近畿旅行記(2016GW)


GWの後半は近畿地方へ旅に出ました。

【5/03】

朝4時前に起床。(てか寝てない)

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というわけで有明の月とともに出発。

環状2号線から保土ヶ谷バイパスを通って東名高速へ。

何度も来ているのになぜか保土ヶ谷バイパスから一般道に下りるというミス。爆

すぐに復帰して東名高速に入りました。静岡までブッ飛ばす予定だったのですが尿意に邪魔されて中井PA(神奈川)でさっそくのトイレタイム。

用を済ましたらさっさと出発して、今度は計画通りの休憩地点静岡SAに到着。(7:00ごろ)

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かき揚げ丼が美味しそうだったのですが残念ながら朝9:00~しかオーダーできないとのことで、コーヒーだけ飲みました。

このSAはバンダイが出資しているそうで、ガンダムの立像がありました。

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お台場のを見ているので「ちっさ!」という感想しかありません。笑

あと、ガンプラを売っているようでした。

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ということで小休止を終えて再出発したところ、すぐ眠気が・・・。

またしても予定外の小休止@遠州森町(静岡)。(8:00ちょっと前)

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お腹も空いたので朝ご飯。

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石松ラーメンだって。森の石松ね。

ラーメン買ったらコーヒー割引券がついてきたのでここでもコーヒーブレイク。

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で、しばらく走っていたらいつのまにかナビが迷子に!
Σ(っ゚Д゚;)っ

浜松いなさ~豊田東が今年の2月に開通したんですね。

ナビさんはその情報を知らないので「300m先、右折です」とかしばらく言い続けていましたが、もちろん無視して走っていると途中からご立腹してだんまりを決め込んでいました。

自分もちょっと焦ったので岡崎SA(愛知)で休憩することにしました。(9:00過ぎ)

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何だろう、このバルタン星人のようなフクロウのようなデザインは?

トイレだけ済ませたら再出発。

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伊勢湾岸道路までは順調だったのですが、東名阪に入ると亀山JCTを先頭に魔の渋滞。

ここで1時間以上(2時間近く?)はロスしました。

何とか渋滞を抜けると、伊勢自動車道へ。

新名神、名神ルートを通っていたらまだ渋滞があったようです。

そして最後の休憩のため、安濃SA(三重)へ寄って小休止。(12:00前)

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その後、津で高速を下り、一般道を走って最初の目的地である奈良県桜井市の長谷寺に到着!(14:00ごろ)

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1枚目は遠くから(といっても長谷寺の境内)から撮った本堂の写真、2枚目が近くで撮った本堂です。

広大な山寺で素晴らしすぎる風情がありました。

お寺というのは仏教ですから、来世への祈願が原則です。

現世はさておき、来世こそ極楽浄土へ、というのが仏教の基本思想です。

一方で、現世のモノを救うという信仰もありまして、ここ長谷寺は現世における御利益があるということで平安時代の貴族たちから絶大な信仰を集めており、古典作品の中で「初瀬はせ参り」という情景がしばしば出てくるわけです。

そんな長谷寺の御本尊は「十一面観音」です。

長谷寺案内

観音様というのは「観世音菩薩かんぜおんぼさつ」の略称で、現世での御利益が期待できるとされ、信仰されます。

菩薩様というのは仏に次ぐ立場で、修行中の身です。

そして様々な世界(人間界、修羅道、地獄etc.)の者たちを導き救ってくれるありがたい存在です。

というわけで現世での御利益を期するなら観音様が御本尊のお寺を選びましょう。

そんな長谷寺の十一面観音像を特別拝観ということで拝んで参りました。

もちろん国宝です。画像では見たことがあったのですが、その巨大さに驚きました。

10メートル以上あるそうです。しっかりお詣りしてきました。

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特別拝観の時に授かりました。正式名称はなんでしょう?
※追記:いただいた紙袋に「結縁けちえんの五色線」と書かれていました。笑

観音様とのご縁を結ぶものだそうで、お守りと同じように考えてください、とのことでした。

牡丹の花が咲いていまして、「長谷寺ぼたんまつり」というのも開催されていたようです。

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五重塔です。

そして鐘楼。

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この鐘はお坊さんが突くのではなく、参詣の人が下から綱を引くことで鐘が突かれる仕組みでした。

長谷寺が素晴らしすぎるので長居してしまいまして、この後は法隆寺に行くはずだったのですが拝観時間内に到着することは不可能。

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ということで、お昼ご飯もまだだったのでラーメン。

塩元帥というお店の天然塩ラーメン。

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これは美味しい塩ラーメンでした!

