行幸には、親王をはじめとしてあらゆる方々がお供申し上げなさいました。
春宮もいらっしゃいます。
例によって、池には音楽を演奏する舟が何艘も漕ぎ廻って、唐や高麗の楽曲を演奏するのに合わせて数え切れないほどたくさんの舞が舞われ、音楽や鼓の音が響き渡ります。
先日、試し演舞での美しく夕映えした光る君の姿があまりにも素晴らしすぎたので、魔物に魅入られはしまいかとかえって不吉にお思いになった帝が、あちらこちらで御誦経などをさせなさるのを、人々はもっともなことだとしみじみ感慨をおぼえていたのですが、春宮の母女御は、「何をおおげさな」と憎み申し上げなさっておりました。
垣代などには、殿上人も地下の者も、別格だと思われている楽の名人を選りすぐって並べなさいます。
宰相でもある、左衛門の督と右衛門の督が、左方の楽と右方の楽を取り仕切ります。
舞い人たちは、並々ならず優れた師について舞を会得するため、それぞれ籠もって習ってきました。
紅葉した背の高い木の陰に、四十人の垣代たちが、言いようがないほど素晴らしく吹き鳴らす楽の音に調和する松風は、まさしく深山おろしといった感じで吹き乱れ、その風に舞い散る紅葉の中から、青海波を舞う光る君が輝くように浮かび上がる様子は、たいそう恐ろしい程でした。
簪にさした紅葉が風でひどく散ってしまい、光る君の美しい御顔立ちに対してみすぼらしく思われたので、左大将が御庭に咲いていた菊の花を折りとって、紅葉と差し替えなさいました。
日が暮れかかるころ、少しだけ時雨がさっと降ったのは、まるで空までがこの素晴らしさに感涙をこぼしているようで、言いようもないほど素晴らしくさまざまな色に変化した菊を簪にさして、今日は試し演舞の日にもましてこの上ない見事な技の限りを尽くした入綾の舞はぞくぞくするほど素晴らしく、この世のものとも思えません。
木の下の岩に隠れ、山の落ち葉に埋もれているかのような、物の良し悪しなどまったく分かるはずもなさそうな連中まで、少し物が分かる者は涙をこぼしておりました。
まだ幼くていらっしゃる、承香殿の女御がお生みになった第四皇子がお舞いになった秋風楽が、それに次ぐ見物でございました。
面白さは、これら青海波と秋風楽とに尽きたので、他のものには目移りもしませんでした。
それどころか、かえって興ざめに感じるものだったでしょうか。
その夜、源氏の中将は正三位へ、頭中将は正四位下へと昇進なさったのでございます。
しかるべき上達部らはみな昇進なさったのですが、それも光る君の素晴らしさに引っ張られてのことでした。
素晴らしい舞で人々の目を驚かせ、昇進による喜びまでお与えになるとは、いったいこのお方の前世はどれほどの善行を積んだのか知りたいというお気持ちになるようでした。
※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。
いよいよ行幸の本番です。
前々回の記述によれば、この行幸は10月10日過ぎとのことでした。
試し演舞の時よりも素晴らしかったようです。
「青海波」の舞とはどのようなものか、YoutubeにUPされていました。
最初の方は雅楽のみで、舞手が登場するのは3分20秒くらいからです。
この青海波の描写の中で「入綾の舞」というのが出てきました。
三省堂全訳読解古語辞典によると、
((「入り舞まひ」とも))舞楽で、退場するとき、引き返してもう一度短く舞うこと。また、舞いながらの退場。
と説明されています。
「退場の舞」と訳しても良かったかもしれませんね。
また、承香殿の女御という方は初出ですが、帝の后の一人で、幼い四の皇子を生んでいるとのことです。
承香殿の女御はこの巻にしか登場しないようです。
取りあえず今日のところはここまで。
<<戻る 進む>>