桐壺の帝がご退位なさり、新しい御代となってから、光る君は何につけても憂鬱なことと思われなさり、御身の上の高貴さもあって、軽率な忍び歩きも遠慮され、光る君の訪れが途絶えていることを嘆いている女性があちこちにいらっしゃる、その報いでしょうか、いまだに自分に対して冷たい藤壺中宮のお心を、光る君はお嘆きになるばかりでございます。今や、以前にもまして桐壺院に二六時中寄り添っていらっしゃる御様子が、まるで普通の家の夫婦のようでいらっしゃり、それを弘徽殿の皇太后は不愉快にお思いになるのか、内裏にばかりいらっしゃるので、藤壺の宮様に張り合う人などなく、気楽そうでいらっしゃいました。折々に合わせて、世に響き渡るほど風情のある立派な管絃の遊びをおさせになり、ご在位の時分よりもむしろ今の方が素晴らしく思われるほどでした。
桐壺院は、春宮となられた藤壺の宮様の若宮をただひたすら恋しく思っていらっしゃいます。春宮に後見がいないのを気がかりに思って、大将に昇進していた光る君に様々に申し上げなさったのですが、光る君は後ろめたさを感じつつも嬉しいこととお思いになりました。
そうそう、あの六条の御息所が、先に春宮であらせられた方との間に生んだ姫君が斎宮となっていらしたので、光る大将のお心がとても頼りないということもあって、「幼い斎宮が心配でもあるし、伊勢に下ってしまおうかしら」と前々から思っていらっしゃいました。
桐壺院は、御息所がそんな風に考えておいでなのをお聞きになって、
「亡き春宮が大切な妻として寵愛なさっていたというのに。そなたが軽々しく他の女性と同じように扱っていると聞くが、それでは気の毒なことだ。斎宮も自分の子と同じように思っているのだから、何にせよ、あの御息所をぞんざいにしてはいけない。気まぐれな恋心に任せて御息所に好色な振る舞いをしていては、世の中から非難を受けることになるに違いないことだ」
などとご機嫌悪く光る君におっしゃると、光る君も「その通りだ」と思い知られたので、恐縮して控えていらっしゃいました。[1]
「女に恥をかかてはいけない。どんな女も丁重に扱って、恨みを買うことなどないように」
と桐壺院がおっしゃるのにつけ、
「万が一、藤壺様へのだいそれた思いをお知りになった時は…」
と恐ろしかった光る君は、恐縮して院の御所を退きなさるのでした。
また、こうして六条御息所とのことをお聞きになった院がこのように苦言を呈しなさるので、御息所の名誉を考えると気の毒な気でもあり、また自分自身が浮気っぽい者であるようなお気持ちになるのでした。
従って、ますます大切にしなければいけないお方であり、おいたわしいことだとは思い申し上げなさるのですが、まだ表立って公式な関係としてはお扱いになりません。
御息所の方でも、光る君との不釣り合いな年齢をきまり悪くお思いになって心をお許しにならない様子なので、それに気兼ねしているように院のお耳に入れ、世の中の人もこのことを知らない人はいないほどになってしまったにも関わらず、光る君の愛情が浅いことをお嘆きになっておりました。
このようなことをお聞きになった朝顔の姫君は、「自分はそのようにはなるまい」と深くお思いになるので、光る君から届くちょっとしたお手紙に対しても、決してお返事をせずにいたのです。
だからといって、みっともなく嫌な感じに光る君をお扱いになることもないのを、光る君の方でも、「やはり格別な方だ」と思い続けていらっしゃいます。
左大臣家では、光る君のこのように浮気なお心を気にくわないことだとお思いになっていましたが、あまりにあけすけな光る君の態度に、言う甲斐もないと思っていらしたのか、そこまで深くはお恨みになっておりません。
この頃ご内室は、つらく切ないお気持ちのまま懐妊なさっており、気分が優れず、何となく心細く思っていらっしゃいました。これにより、光る君は珍しくご内室のことを愛しい者とお思いになり、また、両親を始めとして誰もかれもが嬉しく思いつつも、出産による他界という不吉な心配もあり、様々な精進潔斎をさせなさっています。
このような時期でしたので、光る君はお心に余裕がなく、愛情がなくなったわけではないのですが、六条御息所を始めとした愛人たちの所へはますます足が遠のくようでした。[2]
その頃、斎院もその地位をお退きになって、弘徽殿の后がお生みになった三番目の姫宮が、新たに斎院の座におつきになることになりました。父院も母后も格別にかわいがっていらした宮だったので、まったく別の世界に行ってしまわれることを非情に悲しくお思いになったのですが、その地位にふさわしい方が他にいらっしゃらないので仕方ありません。
就任の儀式などは規定の神事なのですが、盛大に執り行うようです。
また、賀茂祭においては、決められた儀式に付け足すことも多く、見所の多さは格別でした。これもお人柄によるものでしょう。
賀茂祭に先立って行われる禊ぎの儀式の日、決められた人数だけ上達部がお付き添い申し上げなさるのですが、それには、評判が格別で容姿の優れている方だけを選び、下襲の色、上の袴の紋、馬の鞍までをもすべて揃えていたのです。
特別な宣旨により、光る大将の君も付き添いの公卿に指名され、お仕え申し上げなさることとなり、車で見物に出かけようという人々は楽しみにしていました。
一条大路は見物の人々でびっしりと埋め尽くされ、異様なほどに大騒ぎしています。あちらこちらの観覧席は皆それぞれに意匠が凝らされ、女たちの衣装の袖口までもが大変な見もののようです。
光る君のご内室におかれては、このような外出をまったくなさらない方である上に、お身体の具合も悪かったので、見物に出かけるおつもりなどなかったのですが、若い女房たちが、
「いやでも、私たちだけでこそこそ見物するのもみっともないでしょう」
「今回の行列には光る君様までお出ましになるというのを、一般人や下賤な田舎者でさえ見物に来るそうです。遠方から妻子を引き連れてまで参上する方もいるとかいうことですのに」
「これを御覧に出かけなさらないなんて、あんまりですわ」
というのを、母宮がお聞きになって、
「そんなに具合も悪くなさそうだし、女房たちも物足りなそうですよ」
といって急遽お車を用意してお命じになり、ご内室も見物にお出かけになることとなりました。[3]
日が高く昇り、大袈裟な儀式めいたことはせずにお出かけになりました。隙間もないほどにびっしりと見物の車がひしめいていて、美しく飾り立てた御一行の車は列をなして立ち往生してしまいました。
見物の車は高貴な女性のものが多く、従者がいない車を見定めてはどかして割り込んでお入りになっていったのですが、その中に少し使い古した感のある網代車で、品良く下簾を垂らしているのがありました。ひどく遠慮がちな様子で、袖口、裳の裾、汗衫などを控えめに出していたのですが、それらの色合いはたいそう美しく、高貴な身分を隠したお忍びの方だと見てとれる車が二台駐まっていたのです。
その車の従者たちは、
「こちらは、決して今していたように乱暴にどかすことが許される御車ではない」
と強く言って、手も触れさせません。双方の従者たちはひどく酔っており、騒ぎを起こすのを鎮めることができません。年配の前駆の者たちは、
「そんな乱暴はするな」
などと言うのですが、まったくとまりません。
その網代車というのは、斎宮の御母御息所が、物思いの慰めになるだろうかと、お忍びでお出でになっていたもので、ご内室方もそうと気づかない風を装っていましたが、実は分かっていたのでした。
「その程度の家柄で何を言うか」
「光る大将殿の権勢をあてにしているのだろうが、こちらはそのご内室様であるぞ」
などと従者たちは言っており、その従者たちの中には光る君のお供をして六条御息所の所へ随行してきた者もあり、彼らは内心気の毒だと思いつつ、かばい立てするのも厄介なことになりそうだったので知らぬふりをしています。[4]
ついに、ご内室方の御車が強引に分け入って次々と場所を取ってしまったので、六条御息所のお車は奥の方に押しのけられてしまい、何も見えなくなってしまいました。六条御息所は、不愉快なのは当然として、それ以上に、こうして粗末な身なりに変装していたのに、素性が知られてしまったことが非情に悔しく思われてなりません。轅を置くはずの榻などもみなへし折られてしまい、みっともなく車輪に轅を掛けることになってしまったので、これ以上ないほど惨めで悔しくて、「どうしてこんな所に来てしまったのだろう」と思うのですが、今さら言ってもどうしようもありません。
見物もせずに帰ろうとしなさったのですが、通る隙間もなくて動けずにいるところに、
「やって来た、やって来た」
と人々が言うと、薄情なお人であるとは言え、さすがに前を通るのを待たずにはいられないのでした。何とも心の弱いことですが、これも女の性というものでしょうか。しかし、光る君があっさりと通り過ぎなさるのをご覧になるにつけても、かえって物思いの種となるばかりでした。
本当に、通常よりも風情を整えた車に、我も我もと簾の下から装束を垂らしているのも、光る君は素知らぬ顔ではありますが、微笑んで横目でご覧になるものもありました。
左大臣家のものはそれとはっきり分かるものだったので、真面目な顔をして前をお歩きになります。光る君に従って歩くお供の人々も、その車の前では恭しくかしこまり、志を示しながら過ぎていくのをご覧になると、六条御息所は敗北感に打ちひしがれざるを得ませんでした。
影をのみみたらし川のつれなきに身の憂きほどぞいとど知らるる
〔御禊の儀式で一目お姿を見たらあの冷淡さ。ますます我が身の辛さを思い知らされたことよ〕
と涙がこぼれるのを、人が見るのも気恥ずかしいのですが、ますますまばゆいほどに華やかに見栄えが良かった光る君の御容姿をもし見ていなかったら、と思っていらっしゃいます。[5]
