腰折れ雀(原典版『舌切り雀』)②


【前回のあらすじ】

ある日、お婆さんが、子どもたちに石をぶつけられて腰を折ってしまった雀を助けました。

毎日かいがいしく世話をしていると徐々に雀は快復し、ついには飛んで行くのでした。


【現代語訳】

そうして二十日ほどたって、このお婆さんが座っているあたりで、雀がしきりに鳴く声がしたので、「雀がしきりに鳴くようだ。あの雀が来たのだろうか」と思って出てみると、まさしくその雀でした。

「感心なことに、忘れずにやってくるとはかわいいものだ」

といっていると、お婆さんの顔を見て、くちばしから何かをちょっと置くように放して飛んで行ってしまいました。

お婆さんは、「何だろうか。雀が落としていったものは」と思って近づいてみると、ひょうたんの種を一粒落としていったのでした。

「何かわけがあって持ってきたのだろう」と思ってお婆さんは手に取りました。

子どもたちは、「ああ情けない。雀に何かをもらって宝物にしていらっしゃるよ」といって笑うのでした。

お婆さんは、「とにかく植えてみよう」といって植えたところ、秋になると、木は非常に大きく成長して、大きな実がたくさんなりました。とても普通のひょうたんとは思えません。

お婆さんは喜んで、隣家にもお裾分けしたのですが、ひょうたんの実は採っても採ってもなくなりませんでした。

子や孫たちも自分がばかにして笑っていたことなど忘れ、これを毎日食べています。

お婆さんは里中に配ってまわり、最後に、とてつもなく大きな七、八個は容れ物にしようと思って家の中に吊して干していました。

数ヶ月後、「もう良いころだろう」と思って見てみると、ちょうど良い状態になっていたので、下ろして口を開けようとしたところ、ちょっと重く感じました。

不思議に思って口を切って開けてみると、ぎっしりと何かが詰まっていました。

「何だろうか」と思って少し中身を出してみると、なんとお米が入っていたのです。

びっくりしたお婆さんは、残りも出してみると、全部お米だったので、

「これは普通ではないぞ。雀がしてくれたことにちがいない」

喜んだお婆さんはそれを大事に仕舞って、他のひょうたんも見てみると、すべて同じようにお米が入っていました。

これを少しずつ取り出して使っていたのですが、とても食べきれないほどの量だったのです。

こうしてお婆さんは非常に裕福になりました。

これを見た隣里の人たちもびっくりして、非常に珍しいことだと羨んだのでした。


なーんと、“瓢箪から駒” ならぬ “瓢箪からコメ” でギョざいます。

ひょうたんと米

つづらじゃないのかよぅ。
ε=(。・`ω´・。)プンスカプン!!

まあでも、助けてもらった雀が恩返しする、という所は同じですね。

もちろん続きもギョざいますのでお楽しみに。


【原文】

さて二十日ばかりありて、この女の居たる方に雀のいたく鳴く声しければ、「雀こそいたく鳴くなれ。ありし雀の来るにやあらん」と思ひて出でて見ればこの雀なり。「哀れに忘れず来たるこそ哀れなれ」と言ふほどに女の顔をうち見て口より露ばかりの物を落して置くやうにして飛びて去ぬ。女、「何にかあらん、雀の落して去ぬる物は」とて寄りて見れば、瓢の種をただ一つ落して置きたり。「持て来たるやうこそあらめ」とて取りて持ちたり。「あないみじ。雀の物得て宝にし給ふ」とて子ども笑へば、「さはれ植ゑて見ん」とて植ゑたれば、秋になるままにいみじく多くおひひろごりて、なべての瓢にも似ず、大きに多くなりたり。女よろこび興じて、里隣の人にも食はせ、取れども取れども尽きもせず多かり。笑ひし子孫もこれをあけくれ食ひてあり。一里配りなどして、果てには「誠にすぐれて大きなる七つ八つは瓢にせん」と思ひて内に吊りつけて置きたり。

さて月比経て「今は良く成りぬらん」とて見れば良くなりにけり。取りおろして口あけんとするに、少し重し。怪しけれども切りあけて見れば、物ひとはた入りたり。「何にかあるらん」とて移して見れば、白米の入りたるなり。「思ひかけずあさまし」と思ひて大きなる物にみなを移したるに、同じやうに入りてあれば、「ただごとにはあらざりけり。雀のしたるにこそ」とあさましく嬉しければ、物に入れて隠し置きて、残りの瓢どもを見れば同じやうに入りてあり。これを移し移し使へばせんかたなく多かり。さて誠にたのしき人にぞなりにける。隣里の人も見あさみ、いみじき事に羨みけり。 


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