『源氏物語』が一区切りを迎え、『徒然草』を手に取るとホッとします。
およそ人には理解されないと思いますが。笑
今回は芸能の道に関するお話しです。
たまにこのブログでも話題にしますが、僕は趣味で吹奏楽をやっていてサックスを吹きます。
あくまでも趣味なので極めようとまでは思っていないのですが、ここに書かれていることには共感します。
【現代語訳】
芸事を身につけようとしている人が、
「上達するまでは、人に知られないようにしよう。密かに修練して、技術を習得してから披露したら素晴らしいだろう」
などとよく言うようだが、そんな人は一つの芸も習得することはない。
まだまるっきり未熟なうちから、上手な人のなかに交じって、ばかにされ笑われても恥じずに平然と過ごして稽古に励む人は、たとえ天性の才能はなくとも、サボらず、だらしなくしたりせずに年月を送れば、励まない天才よりも最終的には上位にたどりつき、人望も集め、人に認められて比類ない名声を得るものである。
天下にその名が知れ渡っている名人であっても、最初のうちはヘタクソとの評判もあり、酷い欠点もあった。
しかし、その道の教えを重んじてきちんと守り、勝手なことをしなかったために、一世一代の名人として万人の師となることは、どんな道でも同じであろう。
『徒然草』の第150段です。
人前で恥をかくのは気持ちの良いものではありません。
でもねー、恥をかくことで成長するっていう一面があるのも事実かなと思いますね。
間違いを指摘されて改善していくわけだから当然です。
指摘を恐れて、出来ないことや間違っていることを隠していては成長の機会を失うわけです。
兼好法師の言う通り、どの道(分野)でも同じでしょう。
勉強もそうです。
「間違ってるかもしれないから」と発言を控えるよりも、堂々と間違った方が良いのです。
【原文】
能をつかんとする人、
「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得てさし出でたらんこそ、いと心にくからめ」
と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。
いまだ堅固かたほなるより、上手の中に交じりて、そしり笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性その骨なけれども、道になづまず、妄りにせずして年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、つひに上手の位にいたり、徳たけ、人に許されて、ならびなき名を得る事なり。
天下の物の上手といへども、始めは不堪の聞こえもあり、無下の瑕瑾もありき。
されども、その人、道の掟正しく、これを重くして放埒せざれば、世の博士にて万人の師となる事、諸道変るべからず。