源氏物語~葵~(36)


それからというもの、内裏や院の御所にほんの少しいらっしゃるだけで、若紫の君の面影が恋しくて落ち着かないので、おかしな気がするな、とご自身でもお思いになっています。

関係を持っていた愛人たちの所からは恨み言をしたためたお手紙もしばしば届くので気の毒にもお思いになるのですが、新妻をほったらかすことなどできようか、とお思いにならずにはいられません。

そこで、葵の上を亡くした悲しさのために苦しんでいるように振る舞いなさって、

「この世の中が非常につらく思われて仕方ないのです。そのような期間が過ぎ去ったらお伺いします」

と、このようなお返事ばかりでやり過ごしていらっしゃいました。

さて、今は御匣殿となられた朧月夜の六の君ですが、今なお光る大将殿に夢中でいらっしゃることに対して父右大臣が、

「本当に、あの正妻もお亡くなりになったのだから、あの子が望むなら光る君と結ばれたとしても、それはそれで良いではないか」

とおっしゃっているのを、姉である弘徽殿の皇太后は非常に憎らしくお思いになって、

「宮仕えをしっかりとさえ勤めれば帝との結婚もあり得ましょう。その方が良いに決まっています」

といって、入内させることに躍起になっていらっしゃいます。

光る君の方でも、朧月夜の姫君には並々ならぬ思いを寄せていらしたので、宮仕えの件は残念なこととお思いでしたが、今は若紫の君以外にお心を割くことはできません。

「どうして、こんなに短い人生で色々な女性に心が動くのか。しかしこうして若紫の姫君に気持ちが定まっていくことだろう。人の恨みも負うべきではないしな」と、六条御息所の生き霊に懲りて、ますます慎重におなりになっていました。

「御息所はたいそう気の毒だが、正式な妻として頼みにするのはどうしても気が引けてしまう。これまで通りの関係で良しと思ってくださるなさるならば、しかるべき時に色々と話をする女性として相応しいだろうな」などと、さすがにきっぱりと思いを捨ててはいらっしゃらないようです。

※雰囲気を重んじた現代語訳です。


若紫の君と正式に婚姻の儀をすませた光源氏です。

右大臣家の話が久しぶりに出て来ました。

朧月夜の君(参照)が「御匣殿みくしげどの」になった、というのはここで唐突に語られます。

御匣殿というのは、宮中の「貞観殿じょうがんでん」で装束を調える仕事をする上級の女房です。

内裏図

この地位から女御やら中宮やらという帝の妻の地位を狙うのが姉である弘徽殿の皇太后です。

が、肝心の御匣殿(朧月夜の君)は光源氏に夢中ということで弘徽殿氏は腹を立てています。

父親の右大臣は割と暢気に「別にそれならそれで良いんでないの?」と言っています。

まあ、世間では若紫の君の存在が知られていないので、右大臣としては死んだ葵の上の代わりに朧月夜の君が光源氏の正妻になればそれでも良い、と思っているようです。

弘徽殿の皇太后の考えの方が結果的には正しいということですね。

源氏物語系図

弘徽殿の皇太后と名づけましたが、かつて「弘徽殿の女御」と呼ばれていた人物で、桐壺院の正妻です。
桐壺院との間の第一皇子が帝の位に就いたので皇太后となっており、原文では「今后いまきさき」と書かれています。

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