源氏物語~夕顔~(17)


夜明けも近くなりました。

鶏の声は聞こえず、ただ年寄りめいた声と額ずいて一心に拝んでいる音が聞こえてきます。

立ったり座ったり、苦しそうに勤行をしているようです。

たいそうしみじみしたお気持ちになりながら、

「朝露と同じくらいはかない世なのに、何を欲張って祈っているのだろうか」

とお聞きになっていました。

すると、御嶽精進だったのでしょうか、「南無当来導師」と言いながら拝むようです。

「あれをお聞きなさい。来世のことを考えてあのように拝んでいるよ」

としみじみおっしゃって、

優婆塞が行ふ道をしるべにて来ん世も深き契り違ふな
〔あの男が在俗のまま仏道修行をしているのを道案内として、来世でも私と結ばれるあなたの運命の道に決して背かないでくださいね〕

古く有名な楊貴妃の例は、結局最後まで添い遂げられなかったのが不吉に思われて、

比翼の鳥になろうというのと引き替えに、弥勒菩薩がこの世に現れるという遠い未来のことを考えあわせておっしゃったのです。

将来のお約束としては非常に大袈裟ですね。

さきの世の契り知らるる身のうさに行く末かねて頼みがたさよ
〔前世からの宿命が知られる今のこの身の辛さですから、来世をあてにするのは難しいことです〕

このような歌のやりとりについても、実はあまり自信がないようでした。

なかなか沈まない月に誘われるように突然ふらふらと外出することを女はためらっていましたが、

光る君があれこれおっしゃるうちに月が急に雲に隠れて明けてゆく空の様子はとても趣がありました。

みっともない時刻になる前に、といつものように光る君はお急ぎになり、

軽々と女を車にお乗せになるので、右近も同乗しました。

そこから程近い何とか院といところに御到着なさって、その院を預かっている者をお呼び出しになりましたが、

待つ間に何気なく外を見上げてみると、荒れている門には忍ぶ草が繁っており、例えようもなく暗いのでした。

霧も深く、湿っぽくて、牛車の簾も上げていらっしゃったので、御袖もひどくお濡れになってしまいました。

※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。


光源氏が夕顔を連れ出すシーンです。

「御嶽精進みたけそうじ」とは、三省堂全訳読解古語辞典によると、

(「御嶽」は大和国やまとのくにの金峰山きんぷせんの別称)修験道しゅげんどうの聖地である金峰山に参詣さんけいする人が、その前に、五十日または百日の間身を清め、写経や読経の修行をすること。

だそうです。

夕顔の家の近所でその精進をしていると思われる声が聞こえてきたのですね。

続く「当来導師」とは、同じ辞書によると、

未来に出現して衆生しゅじょうを救う仏。弥勒菩薩みろくぼさつをさす。

と説明され、例文にはこの箇所が引用されており、「弥勒菩薩に帰依きえし奉る」と拝んでいるようだ。

と訳しています。

そして「優婆塞うばそく」も同辞典から説明を引用します。

出家せずに在俗のままで五戒を受けて仏門に入った男性。女性は「優婆夷うばい」という。

とのことです。

仏教用語はやっかいですよね。( ̄Д ̄:)

 

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