腰折れ雀(原典版『舌切り雀』)③


【前回までのあらすじ】

①ある日、お婆さんが、子どもたちに石をぶつけられて腰を折ってしまった雀を助けました。毎日かいがいしく世話をしていると、徐々に雀は快復し、ついには飛んで行くのでした。

②それから二十日ほど経ったころ、その雀がお婆さんのもとに戻ってきて瓢箪の種を一粒落としていきました。お婆さんがその種を庭に植えてみると、大きな瓢箪がいくつもなりました。なかでも取りわけ大きな瓢箪は、口を切ってみると中にぎっしりとお米が詰まっていたのでした。

大きなつづらと小さなつづらの話ではなかったのですね~。

現在よく知られている「舌切り雀」は欲の少ないお爺さんが小さなつづらを持ち帰り、強欲なお婆さんが雀の舌をちょんぎった上に大きなつづらを持って帰ってきて化け物に襲われる話ですよね。

「まんが日本昔話ばなし」版はこちら

さて、この「腰折れ雀」にはお爺さんが出てきていませんが、この後どうなるのでしょうか。


【現代語訳】

この話を聞いた隣の家に住む娘たちは、自分の家のお婆さんにこう言いました。

「同じ婆さんでもお隣ではこうだってさ。それにひきかえ、うちの婆さんは何の役にも立ちゃしない」

こんなことを言われたお婆さんは、隣の家に話を聞きにやってきました。

「いやはや、これはどうしたことですか。雀の話は少しばかり耳にしましたが詳しいことは知らないので、あったことを教えてくださいな」

「瓢箪の種を一粒落としていったのを植えたらこうなったんですよ」

「あった通りに、最初から細かく教えてくださいよ」

こうしきりに尋ねるので、けちけちと隠すことでもあるまい、と思ったお婆さんは詳しく話してやりました。

「これこれこうしたわけで、腰の折れた雀を世話して助けてやったところ、嬉しく思ったのか、その雀が瓢箪の種を一粒持ってきたのです。それを植えたらこうなったのですよ」

「その種を一粒いただけませんか」

「瓢箪に入っている米なら差し上げましょう。でも、種を差し上げることはできません。瓢箪を割ってしまうわけにもいかないので」

種をもらえなかったお婆さんは、「私も何とか腰の折れた雀を見つけて世話してやろう」と思って目を見張っていたのですが、まったく見つかりません。

毎日朝早くから様子をうかがっていると、裏口の方で散らばった米をついばむ雀がちょこちょこしているのを見つけて、もしやと思ったお婆さんは何羽もいた雀たちにむかって続けざまに石を投げつけると、運悪くぶつかって飛べなくなってしまった雀が一羽ありました。

喜んだお婆さんは、ボキッと雀の腰をへし折ってから拾い上げると、えさを食べさせたり、薬を飲ませたりして世話をするのでした。


ババア何しとんねん!ヽ(●`∧´)ノ

アホすぎて泣けてきますね。

と同時に、きっかけは無慈悲なことを言ったババアの娘たちだと思うと無念。

そうか。全米が泣いた、とはこういうことか。

全米が泣いた


【原文】

此の隣にありける女の子どものいふやう、「同じ事なれど、人はかくこそあれ。はかばかしき事もえし出で給はぬ」などいはれて、隣の女、此の女房のもとに来たりて、「さてもさても、こはいかなりし事ぞ。雀のなどはほのきけど、よくはえ知らねば、もとありけんままにのたまへ」と言へば、「ひさごの種を一つ落としたりし、植ゑたりしよりある事なり」とて、こまかにもいはぬを、猶「ありのままにこまかにのたまへ」とせちに問へば、「心せばく隠すべき事かは」と思ひて、「かうかう腰折れたる雀のありしを飼ひ生けたりしを、うれしと思ひけるにや、瓢の種を一つもちて来たりしを植ゑたれば、かくなりたるなり」と言へば、「その種ただ一つたべ」と言へば、「それに入りたる米などは参らせん。種はあるべき事にもあらず。さらにえなん散らすまじ」とて取らせねば、「我もいかで腰折れたらん雀見つけて飼はん」と思ひて、目をたててみれど、腰折れたる雀さらに見えず。つとめてごとにうかがひみれば、背戸のかたに米の散りたるを食ふとて雀のをどりありくを、石を取りて「もしや」とて打てば、あまたの中にたびたび打てば、おのづから打ち当てられて、え飛ばぬあり。喜びて寄りて腰よくうち折りて後に、取りて物食はせ、薬食はせなどして置きたり。


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