源氏物語~夕顔~(18)


「いまだかつて、このようなことを経験したことはなかったけれど、あれこれ気が休まらないものだな。

いにしへもかくやは人の惑ひけんわがまだ知らぬしののめの道
〔昔の人もこのように恋に心を惑わせたのだろうか。私はいまだかつてこのような夜明けの道を知らなかったよ〕

あなたはご経験がおありでしたか」

とおっしゃると、女は恥ずかしがって、

山の端の心も知らで行く月はうはの空にてかげや絶えなん
〔待ち続ける山の端の心も知らずに行く月は、何の思いも情けもなく姿を消してしまうのではないでしょうか。―待っている私の心も知らず、あなたはいつか通ってこなくなってしまうのではないでしょうか―〕

心細くございます」

といって、何となく恐ろしく薄ら寒く思っているので、

「あの大勢で集まって暮らしている手狭な住まいのせいだろう」と光る君はおかしく思っていらっしゃいます。

御車を邸内に引き入れさせて、西の対にお部屋の準備をする間、

御車から牛を放し、手すりに轅をかけてお待ちになっています。

右近は、何だか優雅な心持ちがして、過去のことなどを人知れず思い出すとともに、

管理人がかいがいしく準備に奔走する様子で、男の正体が光る君であることを悟りました。

少し明るくなってほのかにものが見えるころ、内へとお入りになりました。

部屋は急ごしらえだったわりに、きれいに造ってあります。

「お供にこれといった人もいないのですね。不都合なことでございますな」

というと、義父である大臣家で庶務を勤める者であり、光る君とも親しかったので、お近寄り申し上げて、

「しかるべき人をお呼びになった方がよろしいのでは」

などと申し上げると、

「あえて誰も来るはずがない隠れ家を探したのだ。絶対にこのことは人に言うな」

と口止めなさいました。お粥などを用意してお届けしようとしましたが、給仕をする者が揃いません。

御経験のない貧相な外泊なので、愛をお交わしになるより他のことはありませんでした。

日が昇るころに起きなさって、格子をご自身でお上げになります。

庭はとてもひどく荒れており、人目もなく、はるばると見渡されて、木立はたいそう鬱陶しく古びた感じがしています。

建物に近い草木には取り立てて見所もなく、みな秋の野の景色となり、池も水草に埋もれておりました。

ひどく嫌な感じがする所でございます。

別棟に部屋などをしつらえて人が住んでいるようでしたが、ここからは離れていました。

「気味の悪い所ですね。しかし、鬼もさすがに私は見逃してくれるだろう」

とおっしゃいました。光る君はまだ顔をお隠しになっていますが、女がとてもつらいと思っているので、

確かに、これほどの関係になっておきながら隠しているのも間違っているとお思いになって、

夕露にひもとく花は玉ぼこのたよりに見えし縁にこそありけれ
〔夕露に開いた夕顔の花は、あの五条の通り道の単なるついでだと思ったけれど、そうではなく私たちを結ぶ縁であったのだなあ〕

露の光はどうでしょうか」

とおっしゃったところ、横目でちらっと見て、

ひかりありと見し夕顔のうは露はたそかれどきのそら目なりけり
〔夕顔に光を添えている露のようだと思って見ていましたが、それは黄昏時の薄暗さによる見間違いでしたわ〕

と小さな声で言いました。光る君は、面白いと思っていらっしゃいます。

本当に、ここまで光る君が気を許していらっしゃるというのは他にはないことで、

このように廃れた場所であるだけに、光る君の美しい御容姿は何か不吉なものを感じるほどにお見えになりました。

※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。


「御車から牛を放し、手すりに轅をかけて」とでてきました。

「轅」は「ながえ」と読みます。

車から前方に長く伸びた二本の柄が「轅」です。

 

そして、最後から二つめの歌は分かりづらく感じました。

この歌は、以前に夕顔の花咲く家を通りかかったとき、夕顔が扇に書いて送ってきた和歌を踏まえています。

具体的には、

心あてにそれかとぞ見る白露のひかりそへたる夕顔の花
〔白露のように光り輝くあなたが眩しくてはっきりとは見えず、当てずっぽうですが、今あなたが摘み取ったのは夕顔の花でしょうか。―ひょっとしてあなた様はあの光る君様ではありませんか―〕

です。(参照

この歌中の「露」と「花」を詠み込み、さらにセリフとして「露の光やいかに」と「ひかり」も加えます。

こうすることで、あの時の男であることを夕顔にはっきりと示すわけですね。

それに対して、夕顔は「あのときは薄暗くてよく見えませんでした。光というほどではありませんね」と返します。

これまで正体を隠し続けた光源氏の意地悪にちょっとすねて見せたのでしょう。

いや、かわいいですね、これは。

「光源氏やっぱかっこいい」とか「畏れ多いです」とか言われるより、ちょっとすねてる方が断然かわいいです。

 

そうそう、最初から数えて二首めの歌です。

山の端の心も知らで行く月はうはの空にてかげや絶えなん

という夕顔の歌ですが、「山の端」を夕顔、「行く月」を光源氏と解釈しました。

しかし一般的には逆、つまり「山の端」が光源氏、「行く月」が夕顔、と捉えるようです。

山の端と月だったらどう考えても月が光源氏だろう、と思いました。

もちろんこの歌の段階では光源氏の正体には気づいていないとは言え、です。

それに、「山の端=待つ側=女」「行く月=男」の方が自然ではないでしょうか。

 

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