北の対の方にそっと回り込みなさり、目立たない所に身をお潜めになって御言づてを申し上げなさると、それまでの管弦のお遊びはぴたっとやんで、大勢の衣擦れの音やひそひそ話をする声が奥ゆかしく聞こえてきます。
誰それとかいう女房に託した御伝言だけで、御息所自身は対面なさるつもりがないご様子だったので、光る君はたいそう気に入らないことだとお思いになって、
「このような出歩きも今の私は大変難しい身分になっていることをお分かりいただけるなら、こんな風に私を閉め出さないでください。胸の中がもやもやしているのを晴らしたいのです」
と誠実に申し上げなさると、女房たちも、
「本当に光る君様のおっしゃる通りです。このような応対は決まり悪くございます」
「お立ちになったままで難儀でしょうに」
「おかわいそうですわ」
などと口々に進言申し上げるので、「でも…。大勢の人目があるのもみっともないし、あの方がどうお思いになるかと想像すると、誘われたからといって、子どもじゃあるまいし、御前に座るのは今さら気が引けるわ」とお思いになるととても憂鬱だったのですが、冷たくあしらってしまえるほど気が強いわけでもないので、あれこれ嘆き、迷いながらも、にじり出なさったご様子は非常に奥ゆかしいものでした。
「こちらでは簀の子縁に上がる程度のことは許されるでしょうか」
といってお上りになりました。
美しくさし昇っている夕月夜の中、光る君の御振る舞いの優美さ、焚きしめたお香の匂いは例えようもないほど素晴らしくございました。
数ヶ月にも及ぶご無沙汰を、それらしく取り繕って申し上げなさっているうちに、段々気恥ずかしくなってしまったので、榊を折り取って持っていらしたのを御簾のうちに差し入れて、
「この木の色のように変わることのない我が心を頼りにして、齋垣も越えてやってきたにも関わらず、このような御扱いは残念です」
と申し上げなさったところ、
「神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがへて折れる榊ぞ」
〔この神聖な地の垣根には目印になるような杉の木もありませんのに、何をどう間違えて手折った榊なのでしょうか〕
とお詠みになるので、
「をとめ子があたりと思へば榊葉の香をなつかしみとめてこそ折れ」
〔斎宮となって神にお仕えする清き乙女がいらっしゃるあたりだと思うと、榊の葉の香りが慕わしいので探し求めて折ってきたのですよ〕
全体的に厳かで神聖な雰囲気は光る君にとってやっかいでしたが、室内に顔だけを覗かせて御簾を身にまとうような恰好で、長押にもたれるようにお座りになっています。
※雰囲気を重んじた現代語訳です。
「さかき」の漢字表記には「榊」「賢木」と2種類あります。
今回光源氏が榊を差し出した所から始まる贈答歌から、「賢木」という巻名が付けられています。
光源氏が建物に上がり込んで榊を差し入れ、簾越しに六条御息所と言葉を交わす今回のシーンが描かれています。
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