【4/28】~準備編~①
朝起きて、ルートをぼんやり確認しているうちに、以前新しく開通した高速でナビが迷子になったことを思い出しました。
調べてみると、ナビの地図データは自宅のPCから無料で更新できるんだって。
MAZDAのサイトからデータをダウンロード、車に搭載しているSDカードをPCに挿入し、プログラムを起動するだけ。
超簡単。
そういうのさぁ~~~
【4/29】~準備編~②
この日からGW開始です。
まずは旅のお供であるなっつ号を洗車してピカピカにしてあげました。
キレイキレイした後は、スーパーオートバックスへ行ってエアスティック(芳香剤)を購入。
2枚目がさっそく装備した写真ですが、インテリアデザインとマッチしていて満足。
もちろんアップデートしたSDカードもセット完了。
【4/30】~準備編~③
ウニの焼き飯を食す。※邪気払い。笑
それから、給油して満タンにし、トリップメーターAをリセットしました。
今回は「満タン法」というやつで燃費を計測してみたいと思います。
これで準備はバッチリ整いました。
【5/01】~初日~
朝6:30起床。
コーヒーを飲んだり梅干しを食べたりしていよいよ出発。
時刻は7:00過ぎ。
「聖地巡礼の旅」ということで、初日の目的地は石山寺です。
結構な距離なのです。
環状2号線→保土ヶ谷バイパス→東名→新東名→伊勢湾岸自動車道→新名神→京滋バイパス
このルートで石山寺を目指します。もちろんナビの奴隷。笑
海老名・駿河湾沼津・岡崎・土山の4カ所で休憩。
駿河湾沼津は上りでは利用したことがありますが、下りは初でした。
上りと違って下りは地味ですね。
「駿河湾」という名称とは程遠い景色が広がります。(上の画像をクリックで表示)
昼食は岡崎SAでロースカツ定食を。(上の画像をクリックで表示)
愛知で豚カツと言えば味噌カツになりますね。
そんなこんなで、無事に石山寺についたのはpm2:20くらいでした。
ドーーーン!!!
威厳に満ちた門、さすがでございます!
ここは平安時代の大人気スポット。
『和泉式部日記』には、恋人である帥宮そちのみや敦道あつみち親王が最近冷たいことを苦にした和泉式部が、憂さ晴らしも兼ねたお詣りに石山寺を訪れた、という記述があります。
すると、さっそくの御利益か、すぐに帥宮敦道親王の使いから手紙が届きます。
「ねえ、なんで僕に黙って石山寺に行っちゃったわけ?ひょっとしてガチの修行だから僕が一緒だと邪魔だったとか?でも君ってそんなに信心深かったっけ?笑 で、いつ帰ってくるの?
関こえて今日ぞとふとや人は知る思ひ絶えせぬ心づかひを」
〔逢坂の関を越えて私が今日あなたを訪ねると思っていましたか?また、あなたへの心遣いが途絶えることなどないということを分かっていたけますか?〕
都から離れた所までわざわざ使いをよこすくらいなら、普段からもっと優しくしてくれればいいのに、と思いつつ嬉しかったので返歌を送りました。
「あふみちは忘れぬめりとみしものを関うち越えてとふ人やたれ」
〔宮様ならば私に会うための近江路は忘れてしまったはずですが・・・。わざわざ逢坂の関を越えて訪ねてきたあなた様はいったいどなたですか?〕
※「あふみち」⇒「逢ふ道/近江路」の掛詞
『蜻蛉日記』には、すっかり訪問が途絶えた夫・藤原兼家は新しく女を作ったのではないか、という疑惑が浮上し、悲痛な思いから藤原道綱母が石山寺をお詣りしたという記述があります。
