源氏物語~葵~(13)


さて、左大臣家では、御物の怪がひどく暴れ出し、ご内室の苦しみは並大抵ではありませんでした。

「六条御息所の生き霊ではないか」「いや、御息所の亡き父大臣の霊だ」などと言っている者がいる、という話を耳にした御息所は、

「我が身の上の辛さを嘆くばかりで、あの方について『不幸になるがいい』と呪うような心はないのだけれど、物思いをしていると魂が肉体を離れて一人歩きしてしまうらしいから、そういうこともあり得なくはないかしら」と心当たりがまったくないわけでもないようです。

この数年、六条御息所は物思いの限りを尽くして生きてきたとはいえ、ここまで心が乱れることはなかったのに、自分のことを見下して、人を人とも思わないように扱った葵祭の御禊ぎの争いの後から、その一件のためにふわふわと心が浮ついて静まりにくせいでしょうか、少しうとうと眠りなさると、例の姫君と思われる人がいる綺麗な所に行って、あちこち引っ張り回し、現実の御息所とは似ても似つかないような、勇ましく恐ろしい、情け容赦のない心が起こり、乱暴する夢を見なさることが度重なりました。

「ああ、嫌だわ。本当に魂が一人歩きしてあちらに行ってしまっていたのかしら」と本当に心を失っていたように思われることもしばしばおありになったので、「ただでさえ、他人のために良い風には言わないのが世の中というものなのだから、ましてこのことについては、私のことを悪く言う絶好の機会だわ」と大変な噂になりそうだとお思いになっておりました。

「この世に恨みを残したまま死んでいくのはよくあることだけど。それでさえ、人の身の上としては、罪深く忌まわしいのに、現世に生きる身でありながらそのように厭わしいことを言われる我が身は、何て嘆かわしい宿命を背負っているのでしょう。もう決してあの薄情な人に思いは寄せないわ」と、お思いになるのですが、そう思うことが既に物思いというものでしょう。

斎宮は、去年内裏にお入りなさる予定でしたが、色々と差し障ることがあって、この秋お入りになります。

九月にはすぐに野の宮に移りなさることになっているので、二度目の御祓えの準備が重ねて行われるはずなのに、奇妙にも母御息所はただぼんやりとして、具合悪そうに横になっていらっしゃるばかりなので、お仕えする人々は重大事として、加持祈祷など、様々に奉仕するのでした。

これといって目立った症状があるわけでもなく、ただどことなく病んだ感じで月日をお過ごしになっています。

光る大将殿もしょっちゅうお見舞い申し上げなさるのですが、最も重んじるべき存在であるご内室がひどく苦しんでいらっしゃるので、お心にゆとりはないようでした。

※雰囲気を重んじた現代語訳です。


葵の上を苦しめている悪霊の正体は六条御息所か、またはその亡き父親ではないか、と噂になってしまいました。

しかも、御息所本人が「私かもしれない・・・」と思ってしまっています。

夕顔に取り憑いて殺した霊は六条御息所なのか、という点について実は議論があります。

そのシーンでは確かに今回のように六条御息所が苦しんでいるような描写はありませんでした。

次回はいよいよ葵の上の病床のシーンで、実は高3の春期講習で扱う所でもあります。

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