身分に応じて、装束や供奉の人などをそれぞれ立派に調えていたようで、その中でも上達部は格別だったのですが、光る君ただお一人の光り輝く高貴さに打ち消されているようでした。
大将殿の仮の随身を殿上の将監が務めるというのは通例のことではなく、特別な行幸の際のことだったのですが、今日は右近将監が光る大将君にお仕えしています。
それ以外の随身たちも、顔も身なりもまばゆく調えており、世間からもてはやされていらっしゃる光る君の様子といったら、人ばかりでなく、木や草までも靡かないものなどありはしないようでした。
壺装束などという恰好で、上等な女房や、出家している尼なども、慌てて転んだりしながら見物に来ているのも、普通ならば、「憎たらしい、そんなに無理をして来なくても良いだろうに」と思われるのですが、今日はそうまでして出かけてくるのも当然のことで、歯が抜けて口がすぼみ、長い髪を着物の中にしまい込んでいる卑しい老女たちが、手を合わせて額に当てて拝みながら見ている者もありました。
下賤で頭の悪そうな男たちまで、自分がどんな酷い顔をしているのか知らずに満面の笑みを浮かべています。
光る君が関心を持って覗きこむはずもない、つまらない成り上がりの受領の娘さえも、趣向を凝らした車に乗り、少しでも目立つようにと気を配っているなど、見物の仕方もそれぞれで、面白いものでした。
まして、光る君が密かに通っていらっしゃる所はたくさんあったので、人知れず並々ならぬ嘆きを味わっている女も数多くいたのです。
式部卿の宮様は桟敷で御覧になっていました。
「本当に、まぶしいまでにどんどん美しくおなりになる方だなあ。神も目をお留めになるであろう」
と、不吉なものすら感じていらっしゃいます。
朝顔の姫君は、数年にわたって光る君がお寄越しになるお手紙に見受けられるお心が世の人とは違うのを、
「手紙を送ってくる男の中にはいい加減なのではないかと思われるのさえあるのに。ましてこのように素晴らしいお方がどうしてこんなにも私に執着なさるのか」とお心にとまりました。
ただ、「もっと近くでお会いしたい」とまではお思いになりません。
若い女房たちは、聞き苦しいほど光る君のことを賞賛して盛り上がっています。
※雰囲気を重んじた現代語訳です。
朝顔の姫君は光源氏の従姉妹にあたる人でしたね。
その朝顔の心内文が非常に分かりにくい表現となっています。
「なのめならむにてだにあり。ましてかうしもいかで」
というのが原文です。
「なのめなり」は、①いい加減だ ②普通だ、平凡だ という意味を持つ語です。
従って、直訳すれば「いい加減な/平凡なようなのでさえある。まして、こんなにも、どうして」となります。
意味が分からないこの箇所は、「平凡な男でさえもこれだけ熱心に言い寄ってくれば心が動く。ましてこんなにも美しい光源氏ではどうして心が動かずにいられようか」というような解釈をするのが一般的なようです。
しかし、「あり」という動詞に対して「心が動く」という意味を汲み取るのは無理があるように思います。
それならば、直前に「光源氏から送られてくる手紙にはお心が世間の男とは異なっている」とあるわけなので、
「数多くの男性から届く求愛の手紙の中には、いい加減なのではないかと疑われるのさえある。それに比べて、こんなにも素晴らしい光源氏がどうして私に執心するのか」
と解釈した方が自然じゃないでしょうか?
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