身分に応じて、装束や供奉の人などをそれぞれ立派に調えていたようで、その中でも上達部は格別だったのですが、光る君ただお一人の光り輝く高貴さに打ち消されているようでした。大将殿の仮の随身を殿上の将監が務めるというのは通例のことではなく、特別な行幸の際のことだったのですが、今日は右近将監が光る大将君にお仕えしています。それ以外の随身たちも、顔も身なりもまばゆく調えており、世間からもてはやされていらっしゃる光る君の様子といったら、人ばかりでなく、木や草までも靡かないものなどありはしないようでした。
壺装束などという恰好で、上等な女房や、出家している尼なども、慌てて転んだりしながら見物に来ているのも、普通ならば、「憎たらしい、そんなに無理をして来なくても良いだろうに」と思われるのですが、今日はそうまでして出かけてくるのも当然のことで、歯が抜けて口がすぼみ、長い髪を着物の中にしまい込んでいる卑しい老女たちが、手を合わせて額に当てて拝みながら見ている者もありました。下賤で頭の悪そうな男たちまで、自分がどんな酷い顔をしているのか知らずに満面の笑みを浮かべています。光る君が関心を持って覗きこむはずもない、つまらない成り上がりの受領の娘さえも、趣向を凝らした車に乗って、少しでも目立つようにと気を配っていたりと、見物の仕方もそれぞれで、面白いものでした。
まして、光る君が密かに通っていらっしゃる所はたくさんあったので、人知れず並々ならぬ嘆きを味わっている女も数多くいたのです。
式部卿の宮様は桟敷で御覧になっていました。
「本当に、まぶしいまでにどんどん美しくおなりになる方だなあ。神も目をお留めになるであろう」
と、不吉なものすら感じていらっしゃいます。
朝顔の姫君は、数年にわたって光る君がお寄越しになるお手紙に見受けられるお心が世の人とは違うのを、
「手紙を送ってくる男の中にはいい加減なのではないかと思われるのさえあるのに。ましてこのように素晴らしいお方がどうしてこんなにも私に執着なさるのか」とお心にとまりました。ただ、「もっと近くでお会いしたい」とまではお思いになりません。ただ、若い女房たちは、聞き苦しいほど光る君のことを賞賛して盛り上がっているのでした。[6]
左大臣家は、本祭の見物はなさいません。
光る大将の君は、例の御禊における御車の場所取り争いのことをご報告する人がいたので、「非常に申し訳なく、気の毒なことだ。それにしても情けない」とお思いになり、「我が妻にはやはり残念な所がある。重々しい家柄でいらっしゃるのだが、物事に対する情に欠け、あまりにも無愛想で、正妻と愛人という間柄では情けを交わすべきものだ、というお考えにはいたらないのに感化されたお付きの人が、下々の者たちに乱暴をさせたのだろうよ。妻自身はそんな乱暴は望んでいなかったのだろうが。斎宮の母御息所は気立ても非常に立派だし、奥ゆかしくていらっしゃる方なのに。どんなにか傷つきなさっただろう」と気の毒にお思いになって、御息所のお屋敷をお訪ねになったのですが、娘の斎宮がまだいらっしゃったので、神事の憚りにかこつけてお会いになりませんでした。
当たり前か、とお思いになりつつ、「どうしてだろう。お互い様ではあるが、こんなによそよそしくしないでほしいものだよ」とつぶやかずにはいられない光る君でした。
葵祭の日、光る君は二条院にいらっしゃり、見物にお出かけなさいます。
お出かけの前に、西の対にお出でになり、惟光に車の準備を仰せつけました。
「女房たちも出かけますか」
とおっしゃると、たいそう可愛いらしくおめかししていらっしゃる紫の姫君を、にっこりと微笑みながら御覧になっています。
「さあ、姫君は私と一緒に見るのですよ。いらっしゃい」
というと、御髪がいつも以上に美しくお見えになるのをかき撫でなさりながら、
「しばらく御髪を切り揃えていませんでしたね。今日はお切りになるのに良い日ですよ」
といって、暦博士をお呼びになり、良い時間をお尋ねになる時に、
「先に女房が出かけなさい」
と、かわいらしい姿の童女たちをご覧になりました。とても美しく切り揃えた髪の裾が浮紋の袴にかかっている様子は鮮やかに見えます。
「あなたの御髪は私が切りましょう。それにしても厄介なほど髪が多いですね。成長したらどんな風になるのだろう」
と手間取りながら髪を切り揃えなさるのでした。[7]
「髪がとても長い人でも、額髪は少し短くしているのが多いようだね。まったく短い毛がないというのも、あまり風情がないだろうか」
とおっしゃりながら削ぎ終えて、祝いの辞をおっしゃるのを、少納言はしみじみ畏れ多いことだと思って見申し上げます。
「はかりなき千尋の底のみるぶさの生ひゆく末はわれのみぞ見ん」
〔計り知れないほど深い海の底の海松房がほとんどの人の目に触れないように、あなたの豊かに成長した黒髪は私だけが見ることでしょう〕
と申し上げなさると、
「千尋ともいかでか知らんさだめなく満ち干る潮ののどけからぬに」
〔その限りない深さをどうやって知ることができましょうか。潮はさだめなく満ちたり引いたり、落ち着くことがないのに。あなたの愛情の深さも頼りないことです〕
と紙に書きつけていらっしゃる様子は手慣れていらっしゃるものの、幼くかわいらしいのを、素晴らしいとお思いになる光る君でした。
さて、この日も見物の車でいっぱいでした。良い場所はもう車を駐めることができなくて、
「上達部の車が多くてうっとうしいな」
とお困りになっていると、着物を垂らした悪くはなさそうな女車から扇を差し出して、光る君のお供方を招き寄せると、
「ここにお駐めになってください。お譲りしましょう」
と申し上げました。[8]
「こんなに良い場所を譲るとは、どんな物好きだろう」とお思いになられて、相手の近くに御車を寄せなさり、
「どうやってこの場所をお取りになったのだろうと妬ましくて」
とおっしゃると、女は風情のある扇の端を折って、
「はかなしや人のかざせる葵ゆゑ神の許しの今日を待ちける
〔頼りないことです。他の女の方が葵を簪にして乗り合わせているとは。神様のお許しを得られる今日という日を待ち侘びていましたのに〕
神域のようで入れないのですもの」
と書かいて寄こしたその字を見て、光る君はあの年増女、典侍であることに思い当たりなさったのでした。
「呆れた、まだ若者ぶって言い寄ってくるとは」と憎らしくなって、素っ気なく、
「かざしける心ぞあだに思ほゆる八十氏人になべてあふひを」
〔その葵をかざしているあなたの心が好色に思われるのです。男なら誰でも、と無数の関係を持つあなたは〕
女は恥ずかしく思いながら、
「くやしくもかざしけるかな名のみして人頼めなる草葉ばかりを」
〔今日こそあなたに会える日だと楽しみに、葵をかざしてきたというのに悔しいことです。期待だけさせておいて。会う日、という名を持つ葵も所詮はただの草葉というわけですか〕
と返歌を差し上げました。
紫の君と一緒にお乗りになっている光る君が簾さえお上げにならないのを歯がゆく思う女も大勢いるようです。
「先日、御禊の時の御様子は美麗だったのに、今日はくつろいでいらっしゃるのね」
「誰なのでしょう、一緒に乗っているのは」
「やたらな方ではないのでしょうよ」
などと、あれこれ思いを巡らせておりました。
光る君はというと、
「『かざし』の歌の応酬も張り合いがないな」
と物足りなくお思いになっていたのですが、あのように厚かましくない人は、光る君が女性と相乗りなさっているのに遠慮されて、典侍が気軽にちょっとした返事を申し上げるのさえも顔を背けたい気持ちになるのでした。[9]
一方、六条御息所はというと、物思いに沈むことが過去数年に比べても非常に多くなっていました。光る君のことは薄情な方として思いを断っていらしたのですが、完全に振り切って伊勢へ下りなさるというのも非常に心細いことのように思われ、また世間からも笑いものになってしまいそうだとお思いになっていました。だからといって、京に留まろうとお思いになるには、あの日のように酷く人から侮蔑されるのも耐えられないことなので決心がつかず、寝ても覚めても思い悩んでいたせいでしょうか、お心もふわふわと浮いたように感じられて具合が悪くていらっしゃるのでした。
光る大将殿におかれては、御息所が伊勢にくだってしまわれる件についても深く関わらないようにしており、いけません、などとお引きとめ申し上げることもなさらず、
「取るに足らない私を見たくもないとお見捨てになるのも当然のことなのかもしれませんが、やはり、甲斐のない人間であっても、最後まで私を愛してくださってこそ、お心が深いというものではないでしょうか」
と申し上げて関係を続けようとなさるので、伊勢行きを決めかねている憂鬱なお心が紛れるかも知れない、と御禊の見物にお出掛けなさったあの日に乱暴を受けた惨めな経験のために、あらゆることがますます耐えがたく苦しんでいらっしゃるのでした。[10]
左大臣家では、ご内室が物の怪に取り憑かれてしまったかのように酷くお苦しみになり、皆お嘆きになっていたので、光る君も忍び歩きなどをするのはさすがにまずく、ずっと滞在なさっておりました。二条の御自邸へもたまにはお帰りになりましたが、とはいえ、特別な存在であるご内室の、しかもご出産を控えてのことだったので、心配でたまらず、御自ら取り仕切って御修法やら何やらと数多くさせなさいます。
たくさんの物の怪、生き霊などが取り除かれて様々に名乗る中で、どうしてもよりましに移らず、じっと取り憑いたまま、特に酷く苦しめるようなこともないのですが、とにかく片時も離れることがないのが一つありました。強い法力を持つ修験者にも屈服しない執念深さは、並大抵の物の怪ではないように思われました。
「光る大将殿が通う女はあちらとあちらと・・・」
と見当をつけなさる中、
「六条の御息所や二条の御自邸に置いている女君などに注いでいらっしゃる愛情は並々ではないようだから、奥方様への御恨みも深いでしょう」
とひそひそ話し合い、占いまでもおさせになったのですが、さほどあてになる結果は出ませんでした。