これまた、その後すぐに兼家が道綱母の家を訪れたそうな。
石山寺いとめでたし。Σ(●゚д゚●)
そんな凄い石山寺の御利益に私もあずかりたいわけです。
さっそく門を入って参道を進んでいくと、大きな岩がいくつもあり、水が流れて池が出来ています。
説明によると、この岩は大理石だそうです。
少し進んで石段を登るとすぐ右手に観音堂がありました。
たくさんの観音様の像が安置されています。
もちろんお詣りさせていただきました。
こういう所は写真撮影NGが常なのですが、何の張り紙も立て札も見当たらないので撮影させていただきました。
そして先ほど登ってきた階段の正面に巨大な岩群とその上に見える多宝塔の姿。
何とも雄大な景色ですよね。
この岩は「硅灰石けいかいせき」というものだそうです。
先ほどの大理石やこの硅灰石など、石山寺というのはその名の通りです。
この巨大な岩群の左手にある石段を登ると、いよいよ本堂です。
本堂の内部はさすがに写真撮影禁止。
じっくりとお詣りしてきました。
しばらくバーッと写真を載せますね。(このままいくと終わりが見えないw)
紫式部は石山寺に参籠している時に『源氏物語』の構想を得た、とされています。
本堂の横手に「源氏の間」があり、松尾芭蕉の句碑もそれにちなんでいます。
芭蕉の句碑の次の写真は、岩場の下から眺めた多宝塔です。
戻って、2枚目の写真は「経蔵」という高床の建物の床下です。
石に座布団が敷かれていて、立て札には「安産の腰掛石」と書かれていました。
出産予定の方はぜひ。
「光堂」を拝んで紫式部像を見た後は山を下りながら北西の方向に進みました。
そこに現れたのは「八大龍王社」。
池の畔で歴海れっかい和尚が孔雀経を読み上げると池の中から龍王たちが現れたそうです。経を読み終えると龍王は和尚を乗せて庵まで送っていった、という言い伝えがあるそうです。また、日照りが続いたときにはここで雨乞いをすると雨の恵みが得られたそうです。
八大龍王社を南下していくと、ささやかながら風情のある滝がありました。
甘露の滝なんて名称もいいじゃないですか。
そして最初の東大門に戻ってきたときには午後4:30くらい。
滞在時間はおよそ2時間といったところですね。
端折りましたが、「石山寺と紫式部展」というのも開催されていたのでもちろん見てきました。
さて、そろそろ良い時間なので1日目の宿へ向かいました。
「アーブしが」という青年会館です。
琵琶湖から流れ出る瀬田川の中州にあるユニークな宿。
素泊まりで5,300円。さすが青年会館。
この宿は「瀬田唐橋」のすぐ近くです。
「瀬田唐橋」というのもまた聖地なのです。
『更級日記』に、昔ある身分の低い男が皇女を連れ出して瀬田の橋を渡り、故郷の武蔵国まで行った、という言い伝えが載っています。男は皇女に頼まれて連れて行ったのですが、追っ手が来るのを少しでも遅らせるために、瀬田の橋を部分的に壊して行ったそうです。
この橋はかなり渋滞するようでした。
部屋に入って少し休んだ後は、ラーメンを食べに出かけました。
渋滞も嫌だし、夜に知らない土地を車で走るのも嫌なので歩きます。
食べログなどを参考に選んだお店は「桃李路とうりみち」というお店。
鶏ラーメン。
鶏の旨味が凝縮した濃厚スープが超絶美味!
