しますと、どうしてこの世に生きていられようか、という気が致します。どうしてこんなに慣れ親しんでお仕えしてしまったのだろう、と口惜しくて。弱々しくいらっしゃったあの方を、主人と頼って長年お側に仕えてきたのでございます」
「頼りなさそうなのこそ、女はかわいいのだ。あまり賢くて男に心を寄せないようなのは非常に気にくわないものだ。私自身がしっかりとしていないものだから、とにかく素直でうっかり男に騙されてしまいそうな女で、遠慮深くて夫の心には従うようなのが、しみじみ愛おしくて、それを自分の思い通りに育て上げたら心惹かれるに違いない」
「わが主は、まさに光る君様の好みの女性だったのだ、と思うにつけ、ますます残念なことです」
といって泣いております。
空が曇って風は冷たく、光る君はひどく物思いに沈みつつ、
見し人の煙を雲とながむれば夕べの空もむつましきかな
〔空に浮かぶあの雲を、私が愛した夕顔の女の火葬の煙だと思って眺めると、この夕暮れの空も慕わしく思えることよ〕
と独り言のようにおっしゃいましたが、右近は返歌も申し上げることができず、私の代わりにあのお方が光る君の側にいらっしゃったら、と思うと胸が詰まるのでした。五条の家にお出でになったとき、耳にうるさかった砧の音までが恋しく思い出され、「正に長き夜」と口ずさみながら、横におなりになるのでした。[36]
ところで、あの伊予の介の所の小君が二条院に参上することがあったのですが、光る君が空蝉に対して以前のようなお言付けをなさらないので、すっかり嫌われてしまったのだと思うとつらく思っていたのですが、光る君が病床に伏せっていらっしゃるという話を聞くと、さすがに嘆いておりました。夫とともに、遠く伊予の国にくだることになっているのを、さすがに心細く思って、私のことはすっかりお忘れだろうかと、試しに、
「お聞きして心配しておりますが、口に出すわけには・・・。
問はぬをもなどかと問はで程ふるにいかばかりかは思ひ乱るる
〔お見舞いもせずにいることを、どうしてかとお尋ねくださらずに過ぎましたが、私もどんなにか思い乱れていることです〕
生きている甲斐がない気がいたします」
と文を差し上げました。久しぶりの空蝉からの手紙でした。光る君はこの女への愛情もお忘れなってはおりません。
「生きている甲斐がない、とは誰が言うおうとしていたことだろうか。
空蝉の世はうきものと知りにしをまた言の葉にかかる命よ
〔あなたとのはかない関係はつらいものだと思っていましたが、あなたからこのような文をいただき、また期待をかけて生きていこうと思うこの命です〕
頼りないことです」
と、手も自然と震えながら乱れ書きなさっているのが、いっそう美しい雰囲気でした。今なお、蝉の抜け殻のように脱ぎ捨てた小袿をお忘れにならずにいることが、いじらしくもおかしくも思えました。こうして細やかに便りを交わし申し上げるものの、お会いしようとは思っておりませんでした。ただ、さすがに、まあまあ悪くない女だったと思われて終わりにしたい、と思っていたのです。
同じ家に住むもう一人の女は、蔵人の少将を夫として通わせているという噂を耳になさいました。
「奇妙なことだ。少将はどう思っているのだろう」と、少将の心の内も気の毒で、また、その女の様子も知りたかったので、小君に手紙を託しました。
「私が死ぬほど強く思っている心を、知っていらっしゃいますか。
ほのかにも軒端の荻を結ばずは露のかごとを何にかけまし」
〔たった一夜でもあなたと契りを結んでいなかったら、ほんの少しの恨み言でも何にかこつけて言うことができたでしょうか〕
背の高い荻に結びつけて、「誰にも見つからないように」とおっしゃいましたが、
「小君がしくじって、少将もこの文を見つけて、この女に最初に手を付けたのが誰であったか知られたとして、その相手が私だというのだから、許してくれるだろう」と思っている、その傲慢さは信じられません。[37]
小君は、蔵人の少将がいない時に光る君の手紙を渡したので、女はつらいと思いましたが、このように自分を思い出してくださったことはさすがに嬉しくて、返歌は、早いことだけを取り柄として、小君に託しました。
「ほのめかす風につけても下荻のなかばは霜にむすぼほれつつ」
〔風が吹き付ければ音を立てるのが荻ですが、ほのめかしてくださることを嬉しく思いつつも、霜がおりた下荻のように私の心は半分しおれております〕
字は上手くありませんが、それをごまかして、しゃれた風を装って書いているのが下品でした。火影に見た顔が思い出されます。
「気を許さないまま向かい合っていた空蝉は嫌いになりきれない魅力があったな。それに比べて、思慮深さもなさそうだし、得意げにはしゃいでいたことよ」
と思い出しなさるのですが、それでも嫌いではないのでした。性懲りもなく、また浮き名を立ててしまいそうな、気まぐれなお心のようです。