物の怪といっても、ご内室にはことさら深く恨まれるような仇もいません。弱り目につけこんで、すでに世を去ってしまった御乳母や、もしくは祖先たちにずっと取り憑いてきたような、大したことのない霊が次々に現れます。ただしみじみと声を上げてお泣きになるばかりで、時々むせかえりながら、耐えがたそうに取り乱していらっしゃるので、「どういう状態でいらっしゃるのだろうか」と不吉な感じがして、悲しく慌てなさるのでした。
桐壺院までもが、ひっきりなしにお見舞いをくださり、御祈祷のことまで気に掛けてくださるという、それほどにやんごとない身の上であられることを考えるてみても、やはり非常にお気の毒です。
世の中でも広くこのお方の容態が悪くていらっしゃることを惜しみ申し上げているということをお聞きになると、六条御息所はますます複雑なお気持ちになるのでした。長い間、これほどにはいがみ合うことはなかったのに、他愛ない車の場所取り騒動のために、このように御息所のお心が大きく変わってしまったことを、左大臣家ではお気づきにならずにいたのです。[11]
このように、六条御息所は物思いにより、尋常ではなく体調が優れないので、加持祈祷を受けるためによそへお移りになり、そのことをお聞きになった光る大将殿は、どのような具合でいらっしゃるのだろうか、と気の毒に思えてお見舞いに向かいなさいます。
神聖な場所なので、人目につかぬよう厳重に警戒なさっていました。
お会いしたいのに訪れることができなかったことなど、許してもらえるよう言葉巧みに申し上げ、苦しんでいらっしゃるご内室の様子なども嘆きながらお話しになり、
「私自身はそこまで深刻に受けとめているわけでもないのですが、親たちが心配して非常に取り乱しているのが心苦しくて、そのような時が過ぎ去るまでは出歩くわけにもいかなかったのです。色々ありましたが、気持ちをお静めくださっているなら非常に嬉しくございます」
などと語り申し上げなさるのでした。いつも以上に心苦しそうな御様子を、無理もないことだと、気の毒なお気持ちになるのでした。
うち解けることもないまま迎えた明け方、お帰りになる光る君のお姿があまりにも素敵で、やはり完全に忘れてしまうことはできない、と思い直さずにはいられません。
正妻という特別な存在に、子どもまで生まれたら愛情が加わるに違いなく、きっとこのお方にお気持ちが落ち着きなさるような気がして、今までのように光る君の訪れをお待ち申し上げるのも、神経ばかりがすり減ることになりそうで、かえって物思いの種となるのではないかとお思いになっていたところ、光る君からお手紙が届いたのは夕暮れ時でした。
「ここ数日、少し容態が回復してきたようだったのが、突如たいそうひどく苦しみ出したのを放ってはおけなくて、遅くなりました」
とあるのを、いつもの言い訳だとお思いになりつつ、
「袖ぬるるこひぢとかつは知りながらおりたつ田子のみづからぞ憂き
〔あなたとの泥沼のような恋路は涙で袖が濡れるばかりだと知っていながら、それでもその道を歩まずにはいられない自分がつらく情けない気がします。まるで、泥だと分かっていながら足を踏み入れる農夫のようです〕
愛情が浅いのを井戸の水かさが浅いのに例えて、袖ばかりが濡れてしまう、と詠んだ古歌に共感しています」
と書いてお送りになりました。
筆跡はやはり誰にもまして立派で美しいとご覧になりつつ、
「男と女というのはどうにもうまくいかないものだなあ。妻も愛人もみな、気立ても容姿も様々で、捨ててしまってもよいという人もいないけれど、この人こそはと決められる人もいないよ」
と思うと、残念なお気持ちになりました。もう暗くなっていましたが、お返事には、
「『袖ばかり濡れる』とはどういうことでしょう。あなたの方こそ愛情が浅いことです。
浅みにや人はおりたつわが方は身もそぼつまで深きこひぢを
〔袖しか濡れないとは、あなたが下り立った恋路は浅いのではないですか。私の方は全身がつかるほど深い泥沼の恋路に踏み込んでしまっているというのに〕
並大抵の事情で、このお返事を直に申し上げずにいられましょうか」
などと書いてお送りになりました。[12]
さて、左大臣家では、御物の怪がひどく暴れ出し、ご内室の苦しみは並大抵ではありませんでした。
「六条御息所の生き霊ではないか」「いや、御息所の亡き父大臣の霊だ」などと言っている者がいる、という話を耳にした御息所は、
「我が身の上の辛さを嘆くばかりで、あの方について『不幸になるがいい』と呪うような心はないのだけれど、物思いをしていると魂が肉体を離れて一人歩きしてしまうらしいから、そういうこともあり得なくはないかしら」と心当たりがまったくないわけでもないようです。
この数年、六条御息所は物思いの限りを尽くして生きてきたとはいえ、ここまで心が乱れることはなかったのに、自分のことを見下して、人を人とも思わないように扱った葵祭の御禊ぎの争いの後から、その一件のためにふわふわと心が浮ついて静まりにくせいでしょうか、少しうとうと眠りなさると、例の姫君と思われる人がいる綺麗な所に行って、あちこち引っ張り回し、現実の御息所とは似ても似つかないような、勇ましく恐ろしい、情け容赦のない心が起こり、乱暴する夢を見なさることが度重なりました。
「ああ、嫌だわ。本当に魂が一人歩きしてあちらに行ってしまっていたのかしら」と本当に心を失っていたように思われることもしばしばおありになったので、「ただでさえ、他人のために良い風には言わないのが世の中というものなのだから、ましてこのことについては、私のことを悪く言う絶好の機会だわ」と大変な噂になりそうだとお思いになっておりました。
「この世に恨みを残したまま死んでいくのはよくあることだけど。それでさえ、人の身の上としては、罪深く忌まわしいのに、現世に生きる身でありながらそのように厭わしいことを言われる我が身は、何て嘆かわしい宿命を背負っているのでしょう。もう決してあの薄情な人に思いは寄せないわ」と、お思いになるのですが、そう思うことが既に物思いというものでしょう。
斎宮は、去年内裏にお入りなさる予定でしたが、色々と差し障ることがあって、この秋お入りになります。九月にはすぐに野の宮に移りなさることになっているので、二度目の御祓えの準備が重ねて行われるはずなのに、奇妙にも母御息所はただぼんやりとして、具合悪そうに横になっていらっしゃるばかりなので、お仕えする人々は重大事として、加持祈祷など、様々に奉仕するのでした。これといって目立った症状があるわけでもなく、ただどことなく病んだ感じで月日をお過ごしになっています。
光る大将殿もしょっちゅうお見舞い申し上げなさるのですが、最も重んじるべき存在であるご内室がひどく苦しんでいらっしゃるので、お心にゆとりはないようでした。[13]
一方の左大臣家ですが、出産はまだ先のことと人々がみな油断なさっていたところ、急に兆候が現れてお苦しみになるので、いっそう盛大な祈祷を、可能な限りさせなさったのですが、例のしつこい御物の怪一つが取り憑いたままどうしても動きません。凄腕の修験者たちも、これは普通ではない、と持て余していました。とはいえ、さすがに調伏されてきたようで、ご内室は苦しくつらそうに泣きながら、
「少し祈祷を緩めてください。光る大将殿に申し上げたいことがあるのです」
とおっしゃいました。
「やっぱり。きっとわけがあるのだろう」と思って、女房たちはご内室に近い御几帳のそばに光る君を入れて差しあげました。
ご内室はまるで死の淵に立っていらっしゃるかのようでしたが、光る君に申し伝えておきたいことがおありになったのでしょうか。
父大臣も母宮も少し覗いていらっしゃいます。
慌ただしく深刻な雰囲気の中、加持祈祷をする僧たちが声を静めて法華経を読み上げているのが非常に尊く感じられました。
光る君が御几帳の帷子を引き上げて拝見なさると、ご内室は非常にかわいらしい様子で、お腹が非常に大きくなって横たわっていらっしゃるお姿は、他人でさえこれを見たら心が乱れるに違いありません。まして、光る君が惜しく悲しくお思いになっているのは当然のことでした。
ご内室は白いお召し物に黒くて長い豊かな御髪を結んで胸の上に置いていたのですが、
「こうしているのを見ると、かわいらしい雰囲気に若々しい美しさも加わって魅力的だなあ」と思われました。御手を取って、
「何て悲しいことだろう。私にこんなにつらい思いをさせなさるとは」
と言って、それ以上は何も申し上げられずお泣きになります。すると、いつもは非常に煩わしく、気まずくさえ感じる御目を、とても怠そうに見上げて光る君を見つめ申し上げなさり、その御目からは涙がこぼれるのでした。それを御覧になった光る君の感動は、浅かろうはずがございません。
あまりにひどくお泣きになるので、
「後に残す両親のことをお思いになると心苦しく、またこのように私をご覧になったため別れをつらくお思いなのだろうか」と思なさり、
「何ごとも、あまりそのように思い詰めるのはおやめください。いくら何でもそんなにお悪いということはないでしょう。たとえこの先どうなるとしても、きっとまた来世で結ばれる運命を感じるので、万一そうなったとしてもお会いできるでしょう。父大臣や母宮などとも、そういう深い宿縁のある仲は、生まれ変わってもその縁が絶えることはないそうなので、またお会いできるとお思いなさい」
と慰めておっしゃると、
「いえ、違うのです。苦しくて苦しくてたまらないので、しばらく祈祷をお休めください、と申し上げようと思いまして。こうして参上しようとはまったく思っていなかったのですが、物思いをする人の魂は本当にふらふらと体を抜け出すものだったのですね」
と親しげに言って、
「嘆きわび空にみだるるわが魂を結びとどめよしたがひのつま」
〔嘆き苦しむあまり空にさまよい出てしまった私の魂を、したがいの褄(着物の下前の端)を結んでつなぎとめるように、しっかりと結びとめてください、愛しいあなた〕
