「少納言の乳母という人がいるはずだ。それを訪ねて綿密に話をして参れ」
などとお命じになりました。
「それにしても抜け目なく休まらないお心だなあ。あんなに幼い様子だったのに」
と、僅かに見たときのことを思い起こしておかしく思っておりました。
わざわざこのようにお手紙があるのを、僧都も恐縮していらっしゃいます。
惟光は取り次ぎを頼んで少納言の乳母に面会しました。
光る君のお心の内やご様子を、詳細にお話しになりました。
口数の多い人で、もっともらしく様々に話し続けましたが、
「とても幼い年頃なのに、何を考えていらっしゃるのだろうか」
と、誰もがひどく不審にお思いになっておりました。
お手紙にも、たいそう熱心にお書きになって、いつものように、その中には、
「あの姫君がお書きになった、一文字ずつを離して書いているのを、やはり見たいものです」
と書いて、
「浅香山浅くも人を思はぬになど山の井のかけ離るらむ」
〔姫君への思いは決して浅くはないのに、どうして私からかけ離れてしまうのでしょうか〕
とあった、その返歌には、
「汲みそめてくやしと聞きし山の井の浅きながらや影を見るべき」
〔山の井戸の水を汲もうとしてあまりの浅さにがっかりするように、あなたの心は浅いままでしょうから会わせてさしあげることなどできません〕
とあり、惟光もまた同じようなことを申し上げました。
「あの尼君の御病気が快復したら、数日やり過ごして、
尼君が京の邸にお戻りになってからお話し申し上げるのがよいでしょう」
というのを、じれったくお思いになりました。
※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。
浅香山影さへ見ゆる山の井の浅き心をわが思はなくに
これは『万葉集』に入っている歌だそうです。
前回、『難波津』と出てきましたが、それは、
難波津に咲くやこの花冬ごもり今を春べと咲くやこの花
という『古今和歌集仮名序』に記されている和歌のことだそうで。
この二首はともに手習いの初めに書く歌だったそうです。
前回、尼君が少女のことを「まだ『難波津』さえきちんと書けないのだから」と言ったのを受けて、
光源氏は同じ手習いの初めに書く『浅香山・・・』の歌を踏まえて詠んだのです。
予備知識がないと難解な箇所ですね。
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