腰折れ雀(原典版『舌切り雀』)④


【前回までのあらすじ】

①ある日、お婆さんが、子どもたちに石をぶつけられて腰を折ってしまった雀を助けました。毎日かいがいしく世話をしていると、徐々に雀は快復し、ついには飛んで行くのでした。

②それから二十日ほど経ったころ、その雀がお婆さんのもとに戻ってきて瓢箪の種を一粒落としていきました。お婆さんがその種を庭に植えてみると、大きな瓢箪がいくつもなりました。なかでも取りわけ大きな瓢箪は、口を切ってみると中にぎっしりとお米が詰まっていたのでした。

③自分も雀の御利益に預かろうと思った隣家に住むお婆さんが、詳しいいきさつを聞きにやって来ました。腰が折れてしまった雀を助けたら、その雀が恩返しに来たのだ、という話を聞いた隣家のお婆さんは、雀に石をぶつけて腰を折り、その雀を介抱してやることにしました。

 

なんて残念な婆さんなのでしょう。(。・ε・`。)

現行版の、糊を食べてしまった雀の舌をちょん切る婆さん以上にクレイジーですね。

「クレイジーババア」で画像検索したらこんなのがトップに出て来ました。笑


【現代語訳】

「隣は一羽であんなに儲けたんだ。数が増えれば儲けも凄かろう。隣の婆さんよりも儲けて、娘たちに褒められてやろう」と思ったお婆さんは、庭に米を撒いて様子をうかがっていると、雀が集まってきたので、また石をたくさん投げつけました。

こうして、三羽の雀の腰を折ると、「もうこれくらいでよかろう」と思って、桶の中に入れ、銅を削って飲ませるなどして数ヶ月の間世話をするうちに、みな快復したので、お婆さんは喜んで外に出してみると、フラフラと飛んで行くのでした。

お婆さんは「素晴らしいことをしたものだ」と思っています。

雀は腰を折られ、こうして数ヶ月も閉じこめられていたことを、とっても恨んでいました。

さて、十日ほど経つと、この雀らがやって来たので、お婆さんは喜んで、まず口に何かくわえているか見ると、それぞれ一粒ずつ瓢箪の種を落として行きました。

「思った通りだ」と嬉しく思ってその種を拾うと、さっそく三箇所に植えました。

普通とは違ってするすると成長して、みるみるうちに非常に大きくなりました。

しかし、瓢箪の実はそれほどたくさんではなく、七、八個だけなりました。

お婆さんは笑いながら子どもたちに言いました。

「わしのことを役立たずなんて言いおったが、これで隣の婆さんに勝ったぞ」

子どもたちは「本当にそうだといいんだけど」と、半信半疑です。

実の数が少なかったので、米をたくさん取りたかったお婆さんは、自分でも食べず、人にも食べさせませんでした。

これに対して子どもたちが言いました。

「隣の婆さんは隣の里の人にも食べさせ、自分自身でも食べていたよ。まして、うちは三つの種から収穫できるのだから、自分も、人にも食べさせるべきだ」

お婆さんも、「それもそうだ」と思って、近隣の人たちにも食べさせ、自分自身も、子どもにもみんなに食べさせようと思って、たっぷりと食べてみると、この世のものとは思えないほど苦いことといったら、まるで黄蘗の木の皮のようで、具合が悪くなってしまいました。


なんと婆さん、1羽では飽き足らず、雀3羽の腰をへし折ってしまいました。
Σ(´Д`;) うあ゙

結果、当然のごとく雀さんの逆襲が始まります。

激苦の瓢箪の実攻撃→食あたりでダウンしてしまいました。

ちなみに、本文中に出てきた黄蘗(きはだ)とはこういうものだそうです。

さあ、あと1回分、続きがありますので結末をお楽しみに。


【原文】

「一つが徳をだにこそ見れ、ましてあまたならばいかに頼もしからん。あの隣の女にはまさりて、子どもにほめられん」と思ひて、この内に米撒きてうかがひゐたれば、雀どもあつまりて食ひに来たれば、又うちうちしければ、三つ打ち折りぬ。「今はかばかりにてありなん」と思ひて腰折れたる雀三つばかり桶に取入れて、銅こそげて、食はせなどして、月ごろ経るほどに、皆よくなりにたれば、喜びて外に取り出でたれば、ふらふらと飛びてみないぬ。「いみじきわざしつ」と思ふ。雀は腰うち折られて、かく月ごろ籠め置きたる、よにねたしと思ひけり。
さて十日ばかりありて、此の雀ども来たれば、喜びて、まづ「口に物やくはへたる」と見るに、瓢の種を一つづつみな落としていぬ。「さればよ」とうれしくて、取りて三所にいそぎ植ゑてけり。例よりもするすると生ひたちて、いみじく大きになりたり。是はいと多くもならず、七八ぞなりたる。女、ゑみまけて見て、子どもにいふやう、「はかばかしき事しいでずと言ひしかど、我は隣の女にはまさりなん」と言へば、「げにさもあらなん」と思ひたり。これは数の少なければ、米多く取らんとて、人にも食はせず、我も食はず。子どもがいふやう、「隣の女房は里隣の人にも食はせ、我も食ひなどこそせしか。これはまして三つが種なり。我も人にも食はせらるべきなり」と言へば、「さも」と思ひて「近き隣の人にも食はせ、我も子どもにも、もろともに食はせん」とて、おほらかにて食ふに、苦き事物にも似ず。黄蘗などのやうにて、心地惑ふ。


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