(前回までの内容)
①藤原済時の邸である小白河殿で「法華八講」を催すことになりました。清少納言も早朝に出発して行ってみると既に大混雑。左大臣・右大臣を除くすべての上達部、それから殿上人もたくさん来ていました。
②中でも、当時の三位中将、今の関白・藤原道隆様や、当時の中納言・藤原義懐様の素晴らしさは別格でした。
③後から来た女車が池の畔に駐めたのを見て、藤原義懐様が手紙を届けさせました。女の方は返事にもたついており、さらに一度出した返事を訂正するようなことまで。使いはまっさきに義懐様の所に返事を持って行きました。
④女からの返事についてあれこれ騒いでいるうちに、説教の講師が登壇してみな静まりました。その隙に女の車は逃げて行ったのですが、それはそれで良い応対だと思われました。
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本シリーズのラストです。
清少納言の退場、別の女車、義懐の出家、と話は流れていきます。
【現代語訳】
朝の講義を担当する講師の清範の立派さといったら、高座の上が光に満ちあふれているかのようだったわ。
もの凄く暑かったうえに、その日中にやってしまわなきゃいけないことがやりかけのまま残っていたから、
少し聞いて帰ろうとしたんだけど、車が庭を埋め尽くしていて出ようにも出られなかったの。
朝の講義が終わったらどうにかして出ていこうと思って、近くの牛車にその旨を伝えたところ、
少しでも前に行けるのが嬉しかったのか、さっさとよけて道をあけ、私の車を送り出したの。
それを御覧になった貴族の方々、ご年配の上達部までが、うるさいほどに笑いながら野次を飛ばしてきたんだけど、
それも流して聞き入れず、返事もしないで、狭い所を窮屈がりながら出て行くと、権中納言義懐様が、
「おやおや、まあ帰るのもよしとしましょう」
と微笑みながら『法華経』の文言を使って私をからかってきたのも素晴らしかったわ。
でも、それも耳にとめずに、暑い中をやっとのことで抜けだした後に、私も同じ『法華経』の言葉を使って、
「あなた様も五千人のうちの一人でいらっしゃるでしょうに」
と、使いに申し上げさせて帰ったの。
あと、初日から最後の日まで毎日来ている車があって、初日の女車のようには誰も寄りつかずに、
まったく驚くほどに、まるで絵のようなのがあったのね。
義懐様が、「めったにないほど素晴らしく、奥ゆかしく思われて、どんな人だろう、知りたいものだ」
と思ってお尋ねになった、っていうのをお聞きになった藤大納言様が、
「何が素晴らしいものか。とても憎らしくて不吉な者に思われる」
とおっしゃったのは面白かったわ。
そして、その月の二十日過ぎに、中納言義懐様は出家して法師におなりになってしまったの。
本当にびっっくりして悲しかったわ。
これに比べたら、桜なんかが散るのは何てこともない普通のことよ・・・
「置くを待つ間の」とさえ言えないほど素晴らしいお姿に見えなさったものよ。
朝の講義・・・「法華八講」は1日に朝・夕の2回×4日間に渡って行われるという。
法華経の文言・・・釈迦が説法しようとした時に、既に悟りを得ていると慢心した者5,000人が席を立とうとしたが、それを見た釈迦はとめようとせず「そのように慢心して思い上がった者は退席するのもよかろう」と言った、という。
義懐様は出家して・・・枕草子~小白河といふ所は~(2)の「義懐」の注を参照。
置くを待つ間の・・・「白露の置くを待つ間の朝顔は見ずぞなかなかあるべかりける」という和歌(新勅撰集・恋三・源宗于)を引いたもの。「白露がおりるのを待つ間だけの、ほんの一時の美しさの朝顔など、かえって見ない方がよかったことよ」というのが表面の意味で、恋の歌なので、朝顔は相手の女性の比喩となっている。この章段では、「かえって見ない方がよかった」などとはとても言えない義懐の素晴らしい姿だった、という回想に用いられている。
『枕草子』は中宮定子を中心とした中の関白家の栄光を書き留める役割を担っています。
言わずもがなですが、清少納言が中宮定子の女房(家来)だからです。
中宮定子の父・藤原道隆が陰謀に絡んでいたかもしれない、花山天皇をだまして退位→出家させた事件が起こり、それに伴って花山朝の重鎮だった義懐も出家した、という出来事に『枕草子』の中で言及しているというのが非常に注目されるのです。
しかも、義懐に対し、非常に好意的な目線で綴っているわけです。
これを書いたときの清少納言の心中やいかに…。
【原文】
朝座の講師清範、高座の上も光満ちたる心地していみじうぞあるや。
暑さのわびしきにそへて、しさしたる事の、今日過ぐすまじきをうち置きて、
ただすこし聞きて帰りなんとしつるに、しきなみにつどひたる車なれば、出づべき方もなし。
朝講果てなばなほいかで出なむと、上なる車どもに消息すれば、
近く立たんがうれしさにや、はやばやと引き出であけて出だすを見給ひて、
いとかしがましきまで老上達部さへ笑ひにくむをも、
聞き入れずいらへもせで、強ひてせばがり出づれば、権中納言の、
「やや、まかぬるもよし」
とて、うち笑み給へるぞめでたき。
それも耳にもとまらず、暑きにまどはし出でて、人して、
「五千人の中には入らせ給はぬやうあらじ」
と聞こえかけて帰りにき。
その始めより、やがて果つる日まで立てたる車のありけるに、人寄り来とも見えず、
すべてただあさましう絵などのやうにて過ぐしければ、
ありがたくめでたく心にくく、いかなる人ならん、いかで知らん、
と問ひたづね給ひけるを聞き給ひて、藤大納言などは、
「何かめでたからん。いとにくく、ゆゆしき者にこそあなれ」
とのたまひけるこそをかしかりしか。
さてその二十日あまりに、中納言、法師になり給ひにしこそ、
あはれなりしか。
桜など散りぬるも、なほ世の常なりや。
「置くを待つ間の」とだに言ふべくもあらぬ御ありさまにこそ見え給ひしか。
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