とおっしゃる声や雰囲気はご内室とはまるで違うもののように思えて、
「とても奇妙なことだ、これはいったい…」と思いを巡らしなさると、それはまさしく六条御息所その人であることにお気づきになりました。 [14]
驚いたのは光る君です。
人々が「六条御息所の生き霊ではないか」などとあれこれ噂するのを、「つまらない連中が言っていることだ」と聞き苦しくお思いになって、そういう噂を否定なさってきたのに、目の前でまさしく御息所の生き霊を見てしまったので、「この世に、本当にこんなことがあったとは…」とお思いになり、厭わしくなってしまいました。
つらくお思いになって、
「そのように仰っても、私にはあなたが誰だか分かりません。はっきり名乗ってください」
とおっしゃるのですが、ただ御息所のお姿そのものであるのに、「驚き呆れた」などという言葉では言い表せないほど強い衝撃をお受けになる光る君でした。
女房たちが近くに参上するのも、光る君はいたたまれなく思われなさいます。
少し生き霊の御声も低まりなさったので、「少し持ち直したのかもしれない」といって、母宮がお湯を持ってこさせ、ご内室は体を起こされなさると、間もなく若君がお生まれになりました。
光る君もご両親もこの上なく嬉しくお思いになりましたが、よりましに移しなさった御物の怪どもが、無事に出産したことをひどく憎んでめちゃくちゃに騒ぎたてるので、後産のこともまるで安心できません。
言葉では言い表せないほど願をお立てになったためでしょうか、心配された後産も無事にすんだので、天台座主をはじめとして携わっていた多くの僧侶たちは得意顔で、汗を拭いながら急いで帰っていきました。
多くの人が心配の限りを尽くして心を痛めた疲労から、光る君もご両親もほっと一息ついて、「もう大丈夫だろう」とお思いになっていました。加持祈祷もまた新たにさせ始めなさいましたが、何といっても、まずは生まれたばかりの若君に心を惹かれ、猫かわいがりすることに皆が夢中になって、気が緩んでおりました。
桐壺院をはじめとし申し上げて、親王たちや上達部など、まれに見るほど盛大な若君誕生の祝宴が連夜催されます。ましてお生まれになったのは男君だったので、その祝いの儀式は賑わしく立派なものでした。
例の御息所は、そういう有り様を聞きつけなさるにつけ、ただならぬ心境で、
「こないだまで非常に危うい容態だという噂だったのに、無事にお生まれになるとは。何てことかしら」とお思いになっておりました。
自分が自分でないような奇妙な心地だったことを思い返して考え続けなさっていると、不思議とお召しになっているお着物などに芥子の匂いが染みついていることに気がつきました。御髪をお洗いになり、お召し物も着替えなさってみたのですが、臭いはまったく落ちません。自分自身のお身体でありながら厭わしくお思いになるのですから、人がどう思うかを考えると、このことについてはお話しできるようなものではないので、心の中にだけとどめてお嘆きになるのですが、そのせいでますますお心が変になってゆくばかりなのでした。[15]
光る大将殿は少し落ち着きを取り戻しなさり、あの驚かされた時に六条御息所の生き霊が語っていたことがつらく思い出されて、
「随分長いことご無沙汰してしまったことも申し訳なく思われるが、しかし、こんなことがあった以上、身近にお会い申し上げるのもいかがなものか。嫌な気持ちになるのは目に見えているし、あの方にとってもお気の毒ではなかろうか」と、あれこれお考えになって、結局お手紙だけを送っていました。
たいそうお苦しみになったご内室ですが、何とか無事に出産を終えたとは言え、左大臣家ではまだ不吉さを感じていらっしゃり、それも当然のことなので光る君は外出もなさいません。ご内室はまだ非常に苦しそうにしていらっしゃるので、普通のご対面すらできずにいる光る君でしたが、少し恐ろしい気がするほどかわいらしくていらっしゃる若君を、大事に大事にお世話申し上げなさる様子は並大抵ではなく、格別でした。
願っていたことが現実になったような気がして、左大臣も非常に嬉しく喜ばしいことと思っていらっしゃるのですが、ご息女の容態が回復しきらないことだけが気がかりでいらっしゃいました。しかし、「あれほど難産だったのだから、その影響だろう」とお思いになって、光る君のように心を惑わしてばかりいるようなことはありません。
若君の御目もとのかわいらしさなど、現春宮にたいそうよく似ていらっしゃるのをご覧になるにつけ、光る君は春宮のことが恋しく思い出され、その気持ちを抑えきれずに参上なさろうとして、
「内裏などにもあまりに長らく参上しておりませんので、気がかりなこともありますから、今日久しぶりに参上しますよ。その前に、少し近くでお話ししたいものです。あまりにじれったい遠ざけようです」
と恨み言を申し上げなさると、女房たちは、
「本当に、しっとりと睦まじいばかりの御仲でもないのは分かっているけれど、ひどくやつれていらっしゃるとはいえ、簾越しのご対面などというのはあるべきことではないでしょう」
といって、横になっていらっしゃる近くに御座所を設けたので、光る君はそこに座ってお話しなさいます。ご内室も時折お返事を申し上げなさるのですが、やはり非常に弱々しい感じでした。しかし、本当に死んでしまうのではないかと思われるほどだったことを思い起こせば、こうしてお話しすることができるのは夢のようで、忌まわしく恐ろしかった時のことなどを申し上げなさっていると、今にも息が絶えてしまいそうでいらっしゃったのが、急に復活してぶつぶつと仰っていた時の様子が思い出されて嫌な気持ちになってきたので、
「さて。申し上げたいことはまだまだたくさんあるのですが、まだ非常に怠そうでいらっしゃるから」
とおっしゃって、
「お湯をお飲みなさい」
と、そんなことまで気遣っていらっしゃるので、「いつの間に看病など覚えたのだろう」と女房たちはしみじみ感動していました。
非常に美しいお方がひどく弱り衰えて、かろうじて生きながらえているといった感じで横たわっていらっしゃる様子は、たいそう可憐でもあり、痛々しくもあります。乱れた筋もない御髪が枕にはらはらとかかっているのが、めったにないほど美しく見えたので、「これまでの長い年月、この人の何を不満に感じてきたのだろう」とお思いになりながら、奇妙なほどじっと見つめていらっしゃいました。[16]
「院の所に参上して、またすぐに帰って参りましょう。いつも、今のようにわだかまりなくお会いできたら、もどかしい気持ちもなくて嬉しいのですが。母宮様がいつもお側にいらっしゃるので、そこに割り込むのは浅はかではないかと遠慮しながら過ごすのは苦しくて。やはり、少しずつ気を強くお持ちになって、早く普段の御座所にお戻りください。あなたがあまりにも子どもっぽい振る舞いをなさるから、母宮様も離れられずにいらっしゃるのですよ」
などと申し上げなさり、たいそう美しい装束をお召しになってお出かけになる光る君を、いつもよりじっと目をとめて横になったまま見送りなさっています。
秋の除目が行われることになっていたころのことで、左大臣も参内なさるので、昇進を望むご子息方も同行なさるのでした。結果、邸内は人も少なく、もの静かになりました。
その時でした。
突如としてあの症状が再び御内室を襲い、胸が詰まって非常に激しく苦しみ出したのです。
そして、内裏にご連絡申し上げる暇もなく、あっという間にお亡くなりになってしまいました。
地に足も着かないほど慌てふためきながら誰も彼もが内裏を御退出なさったので、除目の夜だったのですが、このようなやむを得ない事情だったので、官吏任官はすべて白紙撤回となってしまいました。
生き返らせようと大騒ぎなさるのですが、夜中だったため、比叡山の天台座主も他の寺院の僧侶たちもお呼びになることができません。もう大丈夫だろうと油断していただけに、この急展開に左大臣家の方々は周章狼狽してどうしたらよいのかわからずにいます。
あちらこちらからの弔問の使いがひっきりなしに訪れるのですが、取り次いでもらうことができず、人があふれかえっており、そこにも左大臣家の激しい動揺が恐ろしいほどに見て取れました。
御物の怪が度々取り憑いて苦しめていたことをお思いになってみれば、あの時も死んだように思われたことがなくもなかったので、御枕などもそのままに寝かせておき、息を吹き返しはしないかと二三日様子を伺っていらしたのですが、次第に死相が強くなる一方だったので、もはやこれまでと見切りをつけなさる時の悲しみは言いようもありません。
光る大将殿は、妻の死という悲しみに加えて生き霊の正体も御覧になってしまったので、しみじみ男と女の関係が嫌になってしまわれ、中には光る君と深い仲になっているお方のご弔問もあったのですが、それらもすべてただただ厭わしくお思いにならずにはいられませんでした。[17]
桐壺院におかれてもお嘆きになって弔問に訪れなさったのですが、それがかえって名誉なことに思われ、こんな時なのにあろうことか嬉しさまで感じてしまい、左大臣殿は涙がとまりません。
人の進言に従い、蘇りにわずかな望みを掛けて、大がかりな修法などをありったけ執り行うことにしました。中には、身体が傷ついてしまうようなものもあったので、それを見るにつけ、胸が痛んで仕方ないのですが、その甲斐もなく数日が過ぎてしまったので、今度こそ完全に諦めて葬送のため鳥辺野にお連れ申し上げる時の悲しさは比類ないものでした。
方々から最後のお見送りをしようとやって来た人々、あちこちの寺からも念仏を唱える僧が大勢やって来て、非常に広い野原に所狭しと集まっています。
院はもちろん、藤壺中宮様や春宮らの御使い、それ以外にも入れ替わり立ち替わり使いが参上して、心のこもった誠実な弔意を申し上げなさいます。
父大臣は立ち上がることもおできにならず、
「こんな年老いてから、若く盛りの娘に先立たれてしまうとは。どうしたら…」
