源氏物語~賢木~(11)


年は改まりましたが、世の中の雰囲気は新年らしからぬ静かで寂しいものでした。

光る大将殿は、とりわけ辛く悲しくて、自邸に引き籠もっていらっしゃいます。

除目のころになると、桐壺院の治世のころは言うまでもなく、譲位なさってからの数年も変わらずに、門の前には任官のつてを求める人たちの馬や車が隙間もないほど立ち並んでいたのですが、今年は数がすっかり減り、泊まりがけでお仕えするための宿直装束を入れた袋などもほとんど見かけません。

親交の深い家司たちだけが、特に急ぎのこともなさそうな様子でいるのを御覧になると、「今からこのようでは…」と先が思いやられ、失望していらっしゃいました。

御匣殿は、二月に尚侍におなりになりましたが、これは亡き桐壺院を慕って尼におなりになってしまわれた方の後任です。

高貴な身の振る舞いで、人柄も非常にすばらしかったので、たくさんお集まりになっていたお妃の中でもとりわけ帝の寵愛を得ていらっしゃいました。

弘徽殿の皇太后は里下がりをしがちで、参内なさるときには梅壺を御局としていらっしゃったので、弘徽殿には尚侍様が住んでいらっしゃるのでした。

お隣の登花殿がひっそりしていたのに対して弘徽殿は晴れやかで、女房たちも数え切れないほど集まって賑やかに華やいでいましたが、尚侍ご本人のお心のうちは、かつての思いがけない秘密の情事を忘れがたく思ってお嘆きになっていたのです。

以前と変わらず、密かにお手紙もやりとりしていらっしゃいました。

噂が漏れたらどうなるだろう、とお思いになりつつ、例の御性分ですから、以前にもましてかえって愛情が深まっているようです。

桐壺院の御在世中は遠慮なさっていましたが、皇太后の御気性は壮烈で、これまであれこれ悩まされてきた報復をしようと思っていらっしゃるようで、光る君にとって嫌なことばかりが増えてきたので、予想されたこととは言え、このように辛いご経験はなさったことがなく、人々と交際をなさるような気分におなりにならないのでした。

※雰囲気を重んじた現代語訳です。


光源氏、本格的な不遇の時代に突入です。

限りなく嬉しい。笑
☆.。.:*(嬉´Д`嬉).。.:*☆

そして、朧月夜の君と呼ばれた方は御匣殿から尚侍ないしのかみへと出世しました。

内侍司ないしのつかさの長官が尚侍です。

「内侍司」をベネッセ古語辞典で引いてみると、

後宮十二司の一つ。天皇に近侍して奏請・伝宣や後宮の礼式などをつかさどった。尚侍ないしのかみ・典侍ないのすけ・掌侍ないしのじょうなどはこれに属した。

尚侍は元来は内侍司の長官だったのですが、平安中期には既に帝の妻として女御・更衣に次ぐ地位となっていました。

源氏物語系図

ですから、尚侍である朧月夜の君と光源氏が男女関係にあるというのは非常にヤバいことなのです。

皇太后は自分が元々住まっていた弘徽殿を娘の朧月夜に譲り、自分は梅壺を使っているのだそうです。

弘徽殿・梅壺・登花殿と久々に3つも殿舎の名前が出て来たので、こちらも図で確認しておきましょう。

では今回はこの辺で。

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