読めんわ!という当て字の名前をキラキラネームまたはDQNネームと呼ぶことがかなり浸透して、この言葉は市民権を得たように思います。
今回は、このキラキラネームを遙か昔の鎌倉時代に兼好法師が一刀両断していたよ、というお話です。
【現代語訳】
寺院の号、また、それ以外のすべてのものに名前をつける時、昔の人は少しも目新しさを求めず、ただありのままに簡単につけたものだ。
このごろは深く思案し、自分の知識や知恵を見せびらかそうとしているように思える名が多くあるのが非常に煩わしい。
人の名前も、見馴れない文字をあてようとするのは無意味なことだ。
何でもそうだが、目新しさを求めたり異説を好んだりするのは、間違いなく学の浅い人だと言われている。
『徒然草』の第116段です。
鎌倉時代にもキラキラネームがあったらしいですが、どんなだったのでしょう?
鎌倉時代よりもずっと昔の人ですが、小野妹子とか犬上御田鍬とか藤原武智麻呂とかも、現代人の感覚からすると変な名前ですけど。笑
それはさておき、毎年繰り広げられるキラキラ大戦。
僕の記憶では「あくま」君が問題アリな名前としてニュースになったのが最初で、その後も模倣的に問題のある名前をつけたとしてニュースに取り上げられることがちょこっとあり、それからかなり時間が経ち、いつからか「どうにかして人が読めない字で名前を付けてやろう」という謎ブームが一部の人に訪れ、毎年暮れにニュースになるのが慣例となった、という印象。
クイズ感覚で名前を付けているのか、もっと別の理由なのか、それは知らんですが、その読めない名前を付けられた子が、将来、教科書に載るような偉業を成し遂げてしまった場合、未来のこどもたちはそのキラキラネームを偉人の名前として覚えなきゃいけないのかと想像すると…
先生「・・・で、この理論を確立したのが●●愛保らぶほです」
生徒「(ラブホ!)」
【原文】
寺院の号、さらぬよろづの物にも、名をつくる事、昔の人は、すこしも求めず、ただありのままに、やすくつけけるなり。
このごろは、深く案じ、才覚をあらはさんとしたるやうに聞こゆる、いとむつかし。
人の名も、目なれぬ文字をつかんとする、益なき事なり。
何事も、めづらしき事を求め、異説を好むは、浅才の人の、かならずある事なりとぞ。