大宮様は、ちょっと風が吹くだけで散ってしまう木の葉よりも簡単に涙がこぼれるようなありさまでいらしたので、光る君からのお手紙は手に取ることもおできになりません。
「今も見てなかなか袖をくたすかな垣ほ荒れにし大和撫子」
〔今もこの子を目にしながら涙がとまらずに、濡れた袖を朽ちさせてしまうのではないかとかえって・・・。荒れてしまった垣根の中に咲く大和撫子のようで、愛しくも不憫で〕
光る君は、なおも喪失感が大きいので、「今日の我が物憂さを、いくら何でもお分かりくださるだろう」と推測される朝顔の宮のお心なので、まだ暗い時分ではあったのですが、お手紙を差しあげなさいました。
随分としばらくぶりのお手紙でしたが、そういうご関係だったので、気にも咎めず御覧に入れました。
空と同じ色の唐の紙に、
「わきてこの暮こそ袖は露けけれもの思ふ秋はあまた経ぬれど
〔とりわけ今日の日暮れは袖が涙で湿っぽいことです。秋の物思いは多く経験してきましたが〕
この時期は時雨が降るものですが…」
とあります。
「心を寄せてお書きになっている筆跡など、いつも以上に見事ですし、捨て置くことはできませんね」
などと女房たちも申し上げ、また、ご自身もそのようにお思いになったので、
「籠もっていらっしゃるご様子に思いを馳せながら、こちらからお手紙を差しあげることはとても…
秋霧に立ちおくれぬと聞きしよりしぐるる空もいかがとぞ思ふ」
〔秋の霧が立ちこめるころ、先立たれてしまったと聞いてから、時雨が降る空を見るにつけても、このように泣き暮らしていらっしゃるのだろうかと思ってしまいます〕
とだけ、薄い墨でお書きになっているのは、気のせいか、奥ゆかしく感じられます。
何事につけても、予想以上だと思うことなどほとんどない世の中ですが、このようにつれない人に限ってしみじみ優れたお方だとお思いになるのでした。
「冷淡ではあるが、折々のあわれを逃しなさらない方だな。この方こそ、最後まで互いに心の交流を続けることができそうだ。やはり、由緒があって、あまりにも風流を気取りすぎているように見える人は、かえってその度のすぎたところが欠点となるものだ。若紫の君はそんな風に育てないようにしなければ」
とお思いになっています。
「寂しくて私のことを恋しく思っているだろうな」と若紫の君を忘れることは一時もありませが、妻や恋人ではなく、ただ母親のない子を残してきたような気分で、会わずにいる間、ご自身がどう思われているだろうか、と不安になることがないのは気楽なものでした。
※雰囲気を重んじた現代語です。
前回からかなり時間が空いてしまいました。
今回、久しぶりに朝顔の姫君が出てきました。
紫の君はやはり別格なようで、忘れず大事に思っているようです。
そういえばこの系図には紫の君が抜けていますね。笑
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