弘徽殿の皇太后もお見舞いに参上なさろうとするのですが、藤壺中宮がこのように寄り添っていらっしゃるのに気が引けてためらっていらっしゃるうちに、静かに息をお引き取りになってしまわれたのでした。
地に足も着かず、うろたえる人が大勢いました。
譲位なさって院という立場にこそなっておられましたが、世を治めなさっていたという点では帝であらせられた時分とお変わりありませんでした。
今上帝はたいそうお若くていらっしゃり、その祖父の右大臣は非常に短気で意地悪なところもおありになったので、世の中がそのようなお方の意のままになればどうなってしまうのだろうか、と上達部も殿上人もみな嘆いております。
藤壺中宮や光る大将殿などはまして正気を失いつつ、死後の追善供養をなさる様子など、多くの親王たちの中でもとりわけ光る君がすぐれていらっしゃったことを、もちろんそれは当然のことと分かっていながらも、しみじみと感慨深く世の人は拝見するのでした。
喪服を身にまとっていらっしゃるお姿はこの上なく優美でしたが、いかにもつらそうなご様子です。
去年、今年と立て続けにこのように大切な人の死をご経験なさって、世の中を非常に空しいものとお思いになるので、これを機に出家なさってしまおうという考えが頭をよぎりなさることもありましたが、そうもいかない束縛が多くございます。
四十九日までは女御や更衣たちもみな院の所にお集まりになっていたのですが、それが過ぎると散り散りに御退出なさいました。
十二月二十日のことだったので、一年の終わりを迎えようという年の瀬の雰囲気につけ、心がますます暗くなる藤壺中宮でした。
弘徽殿の皇太后の御心をご存知でしたので、その方のお心のままになっていく世の中は居心地も悪いだろうとお思いになると、長らく馴れ親しんできた亡き院のことを思い出しなさらない時はありません。
しかし、こうして桐壺院の御所にいつまでもいることはおできにならず、皆それぞれがよそへと退出なさる様子はこの上なく悲しいものがありました。
※雰囲気を重んじた現代語訳です。
しばらくぶりになりました。
あっけなく桐壺院は崩御なさってしまわれました。
桐壺院は退位こそしていましたが、政治の実権は握っていたようで、院が存命の間は光源氏や左大臣一派も安泰だったのですが、院が亡くなると、右大臣方の勢力が強まるのは上の系図からも明らかですね。
茫然自失の光源氏と藤壺中宮です。
右大臣と弘徽殿の皇太后が世の中で権勢を振るっていくのか、と考えるとみな憂鬱なようです。
左大臣派にとっては右大臣の四の姫君を妻にしている三位中将が頼みの綱となりそうです。
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