夕顔の四十九日の法要は、ひっそりと延暦寺の法華三昧堂で簡略化せずに、装束を初めとしてしかるべきものはきちんと整え、読経などをさせなさいました。経の巻物や仏像の装飾まで並大抵ではありません。非常に尊い惟光の兄の阿闍梨が、比類なく見事に供養を執り行いました。
光る君の学問の師で、親しく思いなさる文章博士をお呼びになって、供養の祈願状を作らせなさいます。祈願状の草案には、誰とは書かず、死んでしまった愛しい女性を、阿弥陀仏にお譲り申し上げる旨をしみじみとした筆致でお書きになると、博士は、
「このままで良いでしょう。付け加えるべきことはないようです」
と申し上げました。光る君はこらえきれずに涙をこぼし、非常に悲しくお思いでいらしたので、
「いったいどなたなのです?あの人だという噂もなくて、このように光る君を嘆かせるほどの宿命とは」
光る君は密かに仕立てさせなさっていた袴を取り寄せなさって、
泣く泣くも今日はわが結ふ下紐をいづれの世にかとけて見るべき
〔今日泣きながら結ぶ袴の下紐を、いつかの世でまたほどいて会うことができるだろうか〕
「四十九日までは魂がさまようそうだが、来世はどういう道に決まったのだろう」と思いを馳せなさりつつ、しみじみと念仏を唱えなさいます。
頭の中将を見なさるにつけても、どうしようもなく胸がどきどきして、夕顔の娘の話を聞かせたいと思うのですが、 非難されるのを恐れて言い出せずにいらっしゃいました。[38]
五条の夕顔の家では、「ご主人様はどこに行かれてしまったのでしょう」とうろたえていましたが、そのまま尋ね当てることもなくおりました。右近までも帰ってこないことを、おかしいと思ってみな嘆いています。確かではないものの、通ってきていた人の気配を、光る君ではないかと噂していたので、惟光に文句を言ってみたのですが、まったく関わりないように言い、以前と同じように浮気めいた心で通ってくるので、女たちはますます夢のような心地がして、
「もしや、好色な受領の子が、頭の中将を恐れて、そのまま任国に連れて行ってしまったのではないだろうか」
などと想像していました。
この家の主というのが、西の京の乳母の娘なのでした。その乳母には三人の子がいたのですが、右近は他人だから女君のことを聞かせないのだ、と泣きながら恋い慕っていました。
右近は口やかましく非難されることを思って、光る君もまた今さら秘密は漏らすまいとお隠しになるので、幼い女児のことさえ聞くことができず、情けなく、あてもなくすぎてゆくのでした。
光る君は、せめて夢ででも夕顔の女に会いたい、と思い続けなさり、四十九日の法要をなさった翌日の夜、かすかに、あの時の院で夕顔に取り憑いたのと同じ女が夢に見えたので、
「荒れた屋敷に棲みついた物の怪が、私に心を奪われたせいでこのようなことになってしまったのだ」と思い出しなさるにつけ、忌まわしく思われました。
伊予の介は十月の上旬に下っていきます。光る君は「一緒に下っていく女房たちに」といって、餞別を格別にお与えになります。それとは別に、内々にわざわざ心を込めた趣きある櫛や扇を空蝉のためにたくさん用意し、幣なども非常におおげさにこしらえて、例の小袿もお贈りになりました。
逢ふまでの形見ばかりと見しほどにひたすら袖の朽ちにけるかな
〔あなたに逢うまでの形見だと思って見ているうちに、ひたすら流れた涙に濡れた袖が朽ちてしまったことです〕
その他にも、細々としたことがありましたが、煩わしいのでここには書きません。光る君の使いは帰りましたが、小君を通じて小袿の返歌だけは申し上げました。
蝉の羽もたち変へてける夏衣かへすを見てもねは泣かれけり
〔蝉の羽のような夏の衣が返されたのを見るにつけても、色々な思いがこみ上げてきて、声を上げて泣かれるばかりです〕
「思えば不思議なほどの気丈さで私から離れてしまうのだな」と思い続けなさいます。今日が立冬の日であったこともはっきりと分かるように時雨が降り、空模様もたいそうしみじみとした雰囲気です。光る君は物思いに耽ってお過ごしになり、
過ぎにしも今日別るるも二道に行くかた知らぬ秋の暮れかな
〔夕顔の死出の旅路も、今日旅立っていく空蝉も、ともにどこへ行くのか分からない、そんな秋の夕暮れであることよ〕
やはり、このような人知れぬ恋というのは苦しいものだな、と思い知りなさったようでした。このような煩わしいことは無理にでも隠そうとなさったことですし、気の毒なのですべて書かずにいたのに、
「どうして帝の子であるからといって、本当のところを知っている者までが、何の欠点もないかのように褒めちぎっているのか」と、この物語を作り物だとおっしゃる人もいたので書いてしまいました。あまりにも口が悪い、というお咎めは避けられないかもしれませんが。[39]
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