シャキシャキ玉ねぎがサッパリさせてくれていいアクセント。
さらにドカンと乗っている鶏天がまた美味しい。
これは素晴らしいラーメンです。
満足して宿に帰り、風呂に入って祝杯をあげてお休みなさい。
【5/02】~2日目~
朝6:30ごろ起床。
昨晩買っておいたおにぎりを食べたらチェックアウトして飽きずに記念撮影。
2日目の行程はこんな感じです。
まずは、アーブしがから京都にある元慶寺がんけいじ/がんぎょうじを目指しました。
このお寺は花山天皇が藤原兼家らに騙されて退位→出家させられた際、その出家をした寺なんです。
その時のことは以前にブログで書いていますのでよかったらどうぞ。
しかし、京都というのは中心地の外縁部の道の狭さと入り組んでいることといったら辟易します。
車での移動は本当に難儀する所がしばしば。
でもナビ様に連れられて細~い道を走っていると「華山寺」という大きな看板が見えてきました。
元慶寺じゃなくて華山寺という平安時代の俗称?と思われる方がデカデカと書かれているのは不思議に思いましたが。
しかし車を停める所がないので、ぐるっと回って大通りにあったコインパーキングに駐車。
そこから歩いて行くことに。
到着時刻はam8:46でした。
開門は9:00となっていますが、門は開いています。
何だか様子が変だったものの、小さな花山院のお墓もあるし・・・。
ということで、トイレを借りて飲み物を買うためコンビニに行って9:00ごろ戻ってきました。
しかし様子は依然として変わらず。
スマホのGoogleMapで元慶寺を探してみると、ここから少しずれたところを指していました。
ナビに従って歩きましたが、民家ばかりで「ん~~~、やっぱりさっきの寺かなあ」と思ってうろうろしていると、花に水をあげていたおばちゃんが、「もうちょっと行って右!」と教えてくれました。
おそらく来る人来る人、みなたどり着けず、同じようにスマホを片手に歩いているのでしょう。笑
おばちゃんに感謝しつつ行ってみるとありました!
おお~~~、これかー。
こんなに分かりにくいところにあるとは。
非常にこぢんまりとしたお寺で雰囲気はとても良かったです。
このお寺を開いたのは僧正遍昭(六歌仙の一人)とのこと。
「百人一首」にも採られている遍昭の歌碑がありました。
天つかぜくものかよひぢ吹きとぢよ乙女のすがたしばしとどめん
〔天を吹く風よ、雲の中の通り道を閉ざしておくれ。天女の姿をもうしばらく地上にとどめておきたいのだよ〕
隣には僧正遍昭の息子の素性法師の歌碑も。
今こむといひしばかりに長月の有明の月を待ちいでつるかな
〔今行きます、とあなたが言ったばっかりに、九月の空に有明の月が出るまで待ってしまったことですよ〕
そしてありました!
「人皇六拾五代 花山院法王 御落飾道場」と彫られている石碑。
高貴な方が出家して仏門に入られることを「落飾」と言います。
小さなお寺さんなのであとは庭の草木を眺めたらすぐにおしまいです。
藤が綺麗でした。
石山寺の藤はちょっと早かったですが、元慶寺の藤はちょうど見頃でした。
境内を出たのはam10:00前でした。
予定では元慶寺の後お昼を食べて石清水八幡宮へ移動することになっていました。
上記の地図でいうと、緑の矢印が当初のイメージだったのです。
が、元慶寺が思った以上に小さかったので、時間が予定よりかなり早く、どこか追加で見ることにして、お寺の方に聞きました。
この辺りで他にお勧めの場所は、毘沙門堂や醍醐寺とのこと。
醍醐寺だと大きすぎて次の予定に差し支える恐れがあったので、毘沙門堂に行くことにしました。
上記地図の青の◆が毘沙門堂です。
またしても狭い道を通って、でもすぐに到着。
本殿の唐門をくぐり抜け、本殿入り口で目を引くのはカラフルな龍や獅子の彫刻。
拝観料を納めて本殿の中を見学させてもらいましたが、内部は写真撮影NG。
ただ、本殿から見る庭の景色は撮影できました(5枚目)。
本殿に向かって右隣には弁財天を祀る社もありました(6枚目)。
そして境内にはやはり藤棚。
ここの藤は綺麗とは言いがたかったです。汗
毘沙門堂を出たのがちょうど11:30ごろでお昼にちょうど良い時間。
検索して近くにあった「豚人ぶたんちゅ」というラーメン屋さんへ。
店内に入ると、待ってましたとばかりに強烈な豚骨臭!笑
僕は好きだから大丈夫ですが、苦手な人は鼻が曲がることでしょう。
豚骨の旨味たっぷりの美味しいラーメン、その名も「とこ豚骨らーめん醤油」をいただきました。
さて、思わず元慶寺から少しだけ北上したわけですが、次の目的地・石清水八幡宮へ。
上の地図の青の矢印ですが、かなり距離がありますよね。
ということで、到着したのは午後1:15くらいでした。
ここも古典文学の聖地です。
ここを訪れる予定だったので、事前に『古今著聞集』に記されている石清水八幡宮の神徳のお話をブログに書いておきました。
また、平安末期の作品『成尋阿闍梨母集』によると、宋(中国)へと渡る成尋が出航を前に石清水八幡宮を訪れて祈願したと書かれています。おそらく、旅の無事や学問成就を祈ったのでしょう。
さて、上の画像をクリックすると、一ノ鳥居の額をアップで撮影したものになります。
「八」の字をよく見ると二羽の鳩になっているのが分かりますか?