そしてこの頃雨が降ってきておりました。

そんな中、拝観時間は終了していてもまあ外から写真だけ撮るべ、と法隆寺へ。

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法隆寺の立派な外門。

もちろん中には入れないのですが、入った先に白いものが・・・笑

門まで近寄って撮った写真がこちら。

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修繕工事中なんですね。

五重塔だけでも綺麗に撮りたかったですが、まあ仕方ない。

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仕方ないので奈良を後にして大阪へ。

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実は長谷寺から大阪のおっさん(怪獣)とご一緒して旅を回ったのです。

おっさんの案内で大阪は新世界に出て晩ご飯は串カツ。

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串カツをおかずに白飯を食べたら笑われました!

知らんし。おかずだし。

それからスーパー銭湯に行って、阪南地区で最高の宿泊施設・おっさん邸(笑)に宿泊。

前夜がまさかの不眠だったので速落ちました。
_(:3 」∠ )_


【5/04】

週間天気予報では雨だったのですが、前日の夕方~明け方にずれ込んだおかげで快晴。

朝起きて、この日はおっさんと和歌山方面へドライブ。

取りあえず昼ご飯を食べましょう。

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麺や えん 池田屋の和(なごみ)ラーメン。

とんこつラーメンでした。美味しゅうございました!

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そして高野山へ。

空海が開いたこと、織田家の重鎮・佐久間信盛が「お前さあ、失敗はしてないかもしれないけど働いてもないよね」と言われて信長に追放された地として有名です。

「掛かれ柴田に退き佐久間、米五郎左に木綿藤吉」という歌で、柴田勝家・丹羽[五郎左衛門]長秀・木下藤吉郎(羽柴秀吉)と並び称される佐久間信盛。

「退き佐久間」とは「逃げ足が速い」という意味ではなく、撤退戦の名手という意味です。

そんなことはどうでもよくて、とにかく高野山の道路のえげつない急カーブに苦笑。

坂もきつめなので4速だとアクセル開けても無駄で、基本的に3速でないと上りませんでした。

そして駐車場はほとんど満車。

大門というところのでっかい駐車場だけ空いていました。

そこからはバス。

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おい、ゆるキャラやめろwww
(,,#゚Д゚):∴;’・,;`:ゴルァ!!

何が「こうやくん」じゃボケ、空海が泣くぞ。

と、聞こえないように悪態をつきながらこうやくんバスに乗って金剛峯寺こんごうぶじに到着。

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金剛峯寺って豊臣秀吉が建立したんですねー!

知らなかった・・・。

高野山・空海・金剛峯寺・佐久間追放、といううっすらした知識しかなかったので。

そうか、金剛峯寺は空海が建立したんじゃなかったのか。

それから奥の院へ。

ここは本当に葬送地という感じでお墓がたくさん。

古いお墓から新しいもの、「宣伝じゃないの?」としか思えない企業のものまで。

お墓の写真を撮るのはあまり良くない気がしたのですが、信長のお墓は撮っておきました。

なぜなら信長は本能寺で絶命したと言われつつも遺骨が見つかっていないですからね。

ここには墓石はあっても遺骨は眠っていないので祟りはないはず。

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魔王の饗宴!
((((;゚Д゚))))

見た人が呪われると行けないので現代の魔王は魔封じしておきました。笑

そして奥へと進むと。

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玉川だ~!

実は玉川が高野山で一番の感激ポイント!

