古今著聞集~石清水八幡宮の神徳~


今年のゴールデンウィークも京都へ行くことにしました。

目的地のひとつが石清水八幡宮。

八幡市HPより拝借

八幡市HPより拝借

お寺にせよ神社にせよ、どんなに歴史があっても古典文学に深く関わりがなければ優先順位が下がるのですが、石清水八幡宮というのは絶対に訪れておかなければならない聖地の一つなのです。

何といっても『徒然草』の「仁和寺にある法師」のエピソードで非常に有名な神社ですね。

仁和寺の法師が高齢になってから石清水八幡宮を参拝して失敗するお話です。

『枕草子』にも『源氏物語』にも出てきますし、『成尋阿闍梨母集』によれば、成尋が宋(中国)へ行くに際し、石清水八幡宮に参拝して旅の安全を祈願した後、淀川から舟に乗って出航した、と書かれています。

霊験あらたかな神社として、古くから信仰を集めていたのがうかがえますね。

そして今回取り上げる鎌倉時代の説話集『古今著聞集』のエピソードも、石清水八幡宮が当時どれほど信仰を集めていたかを物語っています。


【現代語訳】※雰囲気重視

それほど遠くない昔のこと、美しい女房がいました。夫の訪問が途絶えがちで、思うような夫婦生活ではなかったものの、非常にかわいらしい魅力に溢れた娘が一人だけおりました。その娘が十七、八歳くらいになった時、

「是が非でも、この子にだけは私と違って幸せな結婚をさせてやりたい」

と思って、娘かわいさのあまり、祈願のため石清水八幡宮へお詣りすることにしました。もちろん娘も一緒です。涙を流しながら必死に参詣して、母親は神前で一晩中お祈りしました。

「私の身は今やどうでも構いません。どうか、この娘が立派な殿方と結婚して幸せになれますように。どうか、安心できる状態にしてお見せくださいませ」

と数珠をすって泣きながら何度も訴えかけました。

ところが、肝心の娘は神社に着くやいなや母の膝を枕にしてぐっすり眠りこんでしまっていたのです。

夜明けも近づいてきたころ、とうとう母親は娘に言いました。

「どれほどの決意で歩いてここまでやって来たと思っているのですか。かなわないかもしれないとは思いつつ、それでも一縷の望みをかけて来たのですから、神様もお心を動かされるほど、こうして必死に夜通しお祈りしなければならないのです。それなのに、肝心のあなたが何の心配もない人のように眠りこけているとは、情けないことです」

と、くどくど言うので、娘も起きて、

「その、かなわないかもしれない心地というのが心苦しくて」

と言うと、

身の憂さをなかなか何と石清水思ふ心はくみて知るらむ
〔私の身の上のつらさを、何やかやと敢えて言うつもりはございません。言わなくても石清水八幡宮の神様は私の思う心を汲み取ってご存知でしょうから〕

と詠んだところ、母親も何だかきまり悪くなって、何も言わずに帰ることになりました。

すると、帰る途中、朱雀大路の七条あたりで、当時一世を風靡していた殿上人の一行が桂の地で遊んでお帰りになるところにちょうど出くわしたのです。

なんと、その殿上人は娘をつかまえて車に乗せると、そのまま正妻として迎え取り、いつまでも仲睦まじい夫婦生活を送ったということです。

八幡大菩薩が娘の詠んだ歌に感銘を受けて、お力添えをくださったのでしょうか。


「目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ…たけき武士の心をも慰むるは歌なり」と『古今和歌集-仮名序』に書かれている通りの内容です。

その神様をも感動させた和歌というのが、

身の憂さをなかなか何と石清水思ふ心はくみて知るらむ

でして、これは上で訳した通りの内容なのですが、補足説明をしておきます。

まず、「石清水(いはしみづ)」に掛詞が隠れています。

もちろん一つは「石清水八幡宮」なのですが、もう一つは「言はじ」です。

当時は濁点・半濁点はなかったので、「いはしみづ」に「いはじ」を掛けて詠んだのですね。

それから、石清水の「水」と「くみ」とが縁語になっています。

さて。

これは物語ではなくて説話です。

つまり、「実際にあったことらしい」と伝説的に語られていたと考えられるわけです。

それなりのリアリティーをもって当時の人々に受け入れられていたということです。

わたくしも石清水八幡宮の御利益を授かるため、遠路はるばる行って参ります!
(`・ω・́)ゝ


【原文】

中ごろ、なまめきたる女房ありけり。世の中たえだえしかりけるが、みめかたちあいぎやうづきたりけるむすめをなん持たりける。

十七八ばかりなりければ、これをいかにもしてめやすきさまならせむと思ひける。

かなしさのあまりに、八幡へむすめとともに泣く泣く参りて、夜もすがら御前にて、

「わが身は今はいかにても候ひなん。このむすめを心やすきさまにて見せさせ給へ」

と数珠をすりてうち泣きうち泣き申しけるに、このむすめ参り着くより、母のひざを枕にして起きもあがらず寝たりければ、暁がたになりて母申すやう、

「いかばかり思ひたちて、かなはぬ心に徒歩より参りつるに、かやうに夜もすがら神もあはれと思し召すばかり申し給ふべきに、思ふことなげに寝給へるうたてさよ」

とくどきければ、むすめおどろきて、

「かなはぬ心ちに苦しくて」

といひて、

身の憂さをなかなかなにと石清水思ふ心はくみて知るらむ

とよみたりければ、母も恥づかしくなりてものもいはずして下向するほどに、七条朱雀の辺にて、世の中に時めき給ふ雲客、桂より遊びて帰り給ふが、このむすめを取りて車に乗せて、やがて北の方にして、始終いみじかりけり。大菩薩この歌を納受ありけるにや。

 

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