さて、かなり年を取っている典侍がいたのですが、その人は高貴で風情もあって上品で評判も高いものの、非常に好色な心もあって、そちらの方面においては堅苦しくもありませんでした。
「もういい歳なのに、どうしてこんなに浮気めいているのだろうか」と不思議にお思いになった光る君は、試しに色めいた戯れごとを投げかけなさってみました。
典侍が歳の離れた二人の仲を似つかわしくないとも思っていないのには、あきれたことだとお思いになりながら、さすがにこういうのにも興味があってお話などなさったのですが、「これが噂に漏れたら・・・」と思うと、相手が歳を取りすぎているのがみっともなく思われて冷たい態度をお取りになるので、女はたいそうつらいことだと思っておりました。
典侍が帝の御髪を櫛で整えるのにお仕えしていたのですが、それが終わると人をお呼びになり、御袿をお召しになるために退出なさると、お部屋の中は典侍の他に誰もいなくなりました。
いつもよりも美しく、姿も頭の形も優美な感じがして、装束もたいそう艶やかで感じよく見えました。
「年甲斐もなく若作りをしているものよ」と気に入らなく思ってご覧になる光る君でしたが、「どう思っているのだろうか」と、さすがにそのまま素通りはしがたくて裳の裾を引っ張りなさったところ、素晴らしい絵を描いた蝙蝠扇で顔を隠しながら振り向いた典侍の流し目は、まぶたや目の周りがひどく黒ずんでくぼんでいて、髪の毛はほつれて扇の外にはみ出していました。
「年寄りには似合わないな、この扇は」とご覧になると、ご自身がお持ちになっていたのと取り替えてよくご覧になってみると、物陰が写り込むほど濃い赤色の紙に、背の高い木の森の絵を金泥で塗りつぶしてあります。
裏面は、流行遅れの筆跡でしたが、それでも風情ある字で「森の下草おいぬれば」と思いのままに書いてあったので、「よりにもよって嫌な言葉を」と思って苦笑いしながら、
「『森こそ夏の』と見えますが」
と、他にも何やらおっしゃるのですが、やはりこの二人の組み合わせは似つかわしくなく、「誰かに見られたらどうしよう」と光る君は心配していらしたのですが、女の方ではそんなことは気にも留めていません。
「君し来ばたなれの駒に刈り飼はんさかり過ぎたる下葉なりとも」
〔よく飼い慣らした馬のためにはまぐさを刈って与えましょう。盛りを過ぎた下葉であったとしても。同じように、あなたさえ来てくださるなら喜んで饗応しましょう。私が女盛りをとうに過ぎた低い身分の者であるにしても〕
と言う様子はこの上なく好色な感じがいたします。
「笹わけば人やとがめむいつとなく駒なつくめる森のこがくれ
〔笹を分けて入ればとがめられるでしょう。いつとはなしに馬が気に入って身を寄せる森の木隠れでは。同じように、私がこのような所に出入りすれば人がとがめるでしょう。いつでも誰かが身を寄せているあなたの所には〕
それが厄介ですから」
と言ってお立ちになる光る君の袖を掴んで、
「未だかつてこのような思いをしたことはございません。この歳になってこのような辱めは・・・」
と言って泣く様子はたいそう激しいものでした。
※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。
典侍は「ないしのすけ」と読みます。
「内侍司ないしのつかさ」の次官で、尚侍(ないしのかみ)に次ぐ地位です。
内侍司の職員は全員女性で、彼女らは天皇のお側近くに仕える女官でした。
ここで出てくる典侍は、今で言うところの「美魔女」というやつのようです。
しかしいくら美魔女といっても、近づいてよーく見ればやはりそれなりに年齢を重ねたあとがあって当たり前ですよね。
この典侍もそのようです。
そしてそういう美魔女にちょっかいを出した上で、遠ざける光源氏は相変わらず鬼畜やん。
さて、「蝙蝠扇」と出てきました。これは「かわほりおうぎ」と読みます。
昨年、所属する楽団の演出で平安貴族に扮する際に購入を試みて色々と調べました。
今では蝙蝠扇は涼を取るためのものではなく装飾用として作られたものばかりで値段も高く、やめました。
結果、こんなスタイルになったとさ。笑
現代の扇子はこのように軸がたくさんあり、貼られるのも必ずしも紙とは限らず、実際この写真の扇子は赤い布地のものです。
それに対して、蝙蝠扇は軸がたったの5本で、元々は片面だけに紙を張っていました。
こんな感じです。(改めてみるとやはりちょっと欲しいw)
後に、両面に紙を張るタイプのものも出現したそうで、今回は両面タイプのようです。
その裏面には「森の下草おいぬれば」と和歌の一部が書かれていたそうです。
大荒木の森の下草おいぬれば駒もすさめず刈る人もなし
〔大荒木の森の雑草が生い茂ってしまうと、馬も好まず、刈る人もいないように、年老いてしまうと誰も好きこのんで寄ってきてはくれないものだ〕
という『古今和歌集』の歌の一節だそうです。
これに対して光源氏が「森こそ夏の」というわけですが、これは、
ほととぎす来鳴くを聞けば大荒木の森こそ夏の宿りなるらん
〔ホトトギスがやってきて鳴くのを聞くと、大荒木の森こそが夏の宿なのでしょう〕
という『古今和歌六帖』に入っている歌の一節かと言われています。
たくさんのホトトギスが宿りに来るように、あなたの所にはたくさんの男がやってくるようです、という意味を込めて、典侍の扇に書かれた歌に応じているわけですね。
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