忘れても汲みやしつらん旅人の高野たかのの奥の玉川の水

空海が詠んだとされる和歌です。

この歌は『風雅和歌集』という鎌倉時代の歌集に選ばれており、また『雨月物語』という江戸時代に上田秋成が書いた作品の中にも取り上げられています。

『風雅和歌集』の詞書きには「玉川の上流には毒虫がいるから旅人がそのことを忘れて飲んでしまわないように空海が詠んだ歌だ」と書かれているそうです。(原典未確認)

これに対し、『雨月物語』では、「“玉”というのは美しいものを讃えてつけるものであり、毒虫がいる川を“玉川”などと名づけるわけがない。従って“忘れても”というのは、旅人がこの地に玉川が流れていることを忘れていたとしても、その水の美しさのためについ飲んでしまうことだろう、という意味だろう。てか、この歌がそもそも本当に空海の作なのか怪しいんだけどね」と書かれています。

そんな玉川を渡ると、目を見張る大木があったので記念撮影。

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そして奥の院は撮影禁止だったので遠くから。

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高野山も堪能したのでまた大阪のおっさん邸に帰りました。

そして焼き肉→スーパー銭湯→おっさん邸。


【5/05】

いよいよGW最終日です。

朝8:00ごろおっさん邸を出発。おっさん(怪獣)とはここでお別れ。

お世話になりました。ありがとうおっさん。

そして京都へ。

泉南ICから阪和自動車道に乗り、その後はどこをどう走ったのか分かりませんが阪神高速8号京都線の上鳥羽で下り、京都南IC近くのコインパーキングに車を停めました。

「連休中の京都市内は車なんか動かへんで」というおっさんのアドバイスにより、京都の中心部を避けた次第です。

そして歩いて竹田駅へ向かい、近鉄線の京都駅で下りてお土産を買いました。

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澤屋まつもと大吟醸。あと漬け物を少々。

そして地下鉄烏丸線に乗りました。

目的地は上賀茂神社で、競馬(くらべうま)を見物すること。

しかし競馬の開始は14:00ごろとのことで、まっすぐ向かうと早すぎます。

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ので、烏丸御池からすまおいけで下車し、二条城を見物することに。

まずは唐門からもん

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この門をくぐって中に入るとすぐ二の丸御殿です。

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二の丸御殿の中に入ることが出来ました。

部屋ごとに音声解説付きでしたが、室内は全て撮影禁止。

最後の将軍・慶喜が大名達を集めて「おれ大政奉還することにしたよ!」と告げた広間が再現されていました。

ふすま絵は狩野派の松とかが雄大に描かれているのですが、これは模写とのこと。

本物も宝物殿のようなところにあるとか。それも別料金で見られたのかな?

中を一通り見たあとは、庭園の見学。

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お堀。

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天守閣の跡地に上れたのでそこから撮った景色。

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さて、ケツカッチンがあるとゆっくり楽しめません。

ということでこの程度でここは立ち去り、なぜか京都御所へ向かいます。笑

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京都御所は事前に申し込むと平日なら入れて、宮内庁の方が案内してくれます。

5/05はこどもの日(端午の節句)で全ての門が閉門。

そんなことは分かってるけど、外から見るだけでも見てみたいじゃないか。

ということで二条城からめっちゃ早歩きで京都御所へ。

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建礼門です。うーん、中に入りたい。

そのまま西側を御所に沿って歩き、御所の外に出ました。

お昼は烏丸線北大路駅近くのラーメン屋で食べることに決めていました。

御所から歩いて行くと、おそらく競馬に間に合わない気がしてきました。

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ので、烏丸線の今出川駅を見つけたので飛び乗って北大路駅で下車。

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つるかめ北大路の旨辛らぁめん。

魚介系のラーメンに辛味を加えたラーメンでした。

美味しゅうございました。

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さて、つるかめのすぐ近くのバス停から市バスに乗り、いよいよ上賀茂神社へ!

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到着したのは13:00ちょっと過ぎ。

境内に入ると競馬(くらべうま)のコースがすぐ目に入りました。

観覧席には空席もまだありましたが大勢の人がいます。

500円を払って中に入り、スタート地点から少し離れた所の前から2列目をゲット。

ゴール付近はスピードが乗るので大迫力とのことで、そっちから席は埋まっていくようです。

しかし、結果的には自分の席は写真を撮るにはベスポジに近かった気がします。

競馬(けいば)とは違い、200mの直線コースを2頭の馬が疾走します。

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1枚目がスタート地点側、2枚目がゴール地点側です。

競馬(くらべうま)はギャンブルではなく、あくまでも神事なので儀式が諸々あります。

長いこと長いこと。笑

鳥居の前に乗尻のりじり(騎手)の乗った馬が現れました。

そして乗尻は一度馬を下り、馬が参道(※コースではなく)に入ってきます。

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それからコースに入ってくるお馬さんたち。

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ゴールからスタート地点の方に向かって進んできます。

それから、馬具が西洋馬術のものとはまったく違うんです、とアナウンスがありました。

鞍と鐙あぶみを狙って撮ってみました。

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こういう馬具は現代風に改良などはせずに昔のままのものを使っているそうです。

