これまでにも『伊勢物語』は何回か取り上げたことがあります。
『伊勢物語』には在原業平の説話が多く収められています。
中でも有名なのが“二条の后”と呼ばれた藤原高子たかいことの不幸な恋物語です。
藤原高子は後に清和天皇の后となる人ですが、その前に在原業平が恋に落ちて密かに通っていた、というのです。
前に紹介した「芥川」も業平と高子の駆け落ち譚でした。
今回もそんな高子とのお話です。
【現代語訳】
昔、男がいた。東の五条のあたりにたいそう人目を忍んで通っていた。
人に知られては困る所なので、門から入ることはできず、子どもが壊してあけてしまった築地の崩れた所から通っていた。
人が多く出入りするような所でもないが、あまりに頻繁に訪れたので、家の主人が聞きつけて、その通い路に毎晩人を据えて見張らせたので、男は通っていっても女とは会えずに帰るのだった。
そこで男が詠んだ歌。
人知れぬ我が通ひ路の関守は宵々ごとにうちも寝ななん
〔人知れず通う道にいて私が入りこまないよう見張っている関守のような連中は、毎夜眠りこけてほしいことだ〕
と詠んだところ、女は非常に心を痛めた。その家の主人も男を許した。
二条の后の所にこっそり参上していたのを、世の噂というのもあったので、兄たちが見張らせなさったということだ。
在原業平という人も実は皇族の血筋なのですが、祖父の平城天皇という人が、譲位して上皇になった後でやらかした(薬子の変)結果、父親の阿保親王まで連帯責任で左遷されてしまいました。
そのせいなのかどうかは知りませんが、業平は親王にはならず、「在原」姓を賜って臣籍に降りました。
一方、藤原高子はもちろん藤原氏です。
皇族よりも血統としては劣るのですが、他氏排斥,政略結婚などを駆使して権力の掌握を謀っていた藤原氏。
藤原氏的には「おい、にーちゃん、皇族ったって落ちぶれてるくせにうちの大事な姫に手ぇ出してんじゃねえよ。てか一応皇族ってところが厄介だぜ・・・」ってなもんです。
高子は上図の通り、後に清和天皇のもとに入内させる予定だったので、今風(?)に言えば業平は完全に「悪い虫」です。
高子本人はシャレオツなイケメンに言い寄られてキャッハキャハだったかもしれませんが。笑
そもそも。
この話が本当かどうか、という問題はありますが。
【原文】
昔、をとこありけり。東の五条わたりに、いと忍びていきけり。
みそかなる所なれば、門よりもえ入らで、わらはべのふみあけたる築地のくづれより通ひけり。
人しげくもあらねど、たび重なりければ、あるじ聞きつけて、その通ひ路に夜ごとに人をすゑて守らせければ、いけどもえあはでかへりけり。
さてよめる。
ひとしれぬわがかよひぢのせきもりはよひよひごとにうちもねななん
とよめりければ、いといたう心やみけり。あるじ許してけり。
二条のきさきに忍びてまゐりけるを、世のきこえありければ、せうとたちの守らせたまひけるとぞ。
【語釈】
◯をとこ…『伊勢物語』においては在原業平を想起することになっている。
◯築地…読み方は「ついひぢ/ついぢ」。いわゆる土塀。
◯しげく…漢字で書くと「繁し」という形容詞の連用形。数量が多いことを言う。
◯守ら…古語の「守る」は「見つめる/見守る」が基本だが、ここでは守り固めていた感じ。
◯えあはで…副詞「え」は打消と組み合わさって不可能を表す。ここでは接続助詞「で」が打消接続。
◯せうと…漢字で書くと「兄人」で、女性から見た男兄弟を表す。ここでは、上記系図の通り、国経と基経。