二条院へお戻りになって横になってもなお、
「男と女というのは思い通りにいかないものだな」と思い続けなさり、
姫君の身分が軽くないことを心苦しく思っていらっしゃいました。
そのように思い乱れていらっしゃるところに頭の中将がお越しになって、
「随分な朝寝坊でいらっしゃいますね。ははぁ、さては何かあったのですね?」
と言うと光る君は起き上がりなさり、
「気楽な独り寝を楽しんでいただけですよ。あなたは内裏からですか?」
とおっしゃると、
「その通り、内裏からそのまま来ました。
朱雀院への行幸に向けて、演奏者と舞人とを今日中に選定するようにと昨夜仰せつかったので、
父大臣にもお伝えして相談に乗っていただこうと思って退出してきたのです。
その後すぐに内裏へ戻るつもりです」
と忙しそうなので、
「では私も一緒に参りましょう」
といってお粥や強飯を頭の中将とともに召し上がると、一台の車に相乗りなさって、
「まだ眠たそうですね。隠し事が多すぎませんか」
と光る君に恨み言を申し上げなさいます。
先ほど頭の中将がおっしゃっていた行幸をひかえて決めごとが多い日だったので、
光る君は一日中内裏でお過ごしになりました。
※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。
以前、光源氏の後をつけて末摘花の邸に辿り着いたことのある頭の中将です。
「隠し事が多い」と言っていますが、およその見当はついているのでしょう。
それから、朱雀院への行幸と出てきましたが、この話は以前にも出てきており、十月に予定されています。
最後に、文中に出てきた、「お粥&強飯こわいい」について、三省堂全訳読解古語辞典では、
「粥」は「固粥かたがゆ」のことで、米やあわに水を加えて煮る方法で作る。やわらかくてねばりのあるいまのご飯にあたる。「固粥」の他に「汁粥しるがゆ」があり、これがいまのおかゆである。「強飯」は水を加えずに蒸した固い飯で今の白おこわにあたる。平安時代は強飯・粥ともに常食としたが、行事・儀式などの場では、強飯が用いられた。
と説明されています。
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