鳩は八幡様の使いとされているそうですよ。
一ノ鳥居をくぐって進むと最初に頓宮とんぐうがあります。
ホームページの説明によると、石清水祭において山上の御本殿から御神霊が移ってこられる社殿なのだそうです。
頓宮を抜けるとすぐ右手に鳥居がありました。
髙良こうら神社です。
これまた古典文学界において超有名なのであります。
『徒然草』の「仁和寺にある法師」で広く知られています。
仁和寺の年老いた法師が初めて石清水八幡宮を参拝しに行ったとき、山の麓にあった髙良神社と極楽寺を拝んで帰ってきてしまったが、実は石清水八幡宮の本殿は山上にあった、というお話です。
髙良神社は良い感じに裏寂れておりましたが、元々は立派だったそうです。
(そうでなければ、いくら何でも本殿と間違えるはずがありません)
戊辰戦争で焼失し、再建されたときに極端に規模が縮小されたそうな。
しかし再建されただけまだよくて、極楽寺も同戦争で焼失したのですが再建されませんでした。
参道へと戻り、二ノ鳥居をくぐって表参道を進みました。
少し進むと清水が流れ落ちてきていました。
石清水八幡宮というだけあって清水が豊富に湧き出ていたのだろうなあ、と思いつつ広大な敷地内の山道をえっちらおっちら進みます。
分け入っても分け入っても青い山 種田山頭火
※石清水八幡宮とは関係ありません。多分。
しばらく登っていくと「大扉稲荷社」というのが見えました。
ここがちょうど分岐点で、そのまま表参道を進むか、右手の脇道にそれるか。
しばらく悩みました。
麓でもらったリーフレットの案内図によると、右手の脇道にそれると真ん中くらいに「石清水社」というのがあり、表参道をまっすぐ進めば本殿につきます。
どちらから行っても後で回れるのですが。
表参道を行く人の方が多かったですが、敢えて右にそれました。
途中、江戸時代前期の文化人、松花堂昭乗という人が住んでいたという「松花堂跡」の史跡を見てから山を登っていくと、石清水社に辿り着き、どことなく神秘的な写真が撮れました。
中に掃き清めている方がいたので話を聞きました。
すると、ここにある大きな井戸が元々は信仰の対象だったようで、ご本殿が造られる以前から信仰されていた清水だったそうです。
今では飲むことは出来ませんが、手水として手を清めることができるとのことでした。
その方も「その大きな柄杓でガバッと汲んでお手を清めてください」と笑いながらおっしゃっていましたが、確かに笑っちゃうほど大きかったです。
言われたとおりに手を清めて参拝しました。
そうして歩いて行くと、伊勢神宮遙拝所というものが出てきました。
そのはす向かいには「細橋ささやきばし」といわれる、石で封印された小さな橋のようなものが。
この下には石清水の源流が流れていたそうで、渡らずの橋だそうです。
細橋の横にある石段を登っていくと東総門があり、「ここから本殿に入れるはず」と登っていくと、
開いてにゃーでよ。笑
仕方ないのでまた階段を下り、南総門を目指して歩きました。
もうかなり疲れています。
しかし、苦労してこそ御利益にあずかれるというもの。
弱音を吐いているわけにはいきません。
そして到着しました、立派な南総門に。
南総門をくぐる前に、手を清めます。
するとそこの手水舎に額が掛かっていました。
「みいつ」というのは古語で「ご威光」という意味です。
「この男山に湧き出る清水は汲んでも汲んでも永遠に尽きることがないように、石清水八幡宮の神のご威光も尽きることはありません。神の御光を汲んで崇め奉りましょう」というような意味合いでしょうか。
手を清めたらさっそく南総門から中に入って御本殿を拝見すると。
ヮァ━w(〃゚∀`,,)w━ォ♪
威風堂々たる壮麗な御本殿です。
さすが、平安京の裏鬼門を守護してきた石清水八幡宮。
いやあ、素晴らしい。
さっそくお詣りしましょう。
先にあげた『古今著聞集』のエピソード中の和歌「身の憂さをなかなか何と石清水思ふ心はくみて知るらむ」を心の中で唱えました。
そして、えいやっとおみくじを引いてみました。
すると「平/下降運」と出ました。
Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン
しかしよく読んでみると、「願望:おそくとも叶う」「縁談:ととのう」とあります。
運が下降しているにもかかわらず、願いが叶い、縁談も調うとは!!!
