源氏物語~若紫~(28)


源氏物語-若紫

光る君は、「確かに幼稚な感じはするな。しかし、私がしっかりと教育しよう」とお思いになっているのでした。

次の日もまた熱心にお見舞いの手紙を差し上げなさいます。例によって小さな結び文に、

いはけなき田鶴の一声聞きしより葦間になづむ舟ぞえならぬ
〔あどけない姫君の一声を聞いてからというもの、舟が葦の生い茂る水辺をなかなか進めないように、行くに行かれぬ道に思い悩んでおります〕

同じ人を思い続けているせいでしょうか」

と、あえて子ども向けにお書きになっているのも非常に素晴らしく思えたので、

「これをそのまま姫君の書のお手本にしましょうね」

と女房たちは姫君に申し上げます。そして少納言がお返事をお書きしました。

「気に掛けていただいている尼は、今日明日とも知れない様子で、また山寺へ参ってしまいました。

このようにお尋ねくださったお礼は、あの世からでも申し上げることでしょう」

光る君はしみじみと非常に悲しいお気持ちになっておられました。

秋の夕暮れ時は、絶え間なく藤壺の宮様のことを思って心を乱していらっしゃり、

その姪である姫君を是が非でも訪ねたいという気持ちもますます強くおなりになるようです。

以前、尼君が「簡単には死ねそうにない」と詠んでいた夕暮れのことが思い出されて、

恋しくてしかたないものの、実際に会ったら見劣りしないだろうか、と心配でもあるのでした。

手に摘みていつしかも見むむらさきの根にかよひける野辺の若草
〔早くこの手に抱き寄せてみたいものだ。あの藤壺の宮様の姪でいらっしゃる姫君を〕

十月には帝の朱雀院への行幸が行われることになっていました。

それに際して、舞人などには高貴な家の子が選ばれ、

また上達部や殿上人なども舞楽にふさわしい者は帝がお選びになったので、

親王や大臣をはじめとして、さまざまな芸能を修練なさることに余念がありません。

北山へも長らくご無沙汰していたことを思い出しなさった光る君がお手紙をお送りになったところ、

僧都からの返事だけがありました。

「先月の二十日ごろ、尼はついに息を引き取りました。

この世に生を受けた者が死を迎えるのは道理のことではありますが、やはり悲しいものでございます」

ご覧になった光る君はこの世の無常を身に染みてお感じになり、

「尼君が気に掛けていたあの子はどうなるのだろう。幼い人だからやはり恋しがるだろうか。

そういえば、私も幼くして母に先立たれたのだった」など、

はっきりとではないものの、ご自身の幼い頃のことを思い出しなさり、心から哀悼の意を捧げなさると、

少納言の乳母が、たしなみのある返事をお書き申し上げました。

※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。


尼君は北山の僧都のところで亡くなってしまいました。

その尼君が「簡単には死ねそうにない」と詠んでいたのは初めて光源氏が紫の君を覗き見したときのことです。

そういえば、その時からこの姫君のことを「若草」「初草」と例えていましたが、

「むらさき」と関連づけしたのは今回が最初でしょう。

この歌では「むらさき」そのものは藤壺の宮で、「根が通っている」というのが、その藤壺と紫の君が血縁にあることを指しているわけです。

紫草とは白い花を咲かせ、根が紫色の染料となる草花です。(こちら参照)

では今回はここまで。

 

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