そしてお馬さんはUターンしてゴール方面に戻って退場。

「え?まだ走らないの?!!」って感じで少しあばれる君もいました。
(*`Д´)ブルヮ~~ブルヮ~~

警固衆と呼ばれる子どもたち(小学生)がコース内を巡ります。

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コース内に危ないものが落ちていないか、などを見回っていたそうです。

そしてここでいきなりスマホ君がフリーズしてシステムダウン!!!

工エェヽ(゚Д゚;)ノ゙ェエ工

おいおいおいおい、今回の旅のメインイベントやぞ!!!

ここで写真撮れなかったら今回の旅の意味ないやん!!!!!

この後の儀式の説明はもうまったく聞いていませんでした。

電源スイッチと必死に格闘して、どうにかレースが始まる前には復帰してくれました。

この時ばかりは長~~い儀式に感謝感謝でした。笑

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そしていよいよ乗尻を乗せた馬が入場してきました。

赤の装束は左方(さかた)、黒(っぽい)装束は右方(うかた)です。

今年は7レースありました。

1レースにつき、左方・右方1頭ずつ出走して勝負します。

乗尻が乗ったお馬さん14頭がコースを歩いた後、また退場します。

で、いよいよ勝負となるとレースをする2頭がコースに入ってきます。

するとここで「8の字」を書くような動きを何度も何度もし始めます。

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これも陰陽道の儀式なのだそうで。

解説の人も「辛気くさい儀式」と言い、見物人の笑いを誘っていました。

長ったらしく辛気くさいので第1レースと最終レースだけ正式にやって、あとは簡略化するそうで。

古代は全レースでやっており、最後の方は日が暮れて篝火を灯してやっていたそうです。

しかも古代は10レースあったとか。

そしていよいよ第1レース!

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(▼皿▼)ウォリャーーーッッ!!!

ともの凄い速さで疾走する左方のお馬さん。

目の前を全力疾走していくお馬さんの迫力にどよめきつつ、あれ?右方は????

左方がゴールした後、右方が走り始めました。

解説によると、第1レースは必ず左方が勝つことになっているのだそうで。

これは江戸時代からのならわしで、左方の1番は京都所司代の馬と決まったらしく、ここだけは左方を勝たせる出来レースなのだと。笑

第2レースからは真剣勝負です。

古代は馬上で乗尻がとっくみあいの喧嘩もしたそうで、かなり危険なものだったそうです。

『枕草子』の中で、競馬は「胸つぶるるもの」の中に入れられているのも頷けます。

ちなみに、枕草子の時代の競馬は内裏で行われていました。

その儀式を堀河天皇が上賀茂神社に移して以来、900年以上も伝統行事として続いているわけです。

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これは第2レースの写真ですが、よく撮れているでしょう?

このレースは左方の勝ちでした。

「ただ今の勝負、如何にござる」

「お勝ちにござるorお負けにござる」

乗尻が勝負の結果を聞きにいくと勝ち負けが知らされます。

右方はマイクが入っていて上のやりとりが聞けました。

勝つと、禄ろく(=褒美)の絹が授けられ、乗尻はそれを鞭で受け取ると振り回します。

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7番勝負は、左方4勝、右方3勝となり、左方の勝利でした。

左方が勝った年は良いことがあるのだそうです。

さて、競馬も堪能したあとは、せっかくなので上賀茂神社を参詣。

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上賀茂神社でも特別拝観があったのでお祓いをしていただき、本殿を参拝しました。

お守りと絵馬を買って立ち去りました。

じっくり堪能できて良かったです。

バスと電車に乗ってなっつ号に戻り、いよいよ横浜へ帰ることに。

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京都を出発したのが18:00ごろで、自宅にたどり着いたのが2:00前。

また亀山JCTの渋滞にやられました。

帰りに寄ったSA・PAたちの写真を一気にUP。

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ロングドライブはけっこう疲れましたが、充実した旅でした。

記事の長さにも表れていますね。笑

長文失礼いたしました。

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賀茂競馬の手ぬぐい

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