と恥も忘れてお泣きになると、それを見申し上げる多くの人々も、たまらなく悲しい気持ちになりました。
一晩中続く非常に盛大な葬儀でしたが、はかない御屍だけを残して夜明けも近い頃にお帰りになります。
人が亡くなれば、荼毘にふすのが世の習わしですが、これまで野辺送りをしたのは一人だったでしょうか、光る君にはこのようなご経験がほとんどないので、この上なく亡き人への恋しさが募り、思い乱れなさるのでした。
八月二十日過ぎの有明の空だったので、空の景色もしみじみとしており、左大臣が心に深い闇を抱いて途方に暮れていらっしゃるお姿を御覧になるにつけ、もっともなことだと光る君も非常につらいお気持ちになったので、ただぼんやりと空を眺めなさりながら、独り言のようにつぶやきました。
「のぼりぬる煙はそれとわかねどもなべて雲井のあはれなるかな」
〔立ち上っていった火葬の煙は紛れてしまって雲と区別がつかなくなってしまいましたが、空全体がしんみりともの悲しさに覆われていることです〕[18]
左大臣邸に御到着なさっても、まったくお眠りになることができず、これまでの長い夫婦生活を思い出しなさって、
「どうして、いつかは自然と私を愛してくれるだろう、などと暢気に構えて、薄情だと思われても仕方ないような浮気な振る舞いをしてしまったのだろう。長い間、私のことをうち解けられない嫌な人だと思い続けたまま逝ってしまわれたのか」などと、悔やまれることばかりでしたが、今さら言ってもどうにもなりません。
鈍色めいたお召し物を着ていらっしゃるのですが、それも夢のような心地がして、
「もし私が先に死んでいたら、あの方はもっと濃い喪服をお召しになっただろう」とお思いになり、
「かぎりあれば薄墨衣あさけれど涙ぞ袖を淵となしける」
〔決まりがあるために私の喪服は薄くて浅い墨色ですが、とめどなく流れる涙が袖を濡らし、深い淵をつくっていることです〕
と言って念仏を唱えなさる様子には、ますますしっとりと優美さが増しているように思えました。
続けて、お経を静かに読みなさって、「法界三昧普賢大士」とお唱えになるのは、読み慣れている法師以上に尊く感じられます。
生まれたばかりの若君をご覧になるにつけても、亡きご内室の忘れ形見だと思ってますます涙がちでしたが、「この子が忘れ形見としていてくれるだけでも…」と心を慰めなさるのでした。
母宮はひどく気落ちして、起き上がることもなく臥せったままでいらっしゃり、命までも危うく思われるほどなので、左大臣家ではまたしても加持祈祷を施しなさるのでした。[19]
空しく時がすぎていき、亡き娘のために法事の準備などを七日ごとになさるのも、こんなことになろうとは思ってもみなかったことだったので、この上ない嘆きは尽きることがありません。
取り立てて言うほどのこともない平凡な子であったとしても、親というのは宝物のように慈しむものですから、その子を亡くしたら、その悲しみははかりしれないものでしょう。まして、本当に世にも稀なほど素晴らしいお方だったのですから、ご両親の深い嘆きも当然のことです。また、この方の他には女の子をお持ちでなかったことが前々から物寂しく思われていたのに、そのたったお一人の姫君までも失ってしまったのですから、余計に落胆ぶりが激しいようでした。
光る大将の君は、二条の自邸にさえまったくお帰りにならず、しみじみと深くお嘆きになって、神妙に仏事を行いなさりつつ、日々をお過ごしになって、女性たちにはお手紙だけを差しあげなさいます。
六条の御息所については、娘の新斎宮が左衛門の司にお入りになり、ますます神聖であることにかこつけてお手紙のやり取りもなさいません。
光る君は、世の中を身にしみてつらくお思いになっていたのですが、何もかもがすっかり厭わしく思われて、
「このようなわが身の自由を妨げる幼い子さえ生まれていなければ、思うままに出家して仏の道に入るのだが…」とお思いになりましたが、その時ふと二条院で暮らしている紫の姫君が寂しそうにしていらっしゃる姿が脳裏に浮かびました。
夜は御帳の内にひとりでお休みになって、近侍する女房たちは周囲を取り囲むようにお仕えするのですが、やはり人肌が恋しく寂しくて、季節もちょうど物寂しい秋でもあったので寝覚めがちでいらっしゃいます。
良い声をした僧侶だけを選んで伺候させなさるのですが、その念仏が静かに響き渡る夜明けごろなど、耐えがたいほどの悲壮感に覆われるのでした。
「秋が深まるにつれて、しんみりとした雰囲気がましてゆく風の音が身にしみることよ」と、馴れない独り寝に夜が明けるのが遅く感じられている朝ぼらけ、霧が立ちこめる中、咲きかけた菊の枝に濃い青鈍色の手紙を結びつけたのを置くと、さっと立ち去って行く者がいました。
「今の状況にぴったりなことを」と思ってご覧になると、そのお手紙は六条御息所の筆跡でした。[20]
「ご無沙汰しておりました間の私の気持ちはご存知でしょうか。
人の世をあはれときくも露けきにおくるる袖を思ひこそやれ
〔奥方様が亡くなられたと聞き、人の世の無常を思うにつけても涙が流れますのに、ましてや先立たれてしまわれたあなたの袖は涙でどんなに濡れていることかとご推察申し上げます〕
霧に覆われた今朝の空を眺めていたら思いがあふれて参りまして」
と書かれていました。
「いつも以上に優雅に書いていらっしゃるなあ」と、さすがに下に置きかねてご覧になっているものの、「白々しいご弔問だよ」と不愉快なお気持ちもこみ上げてきます。だからといって、きっぱりとお返事を差し上げないのも、御息所の御名に傷がつくに違いないと考えると気の毒にも思われて煩悶なさるのでした。
「亡くなった我が妻は、そういう宿命でいらっしゃったのだと思う。だからそれはさておくとして、どうしてあのようなことをはっきりと見聞きしてしまったのだろう」と残念な気持ちが湧き起こるということは、ご自身の心次第ですが、やはり六条御息所を厭わしく思う気持ちを改めることはできそうにありませんね。
「斎宮の御潔斎中であるのに、喪中の私から手紙をお送りするのは迷惑にならないだろうか」などと長らくためらっていらしたのですが、「わざわざくださったお手紙に返事をしないというのも、やはり思いやりがないことだろうか」と思い返しなさって、紫の鈍色がかった紙に、
「ずいぶん御無沙汰してしまいましたね。いつだってあなたのことは忘れずに心にかけておりますもの の、喪中で慎まなければならない期間ですので。あなたなら私の気持ちもお分かりでしょう。
とまる身も消えしもおなじ露の世に心おくらん程ぞはかなき
〔生き残った私も死んだ葵の上も同じこと。露のようにはかないこの世に執着するのは空しいことです〕
あなたも私への思いはお忘れください。喪中の私からの手紙はご覧にならないのではないかという気もするので、これで失礼します」
とお書きにりました。
六条御息所は実家にいらっしゃる時だったので、こっそりとお手紙をご覧になると、光る君がほのめかしておっしゃっている生き霊の件を、やましい気持ちがあるものですから、はっきりと読み取りなさって「やはりそうだったのね…」とお思いになると、胸が非常に苦しくなるのでした。[21]
「これ以上つらい宿命を背負った人がいるのかしら。こんな噂がたったら、院も私をどうお思いになるだろう。我が夫である亡くなった前の春宮が、ご兄弟の中でもとりわけ院には心を通わせ申し上げなさって、この斎宮のことも念入りにお頼み申し上げていたから、院も亡き前春宮の代わりにお世話しよう、などといつもおっしゃって『内裏で暮らしなさい』とたびたびお声かけくださったことをさえ、畏れ多く、とんでもないことだとご遠慮していたというのに。このように思いもよらず子どもじみた恋煩いをして、ついには浮き名を流してしまうとは…」と思い乱れなさって、やはり普通のご様子ではありません。
とは言え、世の中においては、奥ゆかしく風流なお方であると昔からの御評判なので、ご令嬢が斎宮に就任なさるのに先立って嵯峨野の宮にお移りになる際にも、当世風の趣向をたくさん凝らして、「風流な殿上人などは、朝な夕なに露をかき分けて嵯峨野の宮へ赴くのが仕事のようだ」などとお聞きになるにつけ、光る大将殿は「もっともなことだよ。あの方にはこの上ない風情が備わっているのだから。もし、この世の中がすっかり嫌になって、伊勢神宮にくだってしまわれたら寂しくなるだろうな」とさすがにしみじみとした感慨を覚えるのでした。[22]
法事は日程を前倒しして済んでいたのですが、光る君は四十九日までは左大臣邸に籠もったままでいらっしゃいました。不慣れな手持ち無沙汰を持て余していらっしゃるのを気の毒にお思いになり、前の頭の中将様、今は昇進して三位中将様と申し上げるのですが、このお方がいつも参上なさって、真面目なお話からいつもの女性に関するふしだらな話まで、世間話をして光る君をお慰め申し上げなさるのでした。その中でもとりわけ、例の年増の典侍は笑い話の種としてはかっこうのものであるようです。
光る大将の君は、
「気の毒なことを。おばば様をそんなにからかいなさるものではありませんよ」
などとお諫めになるものの、いつもおかしく思っていらっしゃいました。他にも、あの十六夜月の夜や秋の日の末摘花の姫君のことなど、女性関係のことを様々お互いに余すところなくお話しになります。そして最後には無常なこの世のことをしんみりと話しながらお泣きになるのでした。
時雨が降って寒々しい夕暮れ時、中将の君が鈍色の直衣と指貫を薄い色に着替え、非常に鮮やかで男らしく立派な出で立ちで参上なさいました。光る君は、西の対の妻戸の辺りの手すりに寄りかかって霜枯れした庭の草木を眺めていらっしゃいます。
荒々しい風が吹きつけ、時雨がざあっと降る景色は、涙を誘うようで、
「雨となり、雲とやなりにけむ、今は知らず」
と漢詩の一節を口ずさんで、頬杖をついていらっしゃるご様子を御覧になって、