八幡様の御利益+毘沙門天の御利益+前日の石山寺の御利益でしょう。
素晴らしすぎます。
そして御本殿をぐるりと一周してみると、鬼門(北東の方角)が欠けていました。
鬼門というのは鬼が出入りするとされる方角で警戒が必要です。
そこで北東の方角を削り取って鬼の侵入を防いでいるのだそうです。
他にも見たものはありますが、割愛します。
かなり疲れながら下山して時刻は午後3:30過ぎ。
時間的にはもう1カ所回れたかもしれませんが、石清水八幡宮で充分満足し、そして疲れたのでホテルへGO。
途中、給油し、ここでいよいよ「満タン法」による燃費の計測というのをやってみることに。
まず事前にリセットしておいたトリップメーターAの数値は526.6km。
そして入れた燃料は19.91L。
計算すると、26.4km/Lという数字になりました。
燃費計は事前にリセットし忘れたので、前からのものを引きずっていますが30.0km/Lとなっていました。
さて、2日目のお宿は「けいはんなプラザホテル」です。
こちらは立派なホテルでして、素泊まり1泊9,000円。
しかし貯まっていたPontaポイントを一気に吐き出して3,600円引き。
ということで実質の支払いは5,400円。
何と素晴らしきPontaポイント。
ローソンでも少しは貯まりますが、ほとんどリクルートカードによるポイントです。
ポイント還元率が高いですからね、リクルートカードは。
しばらく体を休めた後は、あまりに疲れていたのでスーパー銭湯へ。
「けいはんな」とは「京都・大阪・奈良」の略称で、このホテルは京都にあるものの、奈良との県境でして、一番近いスーパー銭湯は奈良県押熊にある「ゆららの湯」でした。
この選択は大正解。
心身ともにゆったりくつろいで、近くのラーメン屋で晩ご飯。
道路を挟んでゆららの湯のはす向かいにあった河童ラーメン本舗(押熊店)の黒河童ラーメン。
黒いマー油がたっぷりとかかっていて、香ばしくて美味しかったです。
替え玉は1杯無料。
お腹も満たされたところで、ホテルに帰って翌日の行動を計画してお休みなさい。
【5/03】~最終日~
帰途につく日となりました。
前もって廻ると決めていた聖地はすべて廻りました。
真っ直ぐ帰っても良いのですが、せっかくだから午前中にもう1カ所回ろうかなと思い、前夜に色々と考えました。
どう考えても、京都に行くのは得策ではありません。
京都で行きたいところは離れてるので。
地図を調べると、ホテルからそう離れていない地点に唐招提寺と春日大社があります。
そういえば、石山寺も元慶寺も毘沙門堂も藤の花が咲いており、春日大社が藤の名所であることを思い出したので、最後は春日大社へ行くことに決めました。
疲れて遅くなったのではありません。
朝は7:30にモーニングコールをかけてちゃんと起きました。
出かけようとしたとき、昨晩おにぎりを買っていたのを思い出して2つ食べ、せっかく部屋に用意されているお茶を沸かして飲み、としているうちに少しゆっくりになったまでです。
200円弱の有料道路を使って春日大社に到着したのが8:50ごろなのでおよそ30分ほどでした。
まずは駐車場のすぐ脇にある万葉植物園へ。
藤の花だけではありませんが、藤の花がやはりメインでした。
たくさん写真を撮りましたが厳選した10枚をお届けします。
満開には少しだけ早かったかもしれませんが、とても見応えがありました。
香りも素晴らしかったです。
そして春日大社へ。
一之鳥居は非常に離れています。
失礼かもしれないのですが、駐車場に一番近い二之鳥居からお詣りさせていただきました。
