「これ以上つらい宿命を背負った人はいるのかしら。こんな噂がたったら、院も私をどうお思いになるだろう。我が夫である亡くなった前の春宮が、ご兄弟の中でもとりわけ院には心を通わせ申し上げなさって、この斎宮のことも念入りにお頼み申し上げていたから、院も亡き前春宮の代わりにお世話しよう、などといつもおっしゃって『内裏で暮らしなさい』とたびたびお声かけくださったことをさえ、畏れ多く、とんでもないことだとご遠慮していたというのに。このように思いもよらず子どもじみた恋煩いをして、ついには浮き名を流してしまうとは…」と思い乱れなさって、やはり普通のご様子ではありません。
とは言え、世の中においては、奥ゆかしく風流なお方であると昔からの御評判なので、ご令嬢が斎宮に就任なさるのに先立って嵯峨野の宮にお移りになる際にも、当世風の趣向をたくさん凝らして、「風流な殿上人などは、朝な夕なに露をかき分けて嵯峨野の宮へ赴くのが仕事のようだ」などとお聞きになるにつけ、光る大将殿は「もっともなことだよ。あの方にはこの上ない風情が備わっているのだから。もし、この世の中がすっかり嫌になって、伊勢神宮にくだってしまわれたら寂しくなるだろうな」とさすがにしみじみとした感慨を覚えるのでした。
※雰囲気を重んじた現代語訳です。
かなり短く見えますが、分量としては普通よりちょっと少ないくらいです。
葵の上が亡くなったときに系図を更新しなかったので、ここで更新しておきます。
亡き葵の上の兄である頭の中将が次回久々に登場します。
<<戻る 進む>>