「女であれば、この方を残してお亡くなりになった魂は、きっと未練が残っているだろよ」と女の気持ちを想像して色っぽい心地になって、光る君をじっと見ながら近くにお座りになると、くつろいで少し乱れたお姿のまま、直衣の紐だけをちょっと結び直しなさいます。光る君は三位中将よりも少し濃い鈍色の夏の御単衣の下につややかで美しい紅の衣という質素なお姿でいらっしゃるのも、誰の目にも見飽きることがないように思われました。[23]
三位中将も、非常にしみじみとした目で空を眺めなさっています。
「雨となりしぐるる空の浮雲をいづれの方とわきてながめむ
〔時雨を降らせている空の浮雲のうち、いったいどれを亡き妹の煙の雲と見分ければよいのでしょうか〕
行方知れずだよ」
と独り言のようにつぶやきなさると、
「見し人の雨となりにし雲井さへいとど時雨にかきくらすころ」
〔愛した人が雨雲となって雨を降らせることとなってしまった天空までもが、時雨のためにますます暗くなり、私も泣き暮らしている今日この頃です〕
とおっしゃるご様子から、そのお心が深いことがはっきりと見て取れるので、
「不思議なことだ。長い間、妹への愛情が薄いことについて院などはいつも小言をおっしゃっていたし、父大臣の厚遇も光る君には心苦しく、また母大宮が光る君の叔母にあたるということもあり、そうした様々なことが重なり合って、捨てようにも捨てることができなくて、憂鬱そうにはしながらも夫婦を続けていらっしゃるのだとばかり思って、気の毒にさえ思える時もあったほどだが、真に掛け替えのない重んじるべき正妻のことは、やはり特別な存在だとお思いになっていたようだ」と見て取るにつけ、妹君の死がいよいよ無念に思われて、世の中から光が消え去ったかのような心地にひどくふさぎこんでいました。
枯れた下草の中から竜胆や撫子などが咲いているのを摘んでこさせ、中将の君がお帰りになった後で、若君の御乳母である宰相の君を通して、
「草枯れのまがきに残るなでしこを別れし秋の形見とぞ見る
〔草枯れした垣根に咲き残っていた撫子の花ですが、かわいいと撫でた幼い我が子がこの秋に死に別れた我が妻の形見のように思えることです〕
亡き人よりもかわいさが劣っているように御覧になってはいないことでしょう」
と、亡きご内室 ── この先、葵の上と申し上げることにします ── の母、大宮様にお送り申し上げなさいました。
本当に、若君の無邪気な笑顔はたいへんにかわいらしくございました。[24]
大宮様は、ちょっと風が吹くだけで散ってしまう木の葉よりも簡単に涙がこぼれるような有り様でいらしたので、光る君からのお手紙は手に取ることもおできになりません。
「今も見てなかなか袖をくたすかな垣ほ荒れにし大和撫子」
〔今もこの子を目にしながら涙がとまらずに、濡れた袖を朽ちさせてしまうのではないかとかえって…。荒れてしまった垣根の中に咲く大和撫子のようで、愛しくも不憫で〕
光る君は、なおも喪失感が大きいので、「今日の我が物憂さを、いくら何でもお分かりくださるだろう」と推測される朝顔の宮のお心なので、まだ暗い時分ではあったのですが、お手紙を差しあげなさいました。随分としばらくぶりのお手紙でしたが、そういうご関係だったので、女房は気にも咎めず御覧に入れました。空と同じ色の唐の紙に書かれた手紙には、
「わきてこの暮こそ袖は露けけれもの思ふ秋はあまた経ぬれど
〔とりわけ今日の日暮れは袖が涙で湿っぽいことです。秋の物思いは多く経験してきましたが〕
この時期は時雨が降るものですが…」とあります。
「心を寄せてお書きになっている筆跡など、いつも以上に見事ですし、捨て置くことはできませんね」
などと女房たちも申し上げ、また、ご自身もそのようにお思いになったので、
「籠もっていらっしゃるご様子に思いを馳せながら、こちらからお手紙を差しあげることはとても…
秋霧に立ちおくれぬと聞きしよりしぐるる空もいかがとぞ思ふ」
〔秋の霧が立ちこめるころ、先立たれてしまったと聞いてから、時雨が降る空を見るにつけても、このように泣き暮らしていらっしゃるのだろうかと思ってしまいます〕
とだけ、薄い墨でお書きになっているのは、気のせいか、奥ゆかしく感じられます。
何事につけても、予想以上だと思うことなどほとんどない世の中ですが、このようにつれない人に限ってしみじみ優れたお方だとお思いになるのでした。
「冷淡ではあるが、折々のあわれを逃しなさらない方だな。この方こそ、最後まで互いに心の交流を続けることができそうだ。やはり、由緒があって、あまりにも風流を気取りすぎているように見える人は、かえってその度のすぎたところが欠点となるものだ。若紫の君はそんな風に育てないようにしなければ」
とお思いになっています。
「寂しくて私のことを恋しく思っているだろうな」と若紫の君を忘れることは一時もありませが、妻や恋人ではなく、ただ母親のない子を残してきたような気分で、会わずにいる間、ご自身がどう思われているだろうか、と不安になることがないのは気楽なものでした。[25]
日がすっかり暮れたので、大殿油を近くに取り寄せなさり、それにふさわしい女房たちだけを前にしてお話をしていらっしゃいます。中納言の君という女房は、長らく光る君が密かに思いを寄せていらしたのですが、この時ばかりはご心痛のためにそのようなお気持ちにはなりません。中納言の君の方でも「素晴らしいお心だわ」と思い申し上げていました。ただ他の女房たちと同じ存在として親しげにお話しなさって、
「このように、最近は以前にもまして誰にも邪魔されることなくお前たちと顔を合わせてきたから、この先こうしてばかりもいられなくなれば、恋しくならないだろうか。非常につらく悲しい気持ちなのは当然だが、それはさておいても、考えれば考えるほど、耐えがたいことが多いものだ」
とおっしゃるので、それを聞いた女房たちはみないっそう泣いて、
「我らが主がお亡くなりになってしまったこと、ただただ真っ暗な気持ちがしますので…」
「それもそうですが、光る君様が未練もない様子でここを出て行きなさるのを想像しますと…」
と、最後まで申し上げることができずにいました。その様子を見渡した光る君は気の毒にお思いになって、
「どうして未練がないなどということがあろうか。私のことを心の浅い人間だと思っていらっしゃるのですね。気の長い人がいれば、私の真心の深さを見届けなさるだろうに。無常なこの世だから命のはかなさだけは自分にも分からないが」
と言って灯火をぼんやりと眺めなさっている目もとが涙に濡れてらっしゃる様子は、これもまた麗しく素晴らしいものがあります。
葵の上が特別にかわいがっていらっしゃった、あてきという童女には親もなくて非常に心細く思っている様子だったのを、無理もないことだとお思いになって、
「あてきよ、これからは私を頼りにするしかないようだね」
とおっしゃると、あてきは激しく泣いてしまったのですが、人一倍黒く染めた丈の短い衵の上に黒い汗衫を着て、橙色の袴を履いているその姿はかわいらしくございました。[26]
「亡き妻のことを忘れずにいてくれる人は、その寂しさを埋める意味でも幼い我が子を見捨てず、ここに残ってくださいよ。妻がいなくなったのに加えて、あなたたちまでここからいなくなってしまったら、ますます頼りになるものがなくなってしまうだろう」
などと、気を長く持って引き続きお仕えするようおっしゃいましたが、「いやはや、これからはますますこちらへのお越しが待ち遠しくなることだろう」と思うと、非常に心細くございました。
左大臣は、葵の上に仕えてきた女房たちの立場立場を考慮しながら、ちょっとした遊び道具や、本当に亡き人の形見になりそうなものなどを、大袈裟な雰囲気にならないようにしながら、みなお配りになりました。
光る君は、「このようにばかり、どうしていつまでもしんみりと寂しく過ごしておれようか」と、桐壺院の所に参上なさることにしました。
お車の用意をさせ、前駆の者などが集まってくる間、まるで時を知っているかのような時雨が降り、木の葉に吹きつける風が慌ただしく吹き散らすと、お仕えしていた女房たちはますます心細くなって、最近ようやく濡らさずにいた裾を、また涙で濡らすのでした。
夜はそのまま二条院にお戻りになるだろう、といって、光る君にお仕えする人々も、二条院でお待ち申し上げることにしたのでしょう、みな左大臣邸を離れて行くので、今生の別れというわけでもないのに、この上なくもの悲しくございます。
左大臣も大宮も、改めて悲しみを身にしみて感じなさっており、光る君は大宮のもとにお手紙を差し上げなさいました。
「桐壺院が私の来訪を待ち遠しいようにおっしゃっているので、本日参上いたします。かりそめにこちらを退出するにつけ、『この悲しみに耐えて今日までよく生き延びたことよ』と、心が乱れるばかりでつらくて、そちらに伺って直接お話しなどしたら耐えられそうになく、かえって参上しないほうがよさそうでしたので」
とあったので、大宮は涙で目もお見えにならず、沈み込んでお返事も申し上げなさいません。[27]
左大臣がすぐに光る君のもとにお越しになりました。非常に耐えがたく思っていらっしゃる様子で、涙を拭う袖を顔からお離しになることができません。それを拝見する女房たちもたいそう悲しい気持ちがしました。
光る大将の君はこの世の中について色々と考えを巡らしてお泣きになる、その様子はしみじみとあわれ深いものの、そのお姿はとても優美でいらっしゃいます。左大臣は長らく気持ちを静めなさってから、
「年老いた身には、些細なことでも涙もろいものですのに、まして娘を亡くした悲しみの涙は乾く暇もなく、思い乱れております心を落ち着けることができませんので、人目にも非常に取り乱した情けない姿に映るでしょうから、院のもとに参上することもできません。ことのついでに、ほのめかしてそうお伝えください。余命幾ばくもございません老いの末に、娘に先立たれてしまったのがつらくて仕方ありません」