参道の右手に林が広がっていて、よく見ると鹿さんがチラホラと。
鹿さんがいるのは奈良公園だけではないのですね。
さて、本堂へ進む前に横手にそれると夫婦大国社という社がありました。
「恋心願いをこめて神様へ」
ここには水占いがありました。
よっしゃ、祈りを込めてやらせていただこ。
まずは300円を納めておみくじを引きます。
そしてちゃぷちゃぷと水に浸します。
祈りを込めてひたひたと。
(*・人・*) オ・ネ・ガ・イ・シ・マ・ス♪
ちゃぷちゃぷ・・・
(-人-;) 願い事願い事…
ちゃぷちゃぷ・・・
(^-人-^) お力添えを…
ちゃぷちゃぷ・・・って、けっこう長いのでたっぷりお祈りしました。笑
そしていよいよ浮かび上がってまいりました!
出ました、大吉~~~!
(シ_ _)シ ありがたや~
「たがいに気持ちがつうじあいしあわせに」ですって!
(シ_ _)シ ありがたや~
これが石山寺+毘沙門堂+石清水八幡宮+夫婦国社+春日大社の御利益のお力。
あるいは、昨年の長谷寺+金剛峯寺+上賀茂神社の御利益もまだ続いているのかもしれません。
とにかく、これでめっちゃ元気になりました。
ずんずん進んで参拝しましょう。
春日大社の御本殿へ。
特別拝観をさせていただき御本殿に近づきましたが、さきほどいただいた元気で勢い余って、御本殿の写真は取り損ねてしまいました。笑
御本殿の周りの建物や景色は撮影してきました。
特別拝観の最後のゲートを出てしまってから、御本殿の写真を撮っていないことに気がついたので、外から撮れるギリギリの所から写真に収めました。
有り余る元気を活かして末社もすべて参拝することにしました。
そして最も奥にある紀伊神社(奥の院)へ。
さて、いよいよ帰ろうと思って駐車場へ向かっていると、駐車場のすぐ近くで「志賀直哉旧居」という道しるべが。
おおお。。。
本来の目的からは外れるし、普段なら「またいつか」と過ぎるのですが、何せ元気なのです。笑
行きましょう。文学部魂です。『小僧の神様』大好きですし。
am11:27に志賀直哉旧居を後にし、これで本当に終了です。
駐車場へ戻ってお土産を買いに行き、お昼を食べました。
ちゃあしゅうや亀王というお店の昔味らーめん。
これまた豚骨でしたが、辛味玉が乗っていてこれがすごく良いアクセントに。
かなり美味しかったです。
さて、帰りもナビの奴隷と化し、いざ横浜へ一直線。
名阪国道→東名阪自動車道→伊勢湾岸自動車道→新東名→東名→保土ヶ谷バイパス→環状2号線
というルートだったと思います。
休憩したのは4箇所。
途中で渋滞は2~3箇所ありました。
完全に止まった渋滞はやはり亀山JCT。
奈良を出発したのが午後1:30ごろで、帰宅したのが21:50ごろでした。
さて、それはそれとして、帰りにも「満タン法燃費計測」やってみました。
2日目に給油した際、トリップメーターBをリセットしておきました。
横浜について給油するときに確認すると、走行距離は498.5km。
そして入れた燃料は17.25L。
計算すると28.9km/Lという数字になりました。
今回は燃費計もリセットしておいたので確認したところ30.2km/Lと出ていました。
やはり燃費計の方が少し良い数値になりますね。
渋滞がなければもっと数字出たはずですね~、残念。
最後に奈良で購入したお土産。
というわけで、近畿旅行記2017GWこと、聖地巡礼の旅2017でした。
(おそらく)自分史上最長の文になってしまいました。汗
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。