源氏物語~夕顔~(33)


「短かく終わったあの人との不思議な運命に引き寄せられて、私もこの世にとどまることができないようだ。

もし生きながらえたら、長年頼りにしていた主人を失って心細く思っているお前を慰めるためにも、

色々と世話をしようと思ったが、じきに後を追って死ぬことになりそうなのが残念だよ」

と、静かにおっしゃって、弱々しくお泣きになるので、

夕顔の女を失った喪失感はさておき、右近は非常に悲しく思い申し上げました。

二条院に仕える人々は、地に足もつかずうろたえております。内裏からの御使いは雨脚よりも多いほどでした。

帝のお嘆きを聞きなさるにつけ、非常に畏れ多くて、無理にも気を強くお持ちになりました。

義父の大臣も懸命に立ち働きなさり、毎日お見舞いに訪れなさっては加持祈祷など様々なことをさせなさった、

そのおかげでしょうか、二十数日間も非常に重く苦しんでいらっしゃったのが、

順調に快復していくようにお見えになりました。

そして、死に触れた穢れを忌み慎む期日が、病床から抜け出したのとちょうど同日の夜に一致しました。

待ち遠しくお思いになっている帝の御心地を思うと心苦しいので、内裏の御宿直所に参上なさることにしました。

義父の大臣が、ご自身の車でお迎え申し上げなさって、物忌みだの何だのど、慎ませ申し上げなさるので、

光る君はまるで別世界に蘇ったかのような気がして、しばらくは呆然としていらっしゃいました。

九月二十日ごろに、完全に快復なさり、たいそうひどくおやつれになっていましたが、

かえって素晴らしく清らかな美しさが加わっていらっしゃいました。

しかし、物思いに沈みがちで、声をあげて泣いてばかりいらっしゃいます。

その様子を拝見して不審に思い、物の怪のしわざではないかなどと言う人もいました。

※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。


病人の、やつれて青白くなった姿を「なまめかし」と表現することがあります。

今回であれば、

いといたく面痩せ給へれど、なかなか、いみじくなまめかしくて

という部分です。

「なまめかし」は三省堂詳説古語辞典によると、

この語が生まれた中古では、未成熟ながら清心でみずみずしい美、しなやかでしっとりとした品位のある美、を表す。

とのことです。

「色っぽい/艶やかだ」という意味でよく用いられるようになったのは、江戸時代以降のようです。

病人や、今回の光源氏のように病み上がりの場合、「みずみずしさ」とは遠い気がしますが、

「清新な美」ということであろうと思います。

ということで、「清らかな美しさ」と訳しておきました。

病気をしたことで俗世の精神と少し離れたうえに、外見的な顔色の青白さも手伝って、

清らかで神秘的な美しさを感じさせる、というのは理解できなくもありません。

 

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