と、無理矢理に気持ちを抑えておっしゃる様子は見ていてたいそうつらいものがありました。
光る君もたびたび鼻をかんで、
「誰かに死に後れたり先立ったり、人の寿命がまちまちなのは無常なこの世の定めだと、私も分かってはいるつもりでしたが、実際に大切な人の死に直面してみると、心の動揺は比類ないものです。院にも、義父殿の様子をお伝え申し上げれば、お分かりいただけることでしょう」
と申し上げなさいます。
「では、時雨もやみそうにありません。暗くならないうちに」
と、光る君を促しなさいました。
見回しなさると、御几帳の後ろや、襖障子が開け放たれている向こう側などに、三十人ほどの女房がかたまって、濃かったり薄かったりする鈍色の衣を着ながら、皆とても心細そうに涙を流しながら寄り集まっているのをご覧になると、光る君は非常にかわいそうな気持ちにおなりになります。[28]
左大臣は、
「大事な大事な若君がここに留まりなさっているのだから、いくら何でも何かのついでにお立ち寄りくださるだろう、などと自分の気持ちを慰めていますが、思慮分別のない女房などは、今日を最後にここをお見捨てになるのでは、と気が滅入って、我が娘と死に別れた悲しさにもまして、ただ時々光る君に馴れ親しんでお仕え申した年月までもがすっかり消滅してしまいそうなのを嘆いているようで、それももっともなことです。こちらには気を許していらっしゃることはありませんでしたが、それでもいつかはうちとけるだろう、とあてにならない期待を持っておりました。今日の夕暮れは本当に心細いことです」といってお泣きになりました。
すると光る君は、
「それはとても浅はかな嘆きというものです。『今はどうであれ、いつかは妻ともうち解けられるだろう』と気長に構えておりました頃は、自然と足が遠のくこともありましたが、その妻を失った今となってはかえって何をあてにして来訪を怠ったりできましょうか。今に私の誠実さをご覧になるでしょう」
といってお出掛けになるのを左大臣はお見送り申し上げ、光る君の居室にお戻りになると、御部屋のしつらえを始めとして、以前と変わったわけではないのですが、まるで空蝉のようで、空しい気持ちにおなりになりました。御几帳の前に御硯などを散らかして、何かを書いて捨てていらしたのを手にお取りになって、涙に濡れる目を拭いながら強いてご覧になると、若い女房たちは悲しいながら微笑む者もいるようです。
紙には情趣のある古い中国や日本の詩歌を、草書や漢字を混ぜながら、無造作に、しかし素晴らしくお書きになっており、左大臣は「見事な筆跡だなあ」と空を仰いでぼんやりと物思いに耽りなさるのでした。これから光る君のことを他人として拝見することになるのが残念なのでしょう。
「ふるき枕、ふるき衾、誰とともにか」という長恨歌の一節を書き記した近くに、
「なき魂ぞいとど悲しき寝し床のあくがれがたき心ならひに」
〔この世を去ってしまった魂がますます悲しく思われることだ。ともに寝た床を離れがたく思って来た心の習慣のために〕
とあり、また同じく長恨歌の一節を引用して「霜の花白し」と書いてある近くには、
「君なくて塵つもりぬる常夏の露うち払ひいく夜寝ぬらむ」
〔あなたがいなくなってからというもの、塵が積もってしまった床に涙の露を払いながら幾夜寝たことだろう〕
とあって、いつかの花なのでしょう、枯れてまじっていました。[29]
左大臣は、光る君の走り書きを大宮に御覧に入れなさると、
「私たちの娘が亡くなってしまったのは仕方のないことで、このような悲しい類いはこの世にないわけではないと強いて思いこみながらも、親子としてこの世での縁が長くは続かず、このように親の心を乱す宿命を持って生まれた子であったのだろう、と思うとかえってつらく、前世の行いが悪かったのかとまで思いを馳せながら悲しみを静めてきましたのに。ただ、日が経つにつれて、恋しさが耐えがたく、また光る大将の君がこれからは余所の人におなりになってしまうことが非常に残念なことに思われてなりません。これまで、一日、二日とお見えにならず、それでもたまにはお出でくださったにも関わらず、不満で胸が痛く思われましたのを、朝夕の光を失ってしまってはこれからどうやって生きていけばよいのだろうか」
とお話しになりながら、堪えきれずに声を上げてお泣きになると、お側にいた年配の女房なども悲しさの余りに涙を流している光景は、ただでさえ寂しい秋の夕暮れに寒々しさを添えていました。
若い女房たちはあちこちに固まって座りながら、それぞれしんみりと言葉を交わしています。
「光る君がおっしゃる通り、若君をお世話し申し上げることで気が紛れるだろうとは思うけれど」
「たいそう幼い忘れ形見ですわ」
「ちょっと実家に帰ってからまた改めて参上することにしようと思うんだけど」
などと言う者もいるので、互いに別れを惜しむ様子は、それぞれにしみじみするようなことが多くあります。[30]
さて、光る君が院のもとに参上なさると、
「ひどくやつれてしまったね。毎日仏事をして過ごしていたせいだろうか」
と心苦しくお思いになった様子で、お食事を取らせなさるなど、あれこれお世話しなさる様子はしみじみ畏れ多く思われました。
そうして、光る君が藤壺中宮の御方へ参上なさったところ、女房たちは珍しがってそのお姿を拝見しています。
中宮様は命婦の君を通して、
「悲しみは尽きることがありません。時は経ちましたが、心中はいかがでしょうか」
とご伝言を申し上げなさいました。
「世の無常さは知っているつもりでしたが、いざ妻の死を目の前で見てしまうと、厭わしいことが多くて思い乱れてしまいましたが、たびたびお手紙を頂きましたおかげで、どうにか気持ちを慰めて今日まで生きてきました」
と言うと、日ごろの思慕の情まで加わってますます心苦しそうです。無紋のお直衣、鈍色の御下襲、纓を巻いた冠をつけた喪服姿は、華やかな装束以上に、ますます優美でいらっしゃいました。
春宮にも、
「気がかりに思い申し上げながら、ご無沙汰してしまいました」
とご挨拶を申し上げなさり、夜が更けると退出なさるのでした。[31]
二条院では、人々が磨きあげるように綺麗にして、男も女も光る君をお迎えしました。上級の女房たちがみな参上して、我も我もと美しく着飾って化粧しているのをご覧になるにつけても、左大臣邸での、皆が気落ちしてうなだれて座っている様子が悲しく思い出されました。
光る君は喪服をお着替えになってから西の対にお出でになりました。衣替えが行われ、冬にあわせた部屋の装飾は明るく鮮やかで、上品で若い女房や子どもたちの姿恰好も見苦しくないように整えられており、「少納言の差配は実に見事で奥ゆかしいものだ」とご覧になります。
もちろん、若紫の姫君は一段とかわいらしく身なりを整えていらっしゃいます。
「随分と長く見なかった間に、本当にこの上ないほど大人らしくおなりになったね」
と言って、小さい御几帳をめくってご覧になると、顔を背けて恥ずかしがっていらっしゃるご様子で、そのかわいらしさといったら物足りない所などあるはずもございません。灯火に照らされた横顔、頭の形など、「恋い焦がれて物思いの種となっている、あの方と段々そっくりになっていくなあ」と見なさるにつけ、光る君は非常に嬉しくなるのでした。
近くお寄りになって、早く会いたいと待ち遠しく思っていたことなどを申し上げなさり、
「最近のことなど、のんびりとお話をしたいのですが、死の汚れに触れた我が身が忌々しくも思われますので、しばらく自室で休んでからまた改めて参上しましょう。これからはあなたをずっと見ていられるから、逆に私を鬱陶しくお思いになるかもしれませんよ」
とお話し申し上げなさるのを、少納言は嬉しく思って聞くものの、いまいち信用していません。
「光る君様には、大事にしているお通い所をたくさん持っていらっしゃるから、またそのうちやっかいな女が現れるのではないかしら」と思っていたのは憎らしい心ですよ。
光る君はご自分のお部屋にお戻りになると、中納言の君という女房に御足をさすらせながらお休みになりました。[32]
朝には若君のもとにお手紙をお出しになりましたが、しんみりとしたお返事をご覧になるにつけ、悲しみは尽きることがありません。
特にすることもないまま、ぼんやりと過ごしていらっしゃいましたが、何とはなしのそぞろ歩きも嫌になってしまい、出かける気にもなりません。
若紫の姫君が、あらゆる点で理想的で、完璧に整っており、たいそう素晴らしくお見えになるのを、一対の男女として似つかわしい頃合いだと御覧になった光る君が、色めいたことなどを話しかけてみたりもなさるのですが、まったくお分かりになっていないご様子です。手持ち無沙汰にまかせて西の対にお出ましになっては、碁を打ったり偏継ぎをしたりしてお過ごしになっていると、姫君のお心が実にかわいく魅力的で、ちょっとした遊びごとの中にもかわいらしいことをしなさるので、幼い少女として諦めていた年月においては、幼さによるかわいさだけでしたが、今や溢れてくる異性への情愛の念を堪えきれず、親子のような関係として暮らしてきたので、姫君の心中を考えるとかわいそうにも思われましたが、とうとう男女の関係を結びなさるのでした。
傍目にはご関係が以前までと変わったわけではないのですが、光る君は早くに起きなさり、若紫の君はまったく起きようとなさらない朝がきました。
女房たちは、
「どうしてそのように寝ていらっしゃるのでしょう」
「具合が悪くていらっしゃるのでしょうか」
と見申し上げて嘆いていましたが、光る君は自室にお戻りになるとのことで、御硯の箱を御帳台の中に差し入れて退出なさいました。若紫の君は、人目がない隙に、やっと頭を持ちあげなさってみると、結んだ文が御枕元にあります。何気なくほどいてご覧になると、
「あやなくも隔てけるかな夜を重ねさすがになれし中の衣を」
〔意味もなく隔たってきたことです。幾夜も衣を重ねて共寝をし、さすがに馴れ親しんだ私たちの仲ですのに〕
と、思うがままに書いているようです。こんなお心があろうとは夢にも思っていらっしゃらなかったので、「どうしてあのお方の情けないお心を何の疑いもなく私は信頼してしまったのだろう」と情けなくお思いになりました。[33]
お昼ごろ、光る君はまた若紫の君をお訪ねになって、
「苦しそうにしていらっしゃるようですが、どんな具合ですか。今日は碁も打たないのでつまらないことです」
といってのぞきなさると、ますます御衣を頭ですっぽりとかぶって臥しています。女房たちは離れた所に下がって控えているので、姫君の近くにお寄りになって、
「どうしてそんな風にふさぎこんでいらっしゃるのですか。意外と情けないところがおありになるのですね。女房たちもどんなにか不思議に思っていることでしょう」
といって、引き被っている夜着を剥ぎ取って見なさると、前身汗まみれで、前髪まで濡れていらっしゃるのでした。
「なんとまあ。これはひどい」
といって、言葉を尽くしてなだめなさるのですが、姫君は本当につらいとお思いになって、まったくお返事もなさいません。
「分かった分かった。もう私はここには来ませんよ。まるで私が悪者みたいできまり悪い」
などと恨み言をおっしゃって御硯箱を開けてみましたが、返歌もなかったので、「何とも幼げな」とかわいらしくお思いになって、日が暮れるまでお側に付き添ってあれこれお慰めになりましたが、許そうとなさらないご様子がますますかわいく思われるのでした。
その夜、光る君のもとに子孫の繁栄を願う亥の子餅が振る舞われました。まだ喪中だったので、あまりおおげさにならないように配慮されています。若紫の君の方にだけ、美しい檜破籠などを色とりどりにお運びしているのを御覧になって、光る君は南面にお出ましになると惟光をお呼びになって、
「この餅を、このように溢れるほど多くなく、明日の夜に差し上げよ。今日は日が悪い」
と微笑んでおっしゃると、惟光は勘の良い男だったのですぐに光る君の意を汲み取りました。
「確かに。婚姻の儀は日をお選びになるべきですな。では、子の子餅はおいくつお持ちいたせばよいでしょうか」
と真面目な顔で申し上げるので、
「この三分の一でいいだろうな」
とおっしゃると、すっかり心得て下がるので、「できる男だ」と光る君は感心なさっていました。
惟光は実家に下がり、誰にも言わずにほとんど一人で餅を作るのでした。[34]
光る君は、まだ拗ねている若紫の姫君のご機嫌を回復することがおできにならず、今初めて盗み出してきた人であるかのような感じがするのもおかしくて、「数年来愛しく思ってきたのは、今の思いに比べたらものの数でもないなあ。それにしても人の心というのは奇妙なものだ。今や一夜だって会わずにはいられない気がするよ」とお思いになっています。
ご下命を受けていた餅を、惟光は夜もすっかり更けてから密やかにお持ちしました。
「少納言は年配だから気恥ずかしく思うだろうか」と慎重に思案を巡らして、その娘の弁というのを呼び出して、
「これをこっそりとお持ちしてください」
といって、香壺の箱 ── 中には餅が入っているのですが ── を一つ差し入れました。
「御枕元に差しあげなければならない祝いの品です。決していい加減に扱わないでくださいよ」
というと、奇妙にも思ったのですが、
「いい加減なことなど、これまでしたことございません」
といって受け取るので、
「確かに。それと、今は忌まわしい言葉をお使いになってはいけませんよ。大丈夫だとは思いますが」
と言いました。
弁はまだ若く、深いところまで考えが及ばないので、言われた通りに持って参上し、御枕元の御几帳の下から箱を差し入れましたが、例によって光る君が若紫の君にお知らせするのでしょう。
女房たちは知るよしもありませんでしたが、翌朝、光る君がこの箱を寝所から出させなさった時、側近の女房たちだけは合点するのでした。
それにしても、お皿などまでいつの間に用意したのでしょうか、花形の彫刻を施した台は非常に美しく、餅も格別に素晴らしく作られていました。少納言は、「本当にこれほどまでに…」と思いましたが、感激すると同時に畏れ多くて、隅々まで至らぬ所のない光る君のお心配りを思って涙がこぼれてきました。
「それにしても、私たちにこっそりお話しくださればよかったのに」
「惟光もどう思ったことでしょう」
とひそひそ話し合っています。[35]
それからというもの、内裏や院の御所にほんの少しいらっしゃるだけで、若紫の君の面影が恋しくて落ち着かないので、おかしな気がするな、とご自身でもお思いになっています。関係を持っていた愛人たちの所からは恨み言をしたためたお手紙もしばしば届くので気の毒にもお思いになるのですが、新妻をほったらかすことなどできようか、とお思いにならずにはいられません。そこで、葵の上を亡くした悲しさのために苦しんでいるように振る舞いなさって、
「この世の中が非常につらく思われて仕方ないのです。そのような期間が過ぎ去ったらお伺いします」
と、このようなお返事ばかりでやり過ごしていらっしゃいました。
さて、今は御匣殿となられた朧月夜の六の君ですが、今なお光る大将殿に夢中でいらっしゃることに対して父右大臣が、
「本当に、あの正妻もお亡くなりになったのだから、あの子が望むなら光る君と結ばれたとしても、それはそれで良いではないか」
とおっしゃっているのを、姉である弘徽殿の皇太后は非常に憎らしくお思いになって、
「宮仕えをしっかりとさえ勤めれば帝との結婚もあり得ましょう。その方が良いに決まっています」
といって、入内させることに躍起になっていらっしゃいます。光る君の方でも、朧月夜の姫君には並々ならぬ思いを寄せていらしたので、宮仕えの件は残念なこととお思いでしたが、今は紫の君以外にお心を割くことはできません。
「どうして、こんなに短い人生で色々な女性に心が動くのか。しかしこうして紫の姫君に気持ちが定まっていくことだろう。人の恨みも負うべきではないしな」と、六条御息所の生き霊に懲りて、ますます慎重におなりになっていました。
「御息所はたいそう気の毒だが、正式な妻として頼みにするのはどうしても気が引けてしまう。これまで通りの関係で良しと思ってくださるなさるならば、しかるべき時に色々と話をする女性として相応しいだろうな」などと、さすがにきっぱりと思いを捨ててはいらっしゃらないようです。[36]
これまで、紫の姫君の存在について世の人もどこの誰だか知らずにいたので、「このままでは低い身分の女であるかのようだな。まずは父宮にお知らせしよう」とお思いになっていました。成人の儀のことも、広く大勢の人にお話しにはなりませんでしたが、並々ならぬご準備をなさる御心づもりは滅多にないほどのものでした。
しかし、紫の姫君ご本人は光る君のことを嫌いなさって、「長年の間すっかり信頼して仲良くしてきた私が馬鹿だったんだわ」と悔しさばかりをお思いになって、目もお合わせになりません。光る君がふざけて冗談をおっしゃっても、とてもつらそうに思い悩んでいらっしゃり、かつてとは様子が違うようになっていくのを、おかしくも可哀想にもお思いになって、
「長年あなたを愛してきた甲斐もなく、私に心を許してくれないのがつらいことです」
と恨み言を申し上げなさるうちに、年も明けました。
元日は例年通り、まず桐壺院、それから帝と春宮に年始の御挨拶のために参上し、その後、左大臣家にも参上なさいました。
左大臣は、新年を迎えてもなお葵の上のことをお話しになっては、寂しく悲しく思っていらっしゃったところで、そこに光る君がお出ましになったものですから、何とか堪えようとなさるのですが、それも難しいようです。光る君は御年が加わったためか、厳かな雰囲気をまといなさって、以前にもまして美しく立派にお見えになります。
亡き葵の上の御部屋にお入りになると、女房たちは珍しそうに見申し上げると、堪えきれずに涙を流しました。
若君をご覧になると、随分と成長して、にこにことよく笑っていらっしゃるのもしみじみ愛しく感じられます。目元も口元も春宮にそっくりなので、「この子を見た人は怪しむかもしれないな」とお思いになる光る君でした。
室内の装飾などは以前と変わっていません。衣桁にも以前と変わらず、光る君のための新しい御装束が掛けられていましたが、葵の上のものが並んでいないのに寂寥感が漂っていました。大宮の御伝言として、
「元日ばかりはと悲しみを堪えていたのですが、このようにお越しくださり、かえって…」
などという挨拶に続き、
「かねてよりの習慣通り、年始にあわせて新調した御装束も、この数ヶ月の間、涙で塞がった私の目で仕立てたものですから、冴えない色調だとお見えになるかもしれない、とは思うのですが、今日だけはどうかこれをお召しになってください」
といって、更に、たいそう心をこめて仕立てなさった衣装を献上なさるのでした。どうしても今日お召しになってほしいとお思いになった下襲は、色も織り方もこの世のものとは思えないほど格別に素晴らしかったので、お気持ちを裏切ることはできまい、と思ってお着替えになりました。
「もし、今日来ていなかったら落胆なさっただろうな」と想像すると、胸が締め付けられるようでした。
お返事には、
「新しい春が来たか、とます御覧いただきたくて参上しましたが、亡き妻が思い出されることばかり多くて何も申し上げることができません。
あまた年今日あらためし色ごろもきては涙ぞふる心地する
〔毎年こちらにやって来て妻とともに新年を過ごしてきましたが、今日彩色美しい衣に一人着替えてみると、涙がこぼれる心地がすることです〕
心を静めることができません」
と申し上げなさいました。
お返事には、
「新しき年ともいはずふるものはふりぬる人の涙なりけり」
〔新年の目出度さも何も関係なく降るものは、年老いた母が亡き娘を思って流す涙でございます〕
とありました。この悲痛な思い、並大抵のものではございません。[37]
